人知れず
吾妻の郷にも 刻過ぎて
相模の武士 流露する
遂には、檜舞台に 躍り出て
華美絢爛たる 舵取りで
まっこと見事に 煌めけり
しかも、装丁達面々に 修むるは
「死なば 土器」
「死なば 土器」
目次
第八章 平清盛
第一章 蛇神様の生贄 第九章 鵯越の逆落し
第二章 三浦の郷 第十章 源義経
第三章 文覚和尚 第十一章 京大内裏
第四章 グスクの島 第十二章 瀬戸内村上水軍
第五章 イサオ 第十三章 水軍松浦党
第六章 吾妻今様一座 第十四章 異国の地 シャングリラ
第七章 巴御前
あらすじ
ひょんなことから、頼朝は三浦一族と出会う。まだお互いに若い。頼朝は三浦の郷で歓待され、佐原十郎義連、和田義盛、三浦義村たちと、仲間になり、三浦を謳歌する。
長老三浦義明公の命により、梶原景時、漁民のマサを入れ、世の中の見分の為、旅に出る。初めて出会う木曽義仲、源義経、平清盛、後白河法皇。
頼朝達は、吾妻今様一座に扮して潜入するが、何度も窮地に立たされる。瀬戸内の村上水軍や九州の松浦党とも友好を深め、遂には、異国の大陸にも渡る。
戦いだけではなく、如何したら庶民と武士が幸せに暮らせるのかを、模索する頼朝を描きました。なるべく史実に基づいて書いています。
が、ライトノベルとして創作されたものです。
【 登場人物 】
■主人公は、源頼朝です。
■三浦一族の若頭、佐原十郎義連。
■三浦一族、一の知恵者、三浦義村。
■三浦一族と共にいる、マサ。
■三浦一族、一の強者、和田義盛。
■友であり、お目付け役の、梶原景時。
この六人が、吾妻今様一座として、旅をします。
■文覚和尚 社会の師 ■源義経 頼朝の兄弟
■三浦義明 三浦一族の長老 ■木曽義仲 頼朝の従兄弟
■三浦義澄 京三浦邸の主 ■後白河法皇 時代のフィクサー
■定 瀬戸内村上水軍 ■平清盛 平家の統領
■正 九州松浦族 ■平時忠 平家の暴れ者
■平宗盛 平家一の切れ者
■巴御前 木曽の女傑
■静御前 京の白拍子 ■吉次 奥州藤原家の商人
■北条政子 頼朝の奥方
第一章 海蛇神様の生贄
壱
ーーまさに暗闇。
その闇に浮かぶ血走った目、皺だらけの目、怯える目、異様目、……目。
時折、襲い掛かる波音に掻き消されながら、咽びが。いや、しゃがれた声が、確かに聞こえた。
「……だれぞ、火を」
パチパチと揺らぐ灯りが、囲炉裏を囲む年老いた漁師たちを、浮かび上がらせた。
「……困ったものじゃて」そう呟くと、深く項垂れる。
寄り合いとは愚痴の言い合いで、自分は決して悪いとは思ってなく、後は神頼みなのである。
「何か……やはり、方策は……」
溜息や舌打ち、弱愚痴、深い息が、この小さな漁師小屋に充満した。年寄りたちは既に力尽き、悵然としている。ここに集まったのは、何か良い案を持って来たのでもなく、希望が有る訳でもなかった。只々、娘や姪っ子が可愛いのである。只々、悔しいのである。年寄りたちの目は、真っ赤に震えている。それでも刻は、何時も無常で、規則正しく過ぎて行く。まるで、波が刻を告げるように、押し寄せては消えていく。諦めが漁師小屋を支配しだした。皆が押し黙っている。長い刻が経った。
まさに亡羊の嘆、極まった時、薄暗い片隅から声が聞こえた。
「……我らが、助太刀いたそう」遂に我慢できずに、頼朝は言葉を掛けてしまった。実は夕刻より、藁に隠れて、盗み聞きしていたのである。
源頼朝は、十年近く前に、処刑を許され、伊豆に流されて来た。その見張り役としての梶原景時とは、【佐殿】、【景虎】、と呼び合う仲で、二人は毎夜、遊び歩いていた。
昨晩も、お目付け役の比企氏と北条殿、そして景時とで、いつもの様に頼朝は飲み歩いていた。それは、何軒目かの茶店で、漁師達が集まり、喚いていたのである。
「そりゃ! もう、びっくりしたもんさ、いつの間にか、萱の屋根に白羽の矢が刺さっていたんでさ。……驚いたなんてもんじゃねえ」
一頻り吐き出すと、酒を呷った。
漁師の話では、どうやら海蛇の神という者が居るらしく、数か月毎に生贄を求めて、この伊豆に来るという。白羽の矢が刺さった家の娘を、人身御供に差し出す慣わしで、それが明晩だと言っていた。
それを聞いた頼朝と景時は、目を合わせてほくそ笑む。
「だめであるぞ! お二方。立場があるだろ!」と、止める比企氏と北条殿の声を無視して、頼朝と景時は寄り合い場所を聞きだしている。
比企氏が正しい。頼朝は流人であるし、景時は、そのお目付け役なのである。しかし頼朝達は暇を持て余していた。配流されているとはいえ、頼朝は源氏の若である。待遇は良く、相変わらずの京衣紋を綺羅に着こなす洒落を、若い娘達が放ってはおかない。その娘達に群がる若武者も多くいた。
景時も、その一人だったのである。鎌倉では、梶原家の若で、武術にも長けていたが、芸能にも秀でていた。武士百人一首にも選ばれる程、才能豊かで、舞や唄も優れている。頼朝よりは少し小太りではあるが、なかなかの洒落者で、頼朝は結構気に入っていた。
その景時が頼朝に傾倒し、莫逆の友になったのは、頼朝のお目付け役として、伊豆の祭で起こった事件が切掛けだった。
何時もの様に、娘たちと騒いでいた頼朝達の前に、数人の無頼漢が現れ、刀をチラつかせ絡んできた。普段なら、これで十分に無頼の恐喝は成功していた。何故なら、此処吾妻では暫く戦は無く、若武者達の挿している刀は、飾り物になっていたからなのである。
しかし、頼朝は違っていた。西国では、父、義朝に従って、何度か戦陣に出ていたのである。無頼の刀ごときに狼狽える頼朝ではなかった。静かに刀を抜き、微動だにしない正眼の構えは破落戸達を震え上がらせた。その後、景時達に一目置かれ、尊敬されたのである。
景時は鎌倉に戻らなくなり、毎晩、頼朝と飲み歩くようになった。数年は、多少事件があったが、最近は、ただ飲み歩くことと、娘たちを揶揄うだけで、
ようするに、暇を弄んでいたのである。
「……それで、何処なんだ? 祭場は」
矢継ぎ早に、頼朝が年寄りに詰め寄った。
「だれぞに? おめえさん方は」驚いた漁師が訪ねた。
「そんなことは、どうでも良いのだ」今度は、景時が飛び出した。
「解っているんだべーな? 海蛇様だぞ」
鋭い慧眼が、頼朝と景時に向けられた。
「だから……なんだ。……海蛇だろ? 何なのだ、助けよう、と言っているのではないか」 年寄りの威圧に辟易ろぎながら、景時が答えた。
年寄りの漁師は、訝しい表情で、じっと見詰めた。
「おめーさん方は、どうせ遊び半分なんだろうが、わしらには生活と命が、かかっているんだ……」
煩わしく、構わないで欲しい、といった態度に、得心がいかない頼朝が直截に尋ねた。
「助けたくはないのか? 可愛い子供たちを見捨てるのか?」
年寄りたちは寝聡いから目を覚ました様に、頼朝を見つめた。
「確かに、娘たちの何人かは戻らないが、大抵は記憶を無くして、帰って来るだ。本当に怖い思いをしたんだべ。そっとしておいたら、大体は元気になるのさ。命冥加というものさ」
「それで良いのか? これからも、永遠に続くのだぞ」
毅然とした態度で、謹厳実直な弁舌が、漁師達の心を捉えた。元より純朴な年寄り達なのである、娘たちを助けて貰えるならば、それはもう神様扱いなのである。
頼朝と景時は、暗い荒磯を急いだ。西を背負う伊豆の夜は早い。その分、暁の海は見事だ。京や蛭ヶ小島で過ごした頼朝にとって、白砂青松の朝朗は、桃源の夢、其の物だったのだろう。心の拠り所になっていた。
「その海を生贄などとは……許せない」
夢を汚して欲しくは、なかったのだ。
「……もう一度聴くが、我らは良いことをしよう、としているのだよな?」
苦しい息を吐きながら、景時が訊ねた。
「たとえ、海蛇が海の神様だろうと、漁民を泣かせることは、許せない……拙者が思うのに、良いか悪いかは難しい。その行いでどれ程の人が喜んで貰えるかが、問題なのではないだろうか」
頼朝の決意は、揺らいでなかった。
「……以前に、写経をしていた時、寺の和尚が言っていた。人の成長を妨げるものは悔やみらしい。人は、どんな時にも判断を迫られ、勿論、人なのだから、間違った判断をしてしまうかもしれないが、それが、己自身の判断の結果であれば悔いはない、と言うのだ」
「そ……そうだな。その通りだな。……己の出した判断に、正直にいるのだな」
景時は千思万考の末、判断したかの様に、自分自身を納得させていた。
今宵は、満月大潮である。驚くほど海が引いていて、走り易いのだが、言われた洞穴がなかなか見つからないでいた。
「可笑しいとは思わないか? ……海蛇様は、よく、この伊豆に出現するらしい、しかし一説によると、海蛇を見た者は、必ず殺されるという。……では何故、海蛇のことが知られているのだ……解らない」景時の独り言に付き合わずに、頼朝は走った。頼朝は、この状況が妙に気に入っていた。
清爽の気が漲っている。不思議なことに、無駄かもしれない情熱、勝か負けるか、成功するか失敗するか、それは分からない。しかし、それに向かって直走りに走る己を、頼朝は好きだった。
磯に出来た溜りを、いくつも飛び越し、盗人狩りの様な崖を駆け下り、次の入江こそと信じ、二人は急ぐ。大きな岩肌を回り込み、崖を背負った入り江に出た時、景時が叫んだ。
「……あれでは、ないか?」 そう言うと、二人は身を伏せた。
一町程先に、大きな赤い目が闇に浮かんでいる。よく見ると、大蛇が鎌首を擡げている様にも見える。
「……やはり、蛇神様か!」 諦観の境地に陥ったように、景時が唸った。
「もう少し、近づいて観ようではないか?」 そう、頼朝は呟いて、大蛇に忍び寄った。大きな岩礁が幾重にも連なるこの磯では、十分に身を隠しながら、大蛇に近づくことが出来た。
透かさず景時が獅子奮迅の勢いで、海蛇の鼻先に躍り出て斬りかかる。
しかし海蛇は微動だにしない。
「……なんだ! これは」景時は驚きとも、恐怖とも付かない声を発した。
ボー然としている景時の腕を掴み、頼朝達は大蛇の中に入って行った。
「凄いな、これは!」
然しもの頼朝も喫驚し、それでも平然を装っていた。
「……これは、海蛇では、ないな!」景時が言い放つ。
「そうだな……多分、舟だな」 少し戸惑いながら、頼朝が答えた。
「確かに、帆も、漕ぐ櫂や艪もないが、舟だと思う。面白いのは、この船の骨だな。木柱ではなく、多分、金物を使っている」
十人も乗ると一杯になるぐらいの、それ程広くない船内を興味津々で見て回り、船底や船壁を手で触りながら、二人は丁寧に確かめていた。
「……重そうだな、本当に浮かぶのか? 大体どうやって、この岩場から海に出すのだ……本当に、舟なのか」
怪訝な顔の景時が、妙な音を聞いたのは、その時だった。海蛇の後方にある洞穴の奥から、うら若い娘たちの楽し気な奇声が聞こえてくる。
「おいおいおい! 何なのだ? あれは生贄というよりも、宴を開いている、といったところだぞ」
「……そうだな。どうなっているのだ?」
二人には、事情が分からず、呆然と立ち尽くしていた。二人が、なかなか船から降りないでいるので、遂に見張り番が戻って来てしまった。
「誰だ? てめーらは」
襲い掛かる見張りを、逆手に取って、宙に飛ばしたのは、景時だった。
「こんなものか? 海蛇神とは……」
大きな物音に、数人の賊が集まって来る。
「止めたほうがいいぞ! 貴様らが敵う相手では、ないぞ!」
「怪しい奴らだ、油断するなよ」
身構える賊に、景時が言い返す。
「怪しいのは、貴様達だろう。何処の者なのだ? 何の目的で集まっているのだ」
「問答、無用」
次々と襲いかかる賊に、頼朝と景時が応戦する。しかし、蟷螂之斧の様な賊が敵う二人ではなかった。
「景虎! 殺すなよ……こ奴ら、若いぞ!」
息も上がり、兜を脱ぎかけた賊に頼朝が射竦めた。
「そろそろ、良いだろう。貴様らでは話にならない。頭を呼んでこい!」
それでも、二人を逃がさないとばかりに取り囲んでいた賊だったが、諦めたのか、賊の一人が、洞穴の奥へと走って行った。
程無く、頭を呼びに行った賊が戻って来た。その後から、もっと若い族が二人、ブツブツと文句を言いながら、洞穴の奥から現れた。
マサと三浦義村、十五歳と頼朝の初顔合わせなのである。
この二人が、頼朝の亡き後、北条氏執権制度の立役者になるのだが、それは、まだ少し後の話になる。
弐
「……で、なんなの? あんさん達は?」
不意に呼び出されて、面倒臭そうに義村が訊ねた。
「なんなの、じゃないだろう。何をやっているのだ、お前達は?」
現状が理解出来ず、苛立ちを隠し切れずに景時が喚いた。
「あんさん達には、関係ないことだから……」
「関係があるとか、ないじゃないだろう。人として如何なんだ?」
「人って、……え? ははは……」
義村とマサの笑いに釣られて、取り囲む賊が一斉に笑い出した。
「……何が可笑しいのだ。我らを愚弄するのか?」
景時は、刀に手を掛ける。
「そうですね。あんさん達は、まるで分っていないようだ」
「それでは訊くが。生贄と称して、漁民の家々に白羽の矢を射ったのではないのか?」
今度は頼朝が、悠揚な態度で訊ねる。
「生贄? ……? ははは……」
此れも又、賊たちの笑いを招いた。
「何が可笑しいのだ!」
遂に、痺れを切らした景時が刀を抜いた。いや、景時よりも早く、頼朝が義村に切り付ける。義村は横腹を切られて、血を流し、倒れる……筈だった。 が、実際には無傷で、義村に頼朝は咽喉を、小刀で突き付けられていた。
「……何故なのだ?」
戸惑っていた頼朝と景時は、マサ達の岩で殴られ、気絶させられた。
「まったく、何を手間取っているのかな?」
取り巻く賊の後ろから、佐原十郎義連と和田義盛が現れた。
「やっとの、御越しですか?」
嫌味を言いながら義村は床に寝そべって、倒れている二人を指差す。
「いやー、何時もながら、お見事なお手並み、御苦労。御苦労」
拍手をしながら、義盛は義村達を労った。
「で、誰なのだ。……何しに来たのかな?」
「知りませんよ。やたらと正義感ぶって説教し、刀を抜いてくるものだから」
憮然として、義村は言い放つ。
「それにしても、二人とも良い身形をしているじゃないか……あれ? 見た様な顔だな?」
義盛は幾度も二人を見、思い出そうとしている。
その時急に、若い娘が洞穴の櫓から走って来て訊いた。
「宴は如何なるの? 皆して出て行ってしまうんだから……いつ戻ってくるの? 早く戻りましょう!」
十郎と義盛の腕を掴んで引き戻そうとした時、十郎が呟く。
「何故、こんな処に居るのじゃろう? 此奴らは、鎌倉の若と源氏の若じゃ。参ったな! ……取敢えず、今晩の宴は中止じゃな」
「嘘でしょ! 皆がどれだけ苦労して此処に来たと思っているの。冗談じゃないわ! 親達に内緒で、その上お爺ちゃんまで騙して、コッソリ! 落ちそうになりながら、萱の屋根に登ったのよ! 隠し持っていた白羽の矢を刺し、合図を送って。それはもう、大変な思いをしたのよ! ……朝までは楽しみたいわ!」
凄い剣幕である。これには、三浦の海賊達も狼狽させられた。
「そうだ。その通りだ。お前たちの気持ちは、十分に分るぞ! なあ、俺が皆に話してやるからさ……皆の処へ行こうな」
義盛は、そう言うと、娘の肩を抱いて洞穴の奥へと消えて行った。
「で、如何します? 此奴らの始末は」義村が十郎に訊ねる。
「そうさな? ……考えたのじゃが、源氏の若は源氏贔屓の義明爺の処が良いじゃろうな、海蛇船で一緒に連れて行けば良い」
「して、も一人は?」 義村は、十郎を覗き込んだ。
「此奴が問題じゃて……、二人して行方知れずでは戦になってしまう。 ここは一つ、娘達を助けた英雄として、娘達と一緒に帰って貰おう。
源氏の若は、我らが大事に預かったと伝えたら如何じゃろう」
「それで、良いのではないですか」
義村は取り囲んでいた何人かの賊に指示して、頼朝を海蛇船の中に運び入れた。
暫くして十郎の足元で、景時が目を覚ます。
「やっとの、お目覚めかね」
十郎に気が付いた景時は、慌てて刀を探した。
「ああ、刀は危ないので我らが頂いた。後で戻すので心配しないで貰いたい。どうも義村とマサが乱暴を働き、申し訳ないことをした」
泰然と構え、穏やかに話す十郎に、少し安心した景時は、地べたに胡坐をかき、聞き返した。
「お主が賊の首領か?」
十郎も地べたに座り対峙して答える。
「此処では年長者じゃが、首領ではない。どうも、誤解をしているようだが、我らは、この海の向こう岸で群居し、大介を拝領されている三浦一党じゃ」
景時は、賊が三浦一族と聞いて驚く。
「話には聞いておったわ。三浦一族とは、お主らのことか……拙者は……」
「知っておる。鎌倉の梶原殿じゃろ」
「そうか。それならば、話が早い。お主らは、何を此処でしているのだ」
「お恥ずかしい話だが、酔狂な事に、娘たちの頼まれ事で、月一、遊んでいるのだ」
「どういう訳なのだ?」
「事の始まりは、海に飛び込んだ娘を、偶々通りがかった我らが助けたからなのじゃ。訊くと、娘は古くからの漁師の家で、毎日が、朝早くから海で仕事して、家事洗濯に追われ、一年中真っ黒に日焼けして、顔も手も罅割れ、ガサガサで醜く、死にたくなったらしいのじゃ」
「そうか、漁師の身内も大変なのだな」
考え込んでしまった景時に、十郎の説明が続く。
「そこで我らが宴を開いてやろう、という事になった。娘たちに白羽の矢を渡し、遊びに来たい娘が、自分で屋根に登り矢を刺すのじゃ。月一度、命の洗濯という訳じゃな。もっとも我々としても、遊びが嫌いではないのでな、利害が一致した訳じゃ」
「それでは、生贄の話は?」
「そんなもの、ある訳ないじゃろう」
「怖い思いをして、記憶を亡くした娘がいるようだが」
「我らの事が、知られない為の工夫じゃ」
「戻らない娘もおるようだが?」
「その事は困っているのじゃ。娘の中には、帰りたくなくて、三浦の里まで付いてくるのじゃ……色々、説得はしているのじゃが」
「蛇神様とは、何なのだ?」
「蛇神?……あ~! あれは、我らの船じゃ。我らは、潮の流れや風の動きを熟知していて、大きな帆など必要なく、小さな艪で思うがまま、船を勢い良く操ることが出来るのじゃ。遠目には、海蛇が海を渡っている様に見えるのじゃろう」
十郎の説明、一つ一つに納得する景時であった。
海蛇船が、伊豆の入り江から海に漕ぎ出された時、頼朝は気を取り戻した。
「……此処は?」
「大変、御無礼を働いてしまい、相済まなかった」
狭い船内で、三浦一族に囲まれては、身動きが取れない頼朝である。
「拙者を、如何する積りなのだ?」
「手荒な事は考えていないので、ご安心なされよ」
十郎は先程の景時との遣り取りを説明し、景時が娘達を連れて里に帰った事を話した。
「そうだったのか……それで、拙者を何処に?」
「我らの長、義明爺は貴殿の父君、義朝公に参じて戦ったほどの、源氏贔屓なのじゃ。是非、三浦の里に来て欲しい、と思っているのじゃ。帰りは、明日にでも送らせるので、それまで義村とマサに面倒を見させて貰いたい」
十郎の綽然とした態度は、頼朝の十分な信頼を克ち得た。
頼朝は十郎に言われるままに、海蛇船を見学する事にした。
「しかし、漕ぎ手も大して居ないのに、凄い速さで走るものだな、この船は」
「海は生き物で、何時も元気に動いているものなのさ。潮や波、風に逆らわず、身を任せれば何処にだって、連れてってくれるのさ。もう、一刻もすれば、三浦の里に着くのさ!」
義村の説明に、マサが頷き返す。
「そおさ! 我らは海の子さ!」
「不思議に思うのだが、この船の骨は、通常の木ではなく、何なのかな?」
好奇心旺盛な頼朝の質問が続く。
「鋼とは言わないが、黒金の一種かな……兎も角、金属さ。強いぞ! 船ごと体当たりすれば、敵の船は木っ端微塵さ」
「そうか、聞くもの全てが、驚くものばかりだな……そういえば、先程の立ち合いで、お主を確かに刀で切った。何故、生きておる?」
「ははは! それも黒金のお陰だな」 義村達は、顔を見合わせて喜んでいる。
「我らは皆、常に鎧帷子を身に着けていて、刀などでは殺されないのさ」 と言いながら、義村とマサは袖を捲し上げた。
「我らの祖先は伝説として語られている人物で、名を足名椎、手名椎という、その翁と媼は須佐之男命に娘の救出を哀願し、八俣の大蛇を退治したのさ」
頼朝は、深く興味を持った。気を良くした義村が喋り続ける。
「大蛇を退治した時、神社に祭られている【草薙の剣】が、尻尾から出て来たそうさ。その剣は我らの祖先が造った、とも云われている。日本武尊が東国征伐に行った時、相模の国で騙され、焼け死ぬ処を周囲の草を切り払い、迎え火で助かったという言い伝えは、我らの祖先が、既に草をも薙ぎ切れる程の刀を、造れる技があったという事なのさ」
「という事は、お主らの祖先は鍛冶屋という訳か?」
「そうだな……錬金術師という言葉を知っているか?」
「聞いたことは、ある」
「それに近いのではないかな……何れにしても、この帷子は、とても軽く強い。滑らかで、繊細な造りは絹の様な輝きを見せていて、我らの自慢の武器なのさ」
頼朝は、感心するばかりである。
「素晴らしい物だな。それと、海蛇の目の様に赤く光って、この暗い海上を照らしているのは松明か?」
「そうだが、油が違うかな……我らは油も熟知していて、先程の黒金を焼き入れる時も、水だけだはなく、油や酒がものを云うのさ」
油と黒金そして帷子。まるで違う世界に居る気分の頼朝だが、それ以上に、一回りは若い義村とマサの豊富な知識と説明に、驚かされたのである。


