雑感記 2024/05/09


春なのに冬のように雪が降った土地があって、天候が崩れて、天候が崩れたお陰で、それで体調が悪いと責任転嫁した。


 空手の修練は剛柔流のセイユンチンという型がようやくできた。基本を徹しつつ行えば、越えらない坂はないのかもしれぬ。小学校時代松濤館で慈恩を覚えず辞めた。感情のコントロールが苦手だったからである。道場杯や地区大会は優勝できたが、生活で使ってはならないので、ケンカになったら明らかに不利益なのはこちらだった。高校もずっと嫌がらせで便所に呼び込まれてこっちが返り討ちにしたら謹慎食らった。


 小学生にイジメなどしないのは、自分が痛いことや辛いことを教えて、加害者にならないよう自制させるしかないだろう。イジメるほうも家庭が問題があるが、極論フランスのように転校させるしかないのだと思う。


空手を習ってから行きたくない日もコツコツ公民館へ行く。それが成長と自信の鍵だと思う。嫌な日も感情に負けないで継続させるのが、この何年かの力になった。


沖縄剛柔流は那覇手といって、首里手系の松濤館、糸東流、和道とも違う、日本剛柔流も引き手が腰の位置になる。那覇手は引き手が乳の高さである。


空手の型も独特な感じで、古風な印象的を受ける。

魅せる型より、実践的というか、危険な技が沢山入っている。


宮城長順先生の息子の敬先生に大山倍達が罵って破門になったときく。


どこまで自分が空手を継続して出来るかだと思っている。