すっかり日は登り岸壁朝市を後にする。

帰り際にもどんどん人がやってきてくる。

人々の熱気が、活気が本当にすごい


さて今日はとりあえず久慈まで向かおう。三陸鉄道に乗るためだ。

久慈から宮古までは乗り降り自由の切符が販売されており、往復するだけでも少し割安になる。


——宮古へ向かう途中、車窓からは大津波が町まで来ないよう作られた防潮堤が目を引く。

途中の田老では今でも田老観光ホテルとして震災被害を伝える施設として残る。




2011・3・11の東北大震災が起こった後、この三陸鉄道は甚大な被害を被った。大津波の翌日、鉄道関係者が視察のため車を走らせた。


国道は瓦礫の山。三鉄関係者は農道、裏道を車で辿って一駅一駅確認していった。

田老駅周辺は瓦礫で埋め尽くされており、道路がわりの線路の上には列を成して人々が歩いていた。

田野畑駅のひとつ前の駅には島越駅がある。



島越駅、あそこは頑丈な橋があるから大丈夫———

そんな考えは目の前の光景により一瞬で消え去った。




なんで…??? 海が見える…




ここにはかつて商店や民家が軒を連ね、高架橋や堤防があった。


そこには見えるはずのない、ただ広い海が広がっていた———




その海は、その波は、その地に根付く、あらゆるものをさらっていった。あの日を境に何もかもを変えた。




島越駅は一部の駅土台等、基礎を除いて駅舎ホーム高架線路に及び完全に消失。

しかし人々はそこで打ちひしがれることなく、再興への道を力強く歩み出した。

比較的影響の少ない久慈-陸中野田は震災後たった5日後に運行を再開。

続く3/20には宮古-田老の区間で運行を再開。

ゆっくりでも力強く、走るさんてつの姿は瓦礫の撤去に追われる人々を元気づけた。



———昼過ぎ、宮古駅に着いた。

「福」という中華そば屋に入る。

店内にはあの日の記憶、再興への道のりの軌跡が残されている。

下の写真椅子座面の上端の高さの壁にうっすら色が変わる境目が残る。

あの日、この高さまで浸水した。

「隣町にはすぐ電気が通ったんだけれど、こっちには来なくてね、ちょうどこの辺で明るいくらいの境目ができてたんだよ」


「でも津波が来ても、すぐに営業再開させましたから。」









少し涙の味がするスープを一滴残らず飲み干した。

違う、ここで今までも、これからも、確かに生きている人がいるんだ。希望を持って、明日に向かって。

僕だけが悲哀の感にばかり囚われてはいけない、ここで地に足つけて希望を生きる人がいる限り。


「ごちそうさまでしたッ」


「ありがとうございます」







ごちそうさまでした。

こちらこそ、ありがとうございました。

思わず口に出した。

胸がいっぱいだ。