昭和50年(1975年)も6月。空はどんより曇り。雨も多く、職員たちは

「洗濯物が乾かなくていやだわ」という。だれも散歩もできず、テレビとラジオで過ごす。民放は歌謡曲やプロ野球情報のほか、新婚さんや、これから結婚を目指すカップルの甘い会話を流す。「おたがいにやさしいから好きになり、結婚するの」。十年くらい前の若者たちは政治や経済の話をよくして、恋愛も年齢や家柄を越えた激しいものが多かった。今は高校生からマイホームを夢見る者も増え、政治の話はしない。同じ日本でありながら、別社会みたいになってしまった。その世相の中、シマハタの職員たちは御縁を作る機会がななく、身障園生たちはもっと絶望的である。それ以前の問題として、すべての園児、園生は個室はなく、家族でもないのに、雑居しているわけである。プライバシーなどはない。憲法にある『基本的人権』との兼ね合いはいかがなものだろうか。...。

  高田勝男はひらがなタイプを常に打つ。ある時は故郷新潟の祖母あてに、童話作りのために、そして、恋心感じた相手の女子職員相手に。半月前から浅黒い肌の金城八重子が好きになっていた。

 

  「わたしは やえこさんがすき」。

普段なら三分しかかからないものを一時間かけて無言で書く。短い文に千金の想いを込め。

 男の職員に二つ折りにしてもらい、相手の金城八重子に渡す。金城八重子は二十六歳。恋愛の強さ、悲しさは知っている。琉球生まれの父母からも、琉球の恋伝説も聞かされて育ったわけだし。しかし、自分の息子のように思い、育児するように世話してきた高田勝男に愛の告白。一切が想定外であり、心に落雷があった感じである。赤面もした。恋愛の先にあろう、その結婚生活も考えられない。眠れぬ夜を過ごした。朝、答えを決めた。

     「私もシマハタの人たちのみんなが好きよ。シマハタの人として高田君も好き。恋人なんかではなく。高ちゃんも皆から好かれているから、そのうちにきっといいことがあるわよ」

 やんわり断った。その気持ちは高田勝男はわかり、寂しい想い。外は梅雨の雨。ラジオからは「悲しき雨音」の英語の歌が流れていた...。