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荒井広幸 草の根 ブログ

荒井広幸(あらいひろゆき)参議院議員 オフィシャルブログ

・6月26日(日)東京新聞は、各党の「原発再稼働」への姿勢を「容認(自公)」「より厳しい条件をつける(民進・おおさか)」「一切認めない(共産、社民、生活)」と三つの立場に分類した。(二面「公約点検2016 参院選」)
・私達「改革」の立場については比較表のなかで、「原発再稼働や新増設、輸出は行うべきではない」と簡単にまとめただけで、それ以上の言及はない。
・私達は公約「約束 2016」において、「超・原発社会へ」という項目を立てて、詳しく「脱原発」の理念と実現への道筋を語ってきた。
6月15日の郡山駅前における街頭演説では、「民進」「自民」の候補が「福島県内における原発全基廃炉」と、「福島県だけ」に限って訴えていることを強く批判した。原発事故により、いまなお多くの方々が避難を余儀なくされ、広範囲の汚染に苦しむ福島だからこそ、日本全国の「脱原発」を訴えるべきである。
・荒井代表は「原発を進めてきたから、その責任があり、お詫びし、その反省を「脱原発の具体策」としてまとめているのだ。

これはは新党改革のゆるぎない根本姿勢であり、参院選への方針表明を行った記者会見(5月6日)でも、強く訴えた。



また、脱原発の理念実現に向けて、家庭用燃料電池の加速度的普及、各家庭が電気の生産者となる「プロシューマ」型社会の在り方を提案して来た。「脱原発」を掲げながら、漠然と「自然エネルギーを」というだけでなく、具体的な代替電源のあり方を示してきたのは「新党改革」だけである。
国会での荒井広幸代表の提案を、もう一度見直し聞き直し読み直してください。
真意が通じていないのです。


安全な原発も、安全な避難もありえない 

平成28年7月2日
原発事故により今なお全町避難が続く富岡町
現在は16時までの一時滞在だけが認められている。
除染を進め来年には住民帰還に向けて避難指示を解除する方針である。

人工透析治療を行っていた富岡クリニックを訪問。
クリニックの中は、2011年3月11日の大震災当時のまま。
3月12日、町からの「原発事故がおきたらしい」という情報により、町民は緊急避難した。

このクリニックでは人工透析を必要とする患者の方々が治療を受けていた。
避難のため、透析患者は透析の途中で治療を中断しなければならなかった。
避難先でも治療を受ける医療施設を確保することは困難を極めた。
にもかかわらず、避難した透析患者の方々に対し東電からも国からも特別な賠償も、謝罪もないままで
きた。

原発事故が起きたら、本当に避難できるのか。
わがこととして受け止めて考えたい。
だから、あらためて原発のない社会を本気で目指す。
もう一度、富岡町の人工透析室から訴える。

平成28年6月30 日
荒井広幸代表 学生との対話。国立公文書館の見学を終えて。

学生たちは皆、公文書館の見学は、はじめて。

文書を国が保管して、後世に伝えることの意味について語り合う。
外交機密などすぐには公開できない文書も、公文書館に保管しておく。
そして後に、歴史を検証できるように一定期間をおいて公開することになっている。

歴史文書や歴史的人物の直筆の書類が、保管されているということに新鮮な驚きを感じた学生たち。

公開された過去の文書が、今の社会にどんな影響を与えるのかが重要。
歴史文書で、過去の政府の過ちが暴き出されることもある。それをどう受け止めて今の社会にいかすのか。
自分たちに問題意識がなければ、保管され公開された文書の意味に気づくこともできない。

国会の質疑はVTRでアーカイブに残し、議事録は保管されている。
今では当たり前になったことだが、これも歴史のなかで議論を経て公開されるようになったもの。
これらの生きた歴史に、自分たちがどう向き合うか、考えてほしい。

憲法の解釈変更について、
保育士や介護士の褒章について、
18歳投票権をどう行使するか

今学生たちと考えたい問題を、ディスカッション。

荒井代表の地元福島(郡山駅前)での第一声です。
東日本震災から5年、原発事故で避難を余儀なくされ避難した事が原因で亡くなられた方も、政府は未だに自然災害関連死の扱いである。
原発事故死と認めないこのまま、本当の災害復興はあるのか。
本当に福島だけ原発廃炉で良いのか。

『改革という選択』 今回の選挙が日本を変えるチャンスであることを訴える。

みなさん、こんにちは。
新党改革のスタッフです。この選挙に臨む前のスケジュール(6月14日火曜日)で一番評判が高かった集会の模様をご紹介します。
日本の国会の歩み、憲法の歴史等の重要な資料を展示してある憲政記念館において、十数名の若者と荒井広幸代表が大いに意見交換しています。
なかなか”深い”ものがありました。