実はその昔、公的な意見を「輿論」と書き、世間の空気をこれ「世論」と書いたそうなのだ。ではでは何と読むべきなのか。
ちょっと待って下さい。そもそも戦前までこの2つは別の言葉だった。輿論とは、五箇条の御誓文の第―条「広く会議を興し万機公論に決すべし」の公論であり、坂本竜馬の「船中ハ策」の、万機宜しく公議に決すべし、から採用されたようで「公議輿論」の略語で公開討論された意見、公的意見の意味をもつ言葉(言霊)なのである。
世論は、「軍人勅諭」1882年明治15年発布、にあるようで「世論に惑はず、政治に拘らず・・・」とありセイロンと読んでいた。公論とは対極に「私に論ずること」とされた。
普通選挙法成立につながる政治の大衆化の中で輿論と世論の区別は曖昧になったようだ。社会党委員長として初の総理になった片山哲氏の国会演説(1948年1月28日)の中に、「納得と輿論によって世論を動かす民主主義の原則からいたしまして・・・」とあり意見(輿論)によって感情(世論)を制御するのが民主主義の原則だと説いていると佐藤教授は言う。
このまま続けるとくどいオヤジの酒飲み話の恐れありで、結論に入る。
セイロンからセロンと読まれるようになり、もともとのヨロンという輿論の意味づけに回帰するよう、一人一人が自分の気分や感情と、世の中の空気に磨きをかけ付和雷同のセロンから責任あるヨロンをつくりだす努力が必要なのだと痛感する。
マスコミ各位もセロン調査よりも自ら責任をとったヨロン、視聴率や販売数量によるスポンサーを意識し、セロンにおもねることなくオピニオンリーダーたる意見や智恵(ヨロン)を示して欲しい。我々政治家も「ヨロン」を形成できるよう、情報開示や政策提示を行い皆さんの意見を聞くよう精進努力することを誓う。
・荒井広幸 Webサイトは以下のリンクから
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