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こんにちわ!新井慶一です!!3月24日(土曜日)
城西大学理学部数学科の思い出。記憶の片隅を掘り起こしてみます。
八高線にはよく乗りました。あたりは殺風景な田園風景が続き来る日も来る日も同じ風景を見ていました。座っている人たちも田舎風なおばちゃんが退屈そうにしていたり自動車に乗れないおじいちゃんばかりが電車内にちらりといるだけでした。朝には大東文化大学の学生も幾人かいました。僕は五木寛之の文庫本を固い紙の四角いカバンに入れて群馬藤岡駅から越生駅まで乗りそこから東武東上線に乗り換えて川角駅で降りて大学まで歩いて行きました。どうして五木寛之を覚えているのかというと僕が内藤恵美子さんに学食で本の話をしたら「私は五木ひろしの大ファンよ。」と言われたのを覚えているから。その時は田口君もいました。二人は硬式テニス部で知り合いになりました。僕は、夏休み前に辞めていました。「珍しいね演歌が好きなのは。」その時はこころの中で思った。あの時内藤さんが私は毎日、高校の数学の勉強しているわ。昨日の夜は3時間も微分積分も勉強した。そんなことを僕に言っていた。あれは暗に僕に大学1年生は高校の再勉強なのよと言ってくれたのかもしれない。田口も勉強は大嫌いでバルザックばかり読んでいた。田口君ふたりで城西大学前の喫茶店でインベーダーゲームをしては遊んでいた。こんなことばかりしていてこの先どうなるのだろうと思ってはいました。学食で250円のランチを食べて授業に出はしましたが話も聞かずに午後の3時過ぎにはまた八高線で群馬県まで帰って来ました。最初はお昼を食べに行くだけで一日が終わりました。教科書は城西堂で購入しました。それをお洒落な紐で十字に結んでいた。理学部数学科は正門前を潜ると左手にありました。鉄筋コンクリートの4階建てで部屋には黒板と机しかありませんでした。広さはやはり高校の時と同じ。大学1年生の授業は微分積分学と線形代数学が必修科目でした。しかしその線形代数学がまったくわからない。教科書を読んでもわからない。焦るは焦る。でもわからないものはわからない。どうにもしょうがない。それでも2年生には自動的に進級しましたが、もう学校を辞めようと思いながらも出席だけはしていました。学校の担当の先生は何も教えないで全員が基礎数学が出来ると思い授業が始まった。教科書は微分積分学の本ですが高校の教科書のような丁寧な書き方でなく内容が不親切で難しく感じた。前期の試験がありましたがもともと大学は家で勉強するのが当たり前なのでテストは零点でした。白い紙に問題が2問あるだけで何を書いていいのか分からなかった。勉強に付いて行けなくなりました。僕も数学の勉強が嫌になり、授業に出席しなくなり学校にも行かなくなりました。ひとりで八王子方面の電車🚃に乗らないで高崎駅で降りてぶらぶらするようになった。たまには上越線の電車で新潟県まで行ってそのまま改札口を出ないでまた群馬県に帰って来たりしてました。お腹が空いて人が食べ残した駅弁を食べたこともある。僕のような学校の勉強に付いていけない友人もいた。学食の前でこれからどうしようと話しをした事も有る。あの時高校の教科書を引っ張り出してもう一度やり直して数学をやり直せば良かったと今は後悔しています。あの頃は愚かでひとと話ができず誰かに聞いていれば良かった。大学は基本的には数学が出来るひとが集まるので、先生が手取り足取り教える所ではないということさえ分かりませんでした。(追伸) 線形代数学とは中学2年生で勉強した連立方程式の2次関数を解く事でした。計算するときにxとyを省いて行列式でする事なんです。そのスピードの速さがパソコンのCPUの性能になる。そのころ数学科の教室では頭のいい同級生の間でいま学んでいることがパソコン💻のインターネット検索の原理に利用されることになると誰と言わずに全員が薄々感じてはいた。
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こんにちは!新井慶一です!3月23日(金曜日)
城西大学経済学部の思い出を書きます。
今から40年前になります。月日が経つのが早いなあ。まだ2〜3年前のような気がします。父親が購入した日産サニーに乗ってました。休みの日の度に埼玉県坂戸市川角駅近くのアパートから毛呂山町によっては中華そばを食べてから群馬の実家に帰っていました。国道254号線を越生町小川町寄居町児玉町を通り帰っできました。道がくねくねして山の中の暗闇を無闇やたらと走った。よく事故もなく通えたもの。ときどき灯りが付いた開けた町を通ったと思うとまた寂しそう村村を通りやっとこさ藤岡市に辿り着きました。学生時代には自動車や八高🚗🚘線でよく通いました。何しろ理学部数学科を2年留年して経済学部に転部し6年間も大学へ行ってました。大海軒の中華そばは確か1年生のときは330円で食べられた。卒業する頃には400円だった気がする。量が多くて食べごたえが有りました。一週間に3回は食べに行ってました。今でもいままでに食べた中華そばで一番美味しいと思う。土日休みの午前中は店の外迄20分ぐらいは行列のできる地元では大人気のお店です。杉並区永福町系大勝軒の系列。豚骨煮干し醤油で味付け。麺は🍜中太縮れ麺。大勝軒草村商店で麺を製造。だしは醤油ベースに豚骨背脂人参玉ねぎそれに山口県産のイワシの煮干し。麺は290gで2玉。最近でもないけど2年前に食べに行って見ました。やはり頑固そうな店主は亡くなって居なくて跡とりの息子さんに代変わりしていました。僕が昔にお客さんとして行き「ラーメンください。」というと職人気質のおじさんに「うちには中華そばしかありません。」とよく言われました。側のカウンターにはあのころからの叔母さんが変わらずに居たので驚きました。叔母さんは僕のことを覚えているらしく「知ってるひとだね。懐かしいね。」と言ってくれました。
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こんにちわ!新井慶一です!!3月20日(火曜日)楽しかった家族の思い出を書きます。高崎まつりの花火大会に家族みんなで行ったことがあります。まだ幼い下の娘が夜の歩道で歩けなくなり僕が背中におんぶして帰って来ました。普段からお父さんは臭いからとそばにも寄らせないのに、その日は花火大会が終わったのが遅くなっていたり人混みではぐれてしまう恐れがあるので娘も背に腹は代えられぬ思いで僕の背中を頼ったのだろう。自動車を高崎駅の東口の駐車場に置いてそこからスズランデパートまで歩いて行きました。途中のコンビニでジュースや焼き鳥やお握りを購入してから高崎市のお祭り広場で青いシート敷いて花火を見学をする。周りは人だかりで夏の夜にどこの家族ずれも同じよう浴衣すがたの女の子や年寄りずれの家族でいっぱいでした。