歌舞伎について | 新井学院(橋本)~時に先生と生徒の邂逅も人生の転換点になりうる~

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新井学院埼玉県さいたま市/北浦和)の橋本(英語&日本史講師)によるブログです。
内輪ネタは非公開とするため,誠に勝手ながら,アメンバーはメールまたはメッセージにて実名を名乗って下さった方のみ承認しています。

 歌舞伎についてといっても専門的なことは何も書けませんが、毎月歌舞伎座や新橋演舞場に足を運んでいる身なれば、素人目線なれどもその魅力の一端でもお伝えできればと思います。


※歌舞伎座にて撮影 


 歌舞伎ってのも残酷な世界です。

 成田屋とか中村屋とか萬屋とか言って歌舞伎俳優はほぼ世襲です。

 現代の我々に許されている職業選択の自由がありません。

 子役や下積みから始まり、一生その道を歩み続けることが宿命づけられています。

 今月中村獅童の三男夏幹君(3歳)が初舞台を踏みました。もちろんセリフもある役でしたが、彼には生まれつき両の小指が欠損しています。


 歌舞伎界と好対照を成すのが芸能界です。

 後者に属する俳優は終始生存競争に晒されてまた別の残酷な世界に生きています。

 魅力が剥落したり人気が凋落したりすれば、否応なしに表舞台から去らなければなりません。

 一生続けたくても続けられない辛さと、一生続けなければいけない辛さの対照です。


 その著しい対照が、演劇の性質を二分します。

 歌舞伎俳優は、たとえ身長が低くても、ルックスに恵まれなくても、お客さんを魅了し続けなければいけません。

 そこに求められるのは果てのない修行と研鑽です。

 何度も撮り直すことができない舞台で常に一発で決める正確さや迫力です。

 中には運動神経の優れない役者もいるでしょうが、若手なればこそ舞台どころか狭い花道でバク転宙返りをやってみせねばなりません。

 これが世襲という看板を背負った芸事の求道魂です。

 近松門左衛門や河竹黙阿弥の手になる大家の脚本を、一介の役者に合わせて手加減するなんて愚かな真似はできねえのです。

 一生かけてでもその役になりきるための稽古を積むしかないのです。


 歌舞伎俳優は伝統的に全員男性なので男役と女役とに別れたりしますが、下積みの時代は両方こなします。

 50代の中村獅童ですら女役が回ってくる幕があったりします。

 女・男の違いだけでなく、大名・武士・商人・僧侶・盗人といった身分の違いが、服装だけでなく挙措や仕草から完全に調和しているのが歌舞伎の世界です。

 一昨年13代を襲名した市川團十郎は来月の公演で1人13役を演じます。

 次々と全く別人に扮して物語が進行することでしょう。


 歌舞伎と言えば大掛かりな立ち回りや一つ一つのポーズのカッコ良さもさりながら、スポットライトが当たっていない脇役が微塵も動かず同じ姿勢を保ったまま背景となっているのも特徴の一つです。

 動と静の一糸乱れぬコントラストは見事です。


 最後に歌舞伎を鑑賞する際の私の好きな席を書いておきます。

 とちり席といって一番見やすいのは1階中央の真ん中ですが、もちろん予約するのは困難です。

 歌舞伎では、右側上手、左側が下手になります。

 舞台上の役者から見ると左右が反対になるので、古来のしきたりに従って左が上手、右が下手になり、花道は下手側に通っています。

 混乱しないように観客の視点での左右に戻しますが、大物役者は舞台の左(下手)側に陣取って、右(上手)側に表情を向けている割合が極めて高いです。

 花道でもほとんど前か右に顔を向けます。

 とはいえ(桟敷席を除く)上手側に座ると常に顔を左に向けなければいけないため首筋が疲れます。

 そこで私の好きな席は花道の内側です。

 ただそこも取れない場合はいわゆるドブ席といって花道の外側にします。

 とにかく役者の表情が間近に見えるし息遣いも聞こえ、立ち回りの場面では着物の裾が触れそうになります。

 これが二階席や三階席になれば話は違います。下手側は花道が見えなくなるからです。

 中央から上手側の一列でも前列の席を取るのがいいでしょう。