JR神田駅構内から出て歩いて1分足らずにある立ち食い蕎麦屋さんの「かめや」狭い店内は背広姿のサラリーマンが肩を並べて蕎麦を啜っていた。僕はいなり寿司に天麩羅蕎麦を注文する。駅蕎麦で1番うまい。天麩羅も大きくてサクサクして 醤油ダシが効いていて蕎麦によく合う甘辛な味付け。蕎麦も手打ち蕎麦をその場で茹でていてコシもあり。それにいなり寿司の中味も味が染みていておいしい。お値段もリーズナブルなのが一番いい。いなり寿司が100円で天麩羅蕎麦が370円と普通の椅子とテーブルがあるお店ではこれだけのものはコノ値段ではとても食べられません。職人肌のまるで板前さん風の男性が三、四人で店を切り盛りしていました。東京へ遊びに行くと必ずココに寄ります。ほかの人達のフェイスブックを読んでみてもココのお店が一番うまいと書いていました。江戸時代から続く本格的な江戸前蕎麦であるらしい。僕は立ち食い蕎麦屋さんに人だかりがあると必ず暖簾を潜りますね。甘い匂いが外まで溢れてその匂いに惹かれてしまいます。お店の中でテーブル兼カウンターで割り箸で天麩羅を突いて暖かい蕎麦をその場で食べるとほんとうに生きてて良かったと幸せな気持ちになってきます。落ち込んでるときに元気を貰います。高崎市にある高崎弁当🍱の駅蕎麦もかなりいけます。高崎駅在来線の一番線が確か草津温泉♨️行きの列車が出ていてそのホームにあるのがタカベンの立ち食い蕎麦屋さんだったと思う。


池田大作先生の「新・人間革命」は50歳頃、群馬県藤岡市の創価学会本部の近くにあった芦田町ミヤワキ書店で手にしました。そのころの僕は会社をリストラされたばかりでどん底でした。今から見ると家の前で撮った証明写真はまるで泣きべそをかいているように見えます。朝から職業安定所に通いながら日がな一日、日帰り温泉に通っていた。その頃は前橋市内の本物の温泉がでる「まえばし駅前天然温泉♨️ゆ~ゆ」に行く。茶色く濁り気味な湯船に身体を入れるとやっと生きている実感がしたのをまるで昨日のことのように覚えています。群馬県藤岡市には創価学会の本部が驚くほどデカく立派な建物がありあの建物はいったい何だろうと思った。僕は自然な感じで創価学会に興味関心がいきました。時価数億円もするだろうと思う。今でも何処にそんなお金があるのだろう思う。宗教も興味ないし創価学会も名前しか知らない。そんなまったく知らない宗教の本が藤岡市芦田町の本屋さんには平台に山のように置いてあった。40代から僕は乱読主義で手当たり次第に本を読んでいた。栄養学から歴史まで本屋さんに行くの楽しみでした。貧しいので本は買わずに県立図書館で借りた。山のように借りた本を前橋市の17号沿いにあるマクドナルドで100円のコーヒーをお代わりしながらザーッと読んだ。10冊を2時間で流し読み。読売新聞群馬工場で刷り上がったばかりの新聞の検紙が仕事を15年間も働いたせいか活字にはだれよりも強くなった。其れが今の雑文書きの下地になっているのかもしれない。そんな時季から幾らも経たない頃でした。2011年3月11日の東日本大震災が起きました。午後2時30分に家がグラグラ揺れた。まさか津波が海岸を襲っていた。会社が急に傾きはじめました。そしてリストラ。そのおかげで池田大作先生の「新・人間革命」に出会いました。先ずはなぜ創価大学が八王子市に創立したのかを調べてから読んだ。1970年頃でした。新人間革命の15卷に書いてありました。僕が卒業した城西大学と同じ頃でした。巷では「城西大学はお金持ちで勉強が出来ない学生が多い」とかそんなイメージを持たれていました。創価大学も城西大学も同じごろの創立でしたので同じ感じに思われていた。うーむ!確かに隣の城西歯科大学はその意見は当たっていましたが、城西大学の中でも薬学部もやはりお金持ちばかりでしたが経済学部はそんなことはありません。貧乏学生ばかりでした。大学正門裏のすこし離れたところでは車道に新車の紺のフオルクスワーゲンゴルフが平気で止まっていた。城西歯科大学の大学生が外車で通っていたんです。信じてもらえなかもしれないがほんとうです。親が歯医者の家の子のクルマだと思う。僕はというと大学近くのアパートで月々5万円から7万円でカツカツな生活を送っていました。学食でカレー🍛ばかり繰り返し食べて節約。その頃は父親が大学の事務局の事務長と話し合いをしてくれて再び大学に通っていた。理学部数学科を放校されて家に帰っていましたが大学は卒業したほうがいいと自分から思って経済学部に転部して、また学校へマジメに通うように大学まで歩いて1分のその事務長の自宅の隣にあるアパート福島荘に入れられた。監視付きの情け無い毎日でしたがその頃流行りの「岸田秀」流のモラトリアム人間🧑の生活を送っていました。猶予期間だと思って遊んでいました。まぁだいたい部屋で午後まで寝ていました。


                             
   そのあと僕が新人間革命のなかで注目して読んだのは池田大作先生の逮捕されたところ。1960年ごろ池田大作先生が大阪の選挙違反で1か月間大阪の留置場に入ることになる有名な大阪事件のところを読む。何巻だか忘れました。仲間の冤罪なのに自分から警察に赴き逮捕されました。随分と苦労されている。それなのに信仰がブレないところに強い人だと思った。このあたりが先生は愛読書のユゴーのレミゼラブルの主人公ジャンバラジャンによく似ています。ジャンバラジャンはお腹が空いてパンを盗んで捕まり投獄されます。家は貧しい植木屋さんでした。出獄したあともお腹がぺこぺこなのに何処の食堂でも門前払いをくらいます。ただ一軒、牧師さんの家だけで夕御飯を食べさせてもらいました。そんな恩人の家から銀の食器を盗みまた捕まってしまう。このあと囚人船から海に飛び込んで脱獄します。荒海なので死んだものとされる。そのあと名前を変えて変装して宝石工場を作り🏭町の財産家になりその売り上げで学校や病院を造るために多額のお金を町に寄付したら国王陛下から市長に推薦されます。しかし昔ながらの刑事にはジャンバルジャンの素性が見破れます。そしてパリに逃げます。この時にその病院で街で娼婦をしていた死期の迫った女性からたっての頼みをジャンバルジャンは聴きます。そのまだ幼い薄幸の娘を強欲な商人から助けて一緒に連れて逃げます。ここまでがスリリングで最高に面白い。

   池田先生がベートーベンが大好きなのも好感が持てました。僕は50歳ごろはモーツァルトがまったく聴けなかつた。甘すぎて聴くに耐えられなかった。ベートーベンの交響曲1番と2番ばかり繰り返して聴いていた。交響曲6番田園もいいけれど交響曲1番が理解出来ない人は本物のベートーベン好きとは言えないと自己判断を下した。ワルター、ケンブ、カラヤン、バースタイン、ギュンター・バァント、サイモン・ラトルまで県立図書館でCDのベートーベン交響曲全集を片っ端から借りて聴いた。

           ③

     今なら本屋さんへ行けばすぐに 手に入りその日のうちに読めますがしかしそのためにお金を出さなくてならない。この不景気で貧し人々は税金や生活費で余分なお金がなく毎日キュキュとしております。僕自身いまのところはとても本屋さんで本を購入する余分なお金がなくなりました。それでもいま流行りのスマホぐらいは働いているので持ちたいのは他の人と同じです。僕は最近は本や新聞は紙ではなく液晶画面で読むようにしています。最初は戸惑いましたが今ではいろんなアプリで最新ニュースが読めます。それでも時々山本伸一はどうしているだろう大きくかとふと思うことがあります。山本伸一とは池田大作の新人間革命の主人公であり池田大作先生のペンネームでもあります。僕の家で聖教新聞📰を購読していたときには新人間革命の連載小説だけは毎回読んでいました。本屋さんに行けば読めますがもうこの歳では買わないで新作が出るたびに立ち読みなど恥ずかしくて出来ません。僕は池田先生のおかげで日蓮宗から親鸞の浄土宗まで調べる気になれました。同じお釈迦様のインド仏教が日本ではいくつかの宗派に分裂しています。その違いは生きかたにあります。今現在こそ極楽浄土であると言ったのが日蓮です。千葉県勝浦市で生まれた日蓮の鎌倉仏教。念仏は「なんみようほうれんげいきよう」他の浄土宗や浄土新宗は今は辛いけれども死ねば極楽浄土へ行く事ができる。だから今はじっと我慢しようというのが主流の宗派。念仏は「なみあぶだぶつ」。人生を肯定し力強く生きるのが日蓮宗でやや諦念的否定的に生きるのが親鸞や法然の浄土宗。これが決定的な違いです。ココが時の権力者に忌み嫌われたのかもしれない。かの有名な司馬遼太郎の国盗り物語の齊藤道三は日蓮宗の坊さんでした。京都府の応仁の乱で荒れ果てた町を付き人と歩きながらよし俺が天下を取って見せると自分自身にいいかせて本当に天下取りの一歩手前までいきます。仏教は宗教ですが生き方でもあり慰めでもある。この小説はあまり難しくなくまるでイギリス🇬🇧を代表するディケンスの「デビッド・コンパーフイールド」のようにひとりの主人公があまり事件もなくただひとりの少年が悩みながら慰めを求めて日蓮宗に傾倒していく毎日の日々が綴られています。池田先生は東京の下町の蒲田に生まれました。戦争中アメリカ軍の空襲で家が焼かれて着の身着のまま母親と兄弟達と逃げ延びた。母親は気丈な人で家なんか焼かれたって気にもしなかった。戦後、徴兵されていた長男の戦死の報告を受けた時には、その気丈な母親が部屋の片隅で肩を震わせながら泣いていたそうです。