Blankey Jet City / 悪い人たち | しげる((あらはちく))はこうしてできている

しげる((あらはちく))はこうしてできている

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とりあえずさらけ出せることはさらけ出していくことが
ときには必要なんですよねwww~^^

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こんにちわふたぬ~ん♪




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とうとうしげるのお盆休みも最終日で

連日のお出かけ三昧によって

今日は起きられなかった、、、




気づけばもう昼^^





そしてメシを食ったり洗濯物を干したりして

もうこんな時間、、、いけね、、、ブログ書いてない、、、



そういうことです!




昨日は相変わらずロメさんは来られなかったけれど

ミキさんと二人でこの3人の絆のようなものは

充分に確かめてきたつもりです♪




かといってホントは今日からまた音楽に邁進すればいいんですが

そこを何も動かないことがしげるのしげるたるべきしげるらしさか、、、





さてさくさくっと書けるかどうかは甚だ疑問ですが

この休み中に書きたいと思っていたBJCの楽曲



やっぱり少しでも触れておきたいと思いました!


「悪い人たち」




この曲をしげるが初めて聞いたのは

2月に手に入れた彼らの1998年のベスト盤のライブテイクでした!







国境線上の蟻(1998年)





このとき、この曲が彼らの代表曲みたいなことを知ったわけで

3拍子で淡々と10分以上に及ぶライブテイクを

とにかくちょっと反発気味に聞いていました、、、




つまりよくありがちなメッセージソングというか

侵略するものとされるものへの批判というか

さもありなんというような感覚で聞いてしまったのと

あまりにも毒があるようでないような優等生的なというか

ちょっとBJCのこの面はいいかな、、、みたいな、、、





例えば当時シングルで自主発売みたいな感じで

この曲をインディーズから発売したらしいですが

既にデビューして2枚のアルバムとライブ盤を1枚出したあとの

ちょっと社会に対する反骨精神的なものだったようで

そういうもので代表曲なのか?なんて勘ぐったり、、、




現に次のアルバムに収録する際は

オリジナルのシングルにあったストリングスは削られ

歌詞の一部も音を消されてのリリースだったようで

まぁレーベル側の自主規制みたいなものもあったようです!







C.B.Jim(1993年)





その部分は



”セックスに明け暮れて麻薬もやりたい放題”



の”麻薬も"が消されています




よくよく考えればどうでもいいようなことかもですが

やっぱり一般的にリリースされる際の影響を考えたのかもしれません




だからこそ自主発売したともされていますが、、、







で、「国境線上の蟻」に収録されたライブテイクでは

ストリングスも演奏されてその部分もしっかりと歌われていますし

1995年にリリースされたシングル集では

最初の完全版の「悪い人たち」が収録されていますから

最初からそんなに騒ぐ必要もなかったのかもですね、、、







The Six(1995年)





で、こういう裏事情も含めて

しげるはさもありなんと思いながら

どこかさめながらそれでも聞き続けてきたわけです☆







”悪い人たちがやってきてみんなを殺した

理由なんて簡単さ そこに弱い人たちがいたから”


こんな歌いだしの歌詞から
悪い人たちのあまりにも残酷な殺し方の描写が続いて

やがて悪い人たちがそこに街を作る展開になります


そして鉄道も走り子孫が増え続けて
今の現代人の社会に一気に成熟していく様が歌われて

人の心がすさんでいく流れになります




そこで求められたのは

発明家と娼婦だと言い切り

贅沢な暮らしの中で先ほどのセックスと麻薬について触れ

歌詞の中でつけが回ってくると警告する






”そんなに長生きなんてしたくないんだってさ

それを聞いたインタビューアーがかっこいいって言いやがった”






ここで完全版ではゆったりとしたストリングス主体の間奏になります

そして歌詞の方向性が変わっていく、、、





”お願いだ僕の両手にその鋼鉄の手錠をかけておくれよ

縛り首でも別にかまわない

さもなきゃお前の大事な一人娘をさらっちまうぜ”






当然のことながらしげるは

この僕という人物は悪い人たちの子孫ゆえに

そして残虐な侵略の上に発展した文明の寵児として

裁いて欲しいのかと思って聞いていました






”残酷性が強ければ強いほど

週刊誌は飛ぶように売れる


その金で買った高級車
夜の雪道でスリップしたそのとき

ヘッドライトに映し出されたのが黒い肌に包まれたチキンジョージ

今日もあの気持ちのまま一人で歩いている”





週刊誌を売ってもうけた金で高級車を買うんで

これは僕のことではないような気がするんですが

どうしてもこのスリップした車内で

僕がスローモーションで外の景色を眺めているとしか思えない

そして描写は同乗者に向けられます




”街に真っ白いミルクを買いに行く途中

それを見たバックシートの男は12月生まれの山羊座で

第三次世界大戦のシナリオライターを目指している

日傘をさして歩く彼の恋人は妊娠中で

お腹の中の赤ちゃんはきっとかわいい女の子さ!!!”






もうこのあたりの歌詞はメロディに乗らずに

ほとんど早口の語りのようになってしまいますが

おそらく言いたことは全部詰め込まなくてはいけないのです!

だって何しろ時間が足りなさそうな印象、、、





”骸骨マークの黒いオレの車は低い音を立てて走る

すれ違う人たちの骨がきしむ音を掻き消しながら走る

それを見ていた人たちが頭の中に思い浮かべるのは

ガードレールに激突したオレの黒い車の骸骨マークが

炎に包まれてる場面”





何が起こっているのかよくわからなくなるけど

近年ニュースで報道されている

数多くの歩道に突っ込む自動車事故が

いくつも脳裏を掠めていくような気がします





”ベイビー!ピースマークを送るぜ!この素晴らしい世界へ”



オレの思索が自暴自棄になってついにはテロリストになった瞬間

その頂点で叫ばれる言葉ですが

自分こそが悪い人であったとそのときに達観するのです!





悪い人たちとは何か


そして僕という呼称をオレに代えて素に戻る僕が

そんな悪い人たちの子孫であるから

こんな事故を起こしてしまったのだろうか



その後悔の念に駆られているのが僕なのではないだろうか





そういう聞き方をしてきたんですが

それではBJCらしくないと最近思い始めたわけです





黒い骸骨マークの高級車に乗ってはいるけど

そして第三次世界大戦を望む友人をその車に乗せてはいるけれど

僕は決して悪人ではなく

故意に歩道を歩く人を殺そうとしたわけじゃない





社会は病んでいて僕はなくなればとも思っているけれど

そのもの自体を直接破壊したいわけじゃない

できればその友人のかわいい女の子が生まれた瞬間にも立ち会って

これから長い時間をかけて幸せな人生を模索したかったのではないか、、、






それが一瞬の判断の過ちで車がスリップして

大事故の様相を呈し始めたときに

僕はどうすることもできず

制御することもできない車の中で

ただただ責任転嫁をしたくて先祖を呪い

その子孫だからこそこんな不幸に見舞われてしまったような
そんな心境を歌にしているのではないか






そう!

このほうが他のBJCの楽曲

強いて言えば浅井健一の歌詞の世界観に合致するのです!





浅井健一がBJCの楽曲のすべてのソングライティングをしているはずですが

基本的には暴力的なものを歌っていたとしても

そこにあるのは内省がテーマだと思いますし

だからこそ彼らのロックサウンドに似つかわしい




ともすれば70年代のフォークの歌詞の

そのままがBJCサウンドになっているような世界観も多いわけで

その延長線上にこの「悪い人たち」も位置しているのです!





ただ単に社会批判の歌のように聞こえるんで

問題作って感じがするし

一部修正してアルバムに収録するような

アナーキズムがあったように即断してしまいそうですが

実はそうではなくそれを題材にしながら

自分の過ちを転化して正当化しようとして

そして結局自分はそれ自体もを後悔するのです





それがピースマークを送ることで

無理やり自分を悪い人にしてしまえば

ただの悪人として歴史に名が刻めるような、、、






そしてその後の歌詞はただひとつ



”きっとかわいい女の子だから”




だけに収束して繰り返されていくのです、、、







ちょっとまだまだ未消化な聞き方だとは思いますが

今現在はここまでたどり着いて

だからこそ代表曲というよりも

名作たりえるとちょっと感慨に耽っているこのごろです♪







BJCはありがちなものでは終わらせない

それがこの曲のポイントなんだとひとりごちています^^




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