僕が小学生の頃に夢中になって遊んだスポーツはスケート。軽井沢プリンスホテルが経営している軽井沢スケートセンターへ午前中から午後まで休まずに滑りどうしで遊んだ。どうしてスケートがあんなにも好きなのが今もって分からない。風を切って滑った。誰よりも上手に滑った。コーナーリングも足をクロスさせてみたりした。楽しくて家に帰るのが嫌でした。いまでも第3コーナー付近で浅間山を見ている自分自身を思い出す。夏場はローラースケートを買ってもらい車が通行しないコンクリートの上を探しては滑っていた。家の上がりがふちのセメントの上で滑った。あの頃はたぶん父親の車に乗って行ったのだろう。スバル360を買ったばかりで遊びに行くのは軽井沢のスケート場ばかりでした。いまのように東京には遊ぶところがなかった。池袋のサンシャイン60も無く浦安市の東京ディズニーランドも無かった。あの頃東京は銀座三越百貨店と新宿の伊勢丹があるぐらい。東京はまだ戦災から復興してませんでした。東京の下町は100m道路に2階建て家があるだけでだだっ広い隙間ばかりでした。軽井沢町には僕は厚めのコールテンのズボンとビニールのジャンバーをきて行く。その他に東平井子供会で大型バスに乗って軽井沢のスケートセンターや八王子市に新しく出来たばかりのサマーランドへ行きました。それは村の年中行事で小学校の4年生以上はみんなで行きました。そのころの方が今よりも「子ども会」という地域包括支援システムが出来ていたような気がします。3歳下の弟と隣に住む2人の親戚の子ども達と行くことがありました。どういう風に行ったの記憶がありません。信越本線で軽井沢駅から歩いて行ったのかもしれません。あのころ札幌冬季オリンピックでジャネット・リンをテレビで見たのが原因かもしれません。僕は本気でオリンピック選手を目指していました。短距離走者の黒いスケートシューズを買ってもらい一日中滑っていました。軽井沢プリンスホテルスケート場は広くて開放感があり伊香保温泉スケート場より断然良かった。スケートリンクからは浅間山が目の前に聳えていてスケート場から真正面に見えた。薄っすら雪が覆われていた。かならず寄るのが横川の釜めし屋で何かしら食べましたが何故か釜めしだけは食べさせて貰えなかった。群馬県に住みながらそれも年がら年中おぎのやのドライブインに寄りながら食べられなかった。天ぷらそばばかり食べていたような気がします。正直言って食べた思い出がなく釜めしは値段が高くて私の家では贅沢品でした。母親があんなものは高いだけだから家で作ってあげるからと言っていた。家に帰ると以前買った釜めしの容器があるからそれに炊き込みご飯を入れればいい。そんなことばかりで食べたくても家の経済状態もうすうす知っているのであまり無理はしませんでした。スキーはやったこともなかった。あんなにも大きな板を用意したり重そうな長靴を色々と付けていただけで疲れそうで興味がありませんでした。