前置き


 前回はパリ五輪直後辺りまでの歴代選手たちの実績から選出したが、如何にシューズを始めとした競技環境の進化があるとはいえあれから1年半で男子マラソン界もかなり記録の次元が進化して一線級のラインナップも大いに変わり、遂には巨匠エリウド・キプチョゲも第一線を退いた。


 一応参考までに今期のマラソン世界の勢力図をざっくり語るならば、『3強+α』と言ったところ。


即ち


プラチナラベル3連勝中セバスチャン・サウェ

ボストン史上最速の覇者ジョン・コリル

ハーフマラソン界の鉄人ジェイコブ・キプリモ


の3人が中心人物。彼らもこのランキングでは必至級のランナーであるため、歴代の選手と比較する形で是非今後の動静を見て貰えたらと思う。



また評価のポイントとしては


①自己ベスト

②WMMシリーズの戦績

③選手権大会の戦績

④過去のレース内容


の4つに大別した


④は前回評価基準として明言しなかったが、例えば2:04:00で走ったとしても徹頭徹尾自分が引っ張って出すのと終始ペーサーありきで出したのでは質はまるで違う。今回はそこにも重点を置いた。そしてこのランキング、今まで以上に著者の主観が多分に含まれており前回のランキングの序列に関しても変更点がある箇所が恐らくいくつかある。なのであくまでも『こう言う見方をしている人もいる』くらいの感覚で捉えてもらえればと思う。






 ​用語


この記事ではいくつか専門用語が出てくるので、ここで予めそれらについての簡単な概要を挟んでおく。



・WMM(ワールドマラソンメジャーズ)

東京・ボストン・ロンドン・シドニー・ベルリン・シカゴ・ニューヨークシティの7大会から構成されるシリーズレースで、世界で最も格式の高いマラソン大会群。五輪と世界選手権も開催年度は含まれており、順位に応じて獲得したポイントの合計で年間王者を決める。


・プラチナラベル

WMMシリーズを含めた世界でもトップクラスに格式が高いマラソン大会。主にロッテルダム・アムステルダム・ドバイ・バレンシア・ソウル国際・パリ・フランクフルトなどがある。


・ボストンマラソン

WMMシリーズの中で最も格式が高いとされ、毎年4月下旬に開催される。中盤まで下り基調だが後半幾度にも渡って過酷な登りが待ち構える難コースで、ペースメーカーも付かない事から『事実上の世界選手権』とまで言われる。上述の理由からとにかく記録が出ない事でも有名だが、この大会を制したと言うだけで世界最強のマラソンランナーの候補になったと言っても過言ではない。





では、以下ランキングである。









​10位 シサイ・レマ 



ポイント

・WMMシリーズ2勝(プラチナラベル3勝)

・歴代で4人だけの自己記録2時間1分台

・五輪2大会連続🇪🇹代表



画像の右側の選手。

 エチオピアの選手で東京五輪〜パリ五輪シーズンにかけて特に強さを見せた選手で、21年ロンドン、23年バレンシア、24年ボストンと勝っていてそれ以前にも19年ベルリンと20年東京で3位とプラチナラベルの網羅率と勝率は高い。パリ五輪欠場以降の戦績はあまり良く無いが、ボストンの横綱レースと言いバレンシアでの1分台といい、このシーズンの彼の強さは破格と言えた。

 因みに五輪に関してはパリが直前のケガで補欠に出場を譲っただけで本来は代表に選出されており、東京五輪にも出場している事からエチオピア男子のマラソンランナーとしてはあのアベベ・ビキラ以来実に半世紀以上ぶりとなる2大会連続五輪代表という栄誉を持つ。これは競争が特に激しい同国としては本当に驚異的な事である。







9位 エバンス・チェベト 


ポイント

・ボストンマラソン2連覇

・自己記録2:03:00(世界歴代14位)

・プラチナラベルでは3勝



前回は6位として紹介した選手。

 その前回力説した22.23年とボストンマラソン連覇したのは特筆すべき偉業である。勿論同大会を連覇した選手は何人もいる訳だが近年レベルアップと競争率の激化が著しいこのマラソン界において、『事実上の世界選手権』とまで謳われるボストンの連覇は現在に近づくほど優勝の価値は高くなっている。だからこそ連覇の難易度は他のWMMシリーズレースの更に上を行くと言っていい。

 逆にいうと彼のランクイン理由は単にその一点にかかっていると言ってよく、自己ベスト2:03:00も今や歴代トップ10のランク外となってしまった。今尚最前線を走っているなどすればもっと上位にはいたかも知れないが現実は厳しかった。







​8位 ベンソン・キプルト 


ポイント

・WMM4大会制覇

・自己記録2:02:16(世界歴代6位)

・ボストンマラソン4度表彰台



こちらも前回ランク入りしていた選手。

 或いは2024年の東京マラソンもしくはパリ五輪で初めてその名前を聞いたという者も多いかも知れないが、実はそれ以前からずっと強かったランナーで、WMMシリーズでは21年ボストン、23年シカゴ、24年東京、25年ニューヨークシティの4つを制覇。しかもボストンに関してはそれ以外にも3度3位を経験していて今年のボストンに至ってはあのジョフリー・ムタイの伝説の大会記録を上回った。

 因みに21年のボストン優勝が飛躍の契機だったキプルトはそこから現在に至るまでの6年間のマラソン戦績はパリ五輪とWMMシリーズのみ計10戦、その内25年の東京マラソン7位意外全て3位以内という凄まじい安定感を見せている。






​7位 タミラト・トラ 


ポイント

・五輪&世界選手権のWタイトル

・ニューヨークシティ2:04:58



この選手は結構色んな人が知ってるはず。

 世界選手権の優勝経験者にしてパリ五輪の覇者。このWタイトルを経験してる選手は意外にも極めて稀。世界選手権連覇の経験があるアベル・キルイ(🇰🇪)やジャウアド・ガリブ(🇲🇦)も五輪は勝てなかったし五輪王者のキプチョゲやワンジルは世界選手権をスケジュール的にターゲットにできなかった。恐らくこのWタイトルの獲得者は他にスティーブン・キプロティッチ(🇺🇬)くらいのものでは無いだろうか。

 それもこの2レースともかなり早い段階で自らガンガン仕掛けまくってライバルを振い落とし、共に大会新という高速タイムで勝っている。パリに至ってはあれだけアップダウンに強い前述のベンソン・キプルトを振い落としているので尚更インパクトが強かった。他にもアップダウンの激しい難コースでボストンと並び記録が出にくいと言われるニューヨークシティを4分台で制するなど、どう考えても1分台クラスの選手だろと思わせる要素は数多い。

 




 

​6位 サムエル・ワンジル 


ポイント

・WMMシリーズ6戦4勝

・五輪王者

・当時の記録水準でキャリア平均2時間6分台



みんな大好きサムエル・カマウ・ワンジル。

 マラソンキャリアは極めて短かったがその限られた年数の中で猛暑の北京五輪を練習用のボロボロのシューズで空前のハイペースにて終始引っ張り大会新で優勝、その後ロンドンマラソン制覇とシカゴ連覇、特に2010年のシカゴは色々なことがあって絶不調とさえ言えた中で執念のスパート合戦を制しての優勝と計り知れない強さを見せる。

 途中棄権となった2010年ロンドンを除くキャリア6戦の内、2008年のロンドン2位以外は全て優勝し平均タイムで6分台前半に到達した。これは現在で言えばキャリア平均で3分台に到達しているに等しい。要するに強過ぎる。


 またマラソン以外でもジュニアで初めて10000m26分台を叩き出して18歳ながら一時期歴代トップ10にいたり(26:41)、ハーフでもジュニア初の59分台をだして最終的に皇帝ゲブレセラシェからハーフの世界記録を奪ったりと他の種目でも破格の才能を誇った。不運の早逝が無ければどれほどの選手になっただろうと思わずにはいられない。






​5位 ジョン・コリル 


ポイント

・ボストンマラソン2連覇

・ボストンマラソンで2:01:52

・WMMシリーズ3勝(プラチナラベル4勝)



今乗りに乗ってる3強の一角。

 24年のシカゴ制覇と25.26年のボストン連覇、その他25年はバレンシアの優勝がある。チェベトの項で力説した通りボストンの連覇は相当な偉業な訳だが、コリルの場合25年が4分台で26年はなんと2:01:52でゴールテープを切るなど、ボストンマラソンの優勝タイムとはとても思えないほど群を抜いて速い。前回の記事に於いて『ジョフリー・ムタイ』の項で述べたが、ボストンマラソンは基本的に後半の過酷な登りの連続とペーサーが付かない選手権の様相を呈したレースのため兎に角タイムが出ない。ほんの少し前まではサブテンで好タイム扱いだったくらいなのだから世界歴代5位相当と言う記録でのフィニッシュが如何に驚異的か分かるだろう。

 それ以外でもシカゴ、バレンシアと2分台を連発している。外したレースといえばキプリモが終盤まで世界新ペースで走った25年のシカゴDNSくらいだろうか。叶うなら今シーズンベルリン辺りでサウェとの対決が見たいものである。






​4位 セバスチャン・サウェ 


ポイント

・自己記録2:02:05(世界歴代5位)

・群を抜いて戦術性が高い

・WMM2連勝中(現在全3戦全勝中)


個人的に現役最強と目する男。

 元々ハーフで無敵だったが24年のバレンシアでフルマラソンデビューするといきなり2:02:05と言うビッグタイムで歴代5位に入って優勝すると、翌年には早くもロンドン・ベルリンを何も2分台前半で快勝した。とりわけロンドンは30〜35km区間を13:57、40kmまでの10kmを27分台で走破するなど凄まじいラップタイムを披露した。これは後述するキプタム以外では到底考えられない正に未知の領域だった。

 また彼は他と比較しても特に戦術性が高いランナーであり、初マラソンとなったバレンシアでは30km以降飛び出して一時独走体制を築いたマテイコ(🇰🇪)を数kmに渡って後方から観察し、機を伺って一気にスパートで突き放して完勝している。同じ事をロンドンでも再現して見せているなど全体を通したレースシナリオを作るのが得意な傾向があるのも独自の強みである。






​3位 ハイレ・ゲブレセラシェ 


ポイント

・ベルリンマラソン4連覇

・2008年環境で史上初の2時間3分台

・プラチナラベル6年間で11戦9勝



偉大なる長距離の神様。

 フルマラソンデビューはかなり遅かったが、ベルリン4連覇にドバイ3連覇、他にアムステルダムと福岡国際でも優勝歴ありとフルマラソンでも息の長さは相変わらず。それでいて世界新も2回叩き出し、ポール・テルガト(🇰🇪)、ハーリド・ハヌーシ(🇺🇸)、ジャウアド・ガリブ(🇲🇦)と言った歴戦の猛者達をも圧倒し続けてきた。前世代のキプチョゲと言っても良いだろう。

 寄る歳には勝てず2010年のドバイ優勝以降はひたすらにDNSが続いたが、それまでの6年間の戦績が凄まじいのでこの順位。難癖付けるとWMMシリーズでの優勝はベルリンしかない。このレベルの選手で同シリーズの経験値は低めと言える。






​2位 エリウド・キプチョゲ 



ポイント

・五輪2連覇(史上初の五輪3大会連続代表)

・史上初の2時間1分台

・WMMシリーズ合計14勝



マラソン界の絶対王者的存在

 ロンドン・ベルリンを5回ずつ、更にシカゴ・東京・ロッテルダムetc…最早その連勝記録は挙げればキリがない。記録の面でも唯一の2分台が世界記録と言う時期が暫く続いた時代にあって一気に1分台の扉を開いたのも彼だし非公認とは言え夢の1時間台を体現したのも彼。更に更にいうと、五輪2連覇も史上3人目という快挙。誹謗中傷による最悪の環境転換があったとはいえ、それまでの11年間で外したと言えるレースと言えば恐らく20年のロンドンと23年のボストンの2レースくらい。何れも雨の中のレースだったのでこの天候が数少ない弱点だったのだろう。

 因みに、このレベルの選手の中ですら極めて稀なWMMシリーズの全レースを走破した所謂『セブンススター』の1人でもある。







​1位 ケルヴィン・キプタム 


ポイント

・史上初の2時間0分台

・従来と一線を画するラップ水準

・ぶっちぎりの初マラソン世界最高記録



現世界記録保持者

 『積んでるエンジンが根本的に違う』

前回の記事では彼の走力をそう表現した。

流星のように突如現れて早逝してしまった悲運の選手だったが、初マラソンとなったバレンシアでいきなり史上3人目の2時間1分台となって圧勝すると、翌年のロンドンマラソンは後半のハーフ59:45、30〜40km区間を27:50と言うそれまでの常識とはかけ離れたレベルの恐るべきラップを叩き出した。同じ年のシカゴでも全く同様の後半ハーフのラップを刻んだわけだが、この現世界記録を叩き出したレースに至っては前半のハーフを1:00:48、つまりそのままのペースで行ったとしても2:01:36の世界歴代3位相当という驚異の記録になるはずのペースだったのに、そこから後半更に1分も短縮した。1分台すら破格の領域である現在にあって0分台中盤の世界記録である、しかも全てのレースが超ネガティブスプリットであった事から当然2時間切りは既に射程圏だった事だろう。『次元が違う』などというレベルの話ではなく根本的にやってる競技が違うとしか思えない程積んでるエンジンが違う。







 ​ランク外の主な選手


冒頭述べた通りこのランキングは著者の主観が極めて強い。そのため他の有識者からすれば『この選手がいないのはおかしい』と言うような視点は数多いはずである。個人的にも結構悩んだ選出だったので、以下で候補に上がっていたが外れた主な選手も簡単に紹介する。





​ジョフリー・ムタイ 



前回のランキングでは10位にいた選手

 詳しい解説は省くが、前述のゲブレセラシェの2:03:59が世界記録だった2011年時代に、ボストンマラソンを2:03:02という驚天動地の記録で優勝した。まさに大地が動くような衝撃で、当時多くの有識者が大幅な計測ミスやタイマーエラーを疑った程。同じ難コースのニューヨークシティも2:05:06と平地なら2分台に相当する凄まじい記録で圧勝し、瞬く間に当時の世界最強の筆頭候補となった。WMMシリーズは他に12年ベルリンと13年ニューヨークシティを併せて計4勝である。

 ランク外の理由としては主にジョン・コリルと言うほぼ上位互換が出てきてしまった事にある。また五輪選考やその他全盛期であったはずの時代にあっても多方面でしっかり負けてるので勝率という点で見ると実はそこまで高いわけではないため。





​ジェイコブ・キプリモ 



ハーフマラソンの鉄人

 昨年のロンドンでデビューして2:03:38と言う好タイムで2位になると、同年シカゴでは38km辺りまで2時間切り相当のペースでレースを進め、最終的に2:02:23と言う世界歴代7位のタイムで優勝を飾った。

 個人的に見ても2時間切りが狙えそうな選手の1人と考えているが、いかんせんこのランキングに載せるにはどう考えてもレース数が足りない…。サウェも3レースしかまだ経験してないが、あちらはその中で様々なマラソンセンスを垣間見せたし何より全部計画的に快勝している。キプリモの場合はまだハーフの延長上と言う感覚が抜けきらないというのもあってランク外とした。ただ、早ければ今年度中にはこのランキングの上位に上がっているのではとは思う。




​ウィルソン・キプサング 



個人的に凄い好きだった選手

 この選手もかなりキャリアが長く優勝レースも豊富。言うならば『一時代を席巻した選手』であり、ゲブレセラシェやキプチョゲに通ずる所がある。詳細は省くが厚坂シューズ登場以前の環境で2時間3分台4回にWMMシリーズ4勝、プラチナラベル6勝に五輪3位、おまけに世界記録保持者も経験したりと本当に様々な戦績を持っている。それがランク外に来るのだから時代は変わるものである。





​ケネニサ・ベケレ 



史上最強のトラック長距離ランナー

 しかしフルマラソンは輝かしいトラック人生に対して上手くいかないことのほうが遥かに多かった。一応ベルリンマラソンで2度優勝した実績があり、何も当時の世界記録から僅か数秒差の大記録。しかも現在もエチオピア記録を保持するれっきとした2時間1分台ランナーである。ハマった時はとにかくタフで2019年のベルリンマラソンなんかは30kmを過ぎたところで同じエチオピアの勢いある若手に一時は200m以上の差を開けられたが、数kmかけて舞い戻り逆に1分以上の差をつけて圧勝してしまったほど。この辺りの並外れた精神力はトラック時代から変わらずだが逆にそれ以外のレースで発揮されたことが殆ど無く、ベケレ自身マラソンで日の目を浴びたのはそんな2度のベルリン優勝くらいだったと思う。

 『ハマれば手がつけられないほど強いがそうでないと極端に弱体化する』これがベケレをランキングに選出するわけにはいかない理由だったと言える。





 ​端書き

以上でpart2は終わる訳だが、今シーズンのマラソンシーズンはWMMシリーズだけで見ても後5戦残っているし、それこそ直近ではロンドンマラソンでサウェとキプリモのマッチアップが待っているを更に言うと今回のロンドンはあのケジェルチャがデビューするという事で、ここでの結果がこのランキングに早くも影響を及ぼす可能性は高い。或いはこの記事では全く触れてこなかったどっかの誰かが急に候補として浮上してくるなんて事もあるかも知れない。

 例えば東京世界選手権の王者フェリックス・シンブ(🇹🇿)。この選手実は先日のボストンマラソンでベンソン・キプルトを破って2位に入り、何と2:02:47を出している。また東京マラソン2連覇中のタデッセ・タケレ(🇪🇹)や五輪2大会連続表彰台の欧州記録保持者バシル・アブディ(🇧🇪)などマラソン界の勢力ピラミッドの規模は極めて大きい。なので是非今後の海外のマラソンにも注目して貰えたらと思う。