1990年頃。バブル真っ最中。映画「私をスキーに連れてって」が大ヒット。草津温泉と万座温泉が舞台でした。そこに、偶然みたいに行ったことがある。藤岡市自由民主党小渕恵三スキーバス🚌。毎年恒例のようにありました。一度だけ参加したことがあります。30才過ぎの独身でした。チャンスがあるかと思い参加する。行き先は、万座温泉スキー場。日帰りスキー。スキーは、コレで最後になった。藤岡市農協本所営農生活部のH君と本所総務課のSさんも参加。僕は、H君に誘われて行った。僕は、藤岡市農協平井支店で営農生活部に勤務していた。これでも僕は、農協の営農指導員でもありました。自分で言うのもなんですが、頑張り屋で勉強好きなので、誰よりも早く農業簿記2級やB級農業指導員の資格を所得。別に自慢するわけでは、ありませんが。僕が、どんな人だか、みんなにもわかってもらいたいので書いておきます。だからH君とは、同僚みたいなもの。僕の方が成績は、ずっと上でした。H君は、農協の女子バレーボール部の監督が忙しくて、夕方から仕事が終わると藤岡市西中学校の体育館に行ってばかりでした。普段から藤岡市本郷の漫画文庫でスパゲッティを🍝食べに行ってました。量が多く、藤岡市の名店でした。今でも栄えているみたいです。藤岡市のワカモノ達の一番人気のお店でした。漫画文庫に着くと、あとはまるで「大桑のおカイコさんだね?」と言われた。食べるのが夢中で話しかけられてもろくすっぽ返事もせずに一心不乱に食べてました。スキーバスは、地域別に3台の大型観光バス。ちゃんとお金を払いましたよ。上信観光バス🚌使用で一般的な値段でした。ワインのお土産も下仁田ネギのお土産もなかった。それでも若い男女で満席になる。スキーバスは、楽しい。外は吹雪でしたが、たった一人で気軽に滑った。一緒に来ていたH君もSさんも見当たらない。帰りのバスで、また一緒になる。その帰りの万座プリンスの前でSさんの写真を撮る。しかしながらフィルムが入ってなかった。女の子のスキー服すがたは、特に綺麗に見えてしまう。ピンク色のスキー服だけよく覚えています。お昼は、何を食べたのかもまったく覚えていない。スキー場の定番のカレーでもね食べたのかもしれません。その日は、夕方まで視界がゼロで雪が降り続いていた。あの日をさかいにまったく一緒に遊ぶことは、なかった。ホテル万座温泉♨️は、雪質がいい。僕は、滑ることが、できればいいと滑りに集中していた。みつまたかぐらスキー場と同じ。パウダースノーでした。標高が高いのだろう。その後、行かない。途中にある料金所が高いのと意外と遠いから。珍しい場所でした。いいプランだと思った。楽しい思い出ででもある。そのスキーバスの帰りに、また例の定番ですが、鶴商文庫に3人で寄る。店の東側のテーブルに座った。正直なところスキーバスでの万座プリンスホテル玄関前のSさんの美しさと私服姿のSさんは、天と地ぐらいの差があった。僕も同じだったと思う。楽しすぎて、帰ってきたら、またダサい30歳を過ぎた中年男(サンジユウオトコ)に戻っていた。それっきり、Sさんに会う事もなかった気がします。その後、農協でH君に会うと「もう新井さんには、彼女を紹介するのは、辞めて置く。」と言われました。えー🤨!僕に紹介するつもりだったのかと思った。
僕は、スキーも出来ます。表万座スキー場には、山のテッペンから滑り降りたこともあり。およそ数キロの直下降は、気持ち良かった。コブがないのが嬉しい。僕は、コブが大大の苦手。 
   その後の話し。まだ1年足らずで。H君は、Sさんに振られて同じ職場の農協職員の女性である、やはり総務課の○○さんとあっさり結婚💒。お付き合いしている噂も無かった。恋は、こっそり。おんみつなのか。だからあっと周りを驚かせてました。H君は、おんなの尻ばかり追うとみんなに揶揄されていた。僕はと言うと、そのあとさっぱり女性との縁が遠のく。潮の満ち引きではないが、もうすでに引き潮の時だと心の中で自嘲していました。Sさんは、ハキハキしてしっかりしていていい娘だった。しっかりしすぎて、つまらなかった。それに、僕自身の第1印象も、悪かったのだと思う。僕は、見た目が特に悪かった。挙動不審なところがありました。Sさんの方は、小学校の先生になるからと、突然藤岡市農協を退職してしまう。その後吉井町の入野小学校の臨時教員になったと噂を聞く。年数が経つと時期までは、忘れましたがなにしろ、30年近く昔なので。確か小渕恵三スキーバスからそれほど経っていなかったような気がします。もしかしたら、1年後ぐらいかもしれません。
    H君の2番目の彼女の○○さんもよく知っています。こころが綺麗な子で、優しそうでした。柔らかい話し方をしていた。何故かしら顔がブスでも有名でした。お姉さんもJA美九里のガソリン⛽️スタンドでお客様として見かけました。似てないなぁと思った。背の高さとか歩き方は、同じ。でも妹の○○さんのほうがは、頭が良さそう。話しやすくて、僕がポンと話すとまたポンと返す。機転が利く。知能指数が高いと思った。僕の話し方は、すぐに彼方こちらと飛ぶのに、付いてきた。また相手の方を笑いながら話すところが、よかった。僕はこの子は、頭がいいと思った。僕は、僕の母親もブスなので、ブスのほうが親近感が湧く。それに僕の母親が生まれたところが藤岡市美九里の本郷。どっしゃま(  土師神社 )の近く。H君の二番目の○○さんも同じ藤岡市本郷川除。通っていた小学校が母親と同じ美九里東小学校。このせいか親近感が湧くのかなぁなどと思った。そこには大相撲の土俵があり、その当時の横綱輪島と大関貴乃花親方が一緒に来たとか?( これは、眉唾物の事。作り話し。)僕は、大相撲の横綱北の海世代なんです。それに巨人の王貞治と長島茂雄世代でもある。僕は、小さい頃母親と一緒土師神社⛩に行った。電車が好きなので、八高線ばかり見ていた。子供の頃は、あの電車が蒸気機関車D51でした。黒い煙りがもくもくと神流川の鉄橋を渡るのを見ていた。音もデカくて。鉄橋を渡る途中に、汽笛をボーボーと鳴らしいた。


    僕は、女性たちとは、何故かしら垣根越しのお付き合いしかできなかった。家で親と同居していると、孤独感や寂しさを感じてしまい。早く結婚しなくては、と藁をも掴む思いで焦ってはいた。しかしながら友人たちと一緒にスキー場に行くとその焦りがなくなってしまうのです。僕は、長い間女性よりも男性が話しやすくて楽しかった。けっしてホ○ではないのですが。やはり子供の頃から、男女席を同じにせずの監修というか「しきたり」が残っていた。その辺は、みんな同じようでした。いま思うと。あのとき。こうすれば、良かった。ど思うことが多々あります。それにしても、まだ昨日のことのような気がします。もう小渕恵三主催のスキーバスから30年も経つのかと思う。月日は、百代の過客なり。往きかう年も旅人なり。
万座は、西武ライオンズ直営。そのせいかお洒落なカフェがあり雰囲気が良かった。あの頃は、景気が良かった。まさかそのあと、30年も不景気が続くとは、予想だにもしませんでした。