仕事というものを初めて考えたのは
中学の受験シーズンの時
高校を選ばなければならない時期に
将来の仕事のことを考えた
普通高校なら選べる程度の頭はあったのだが
ただの学生としてなんとなくやっていくのに違和感があった
母親のアドバイスなどもあり
就職の事を考えて工業高校に行くことにした
将来は土木関連で仕事をしようと決断したからだ
父親は建築関連で仕事していた
将来のする仕事を建築と土木でかなり迷ったが
道路・橋・トンネル・ダムなどでかく永く残る物に魅力を感じ選択した
もう一つ
建築という仕事をして
何不自由なく家庭を養う父親を見て
同じ建築の仕事では追いつけないんではないかという不安も選択の理由だった
その結果の工業高校
男子校である・・・
田舎ということもあり
当時は不良がブームでカッコイイとされていた
理由はわからんけど
入学してくるのは頭が悪く、チンピラのような様相の悪い奴ばかり
学校中全員ヤンキーという学校
不良でなければまともに学生生活が送れないような学校であった
授業中にもタバコを吸い
修学旅行なども揉め事を起こすから
他校とは時期もずらされたそんな学校・・・
昔ならビーバップハイスクール
今風にいうならクローズの鈴蘭だ
流されやすい自分は勉強もせずに
無理やり男子校を堪能しつつ卒業
そして親にわがままを言って
専門学校に進む
ここも土木の専門学校だ
もちろん男ばっかり・・・
2年間の専門学校生活は非常に有意義だった
親元を離れた開放感と
今も付き合いの続く仲間との出会い
バカなことも沢山したけど
酒を覚えて
将来の夢を語り合い
仕事に対する覚悟を決めた時期でもあった
そして就職
当初からプロ意識や職人という肩書きへの憧れは今と同様だった
入社早々会社のNO.1といわれる人物へライバル心剥き出しで仕事していた
今思えば
かなり生意気な新人だ
今、自分の側にこんな奴がいたら嫌でしょうがない
入ったばかりの新人が
当時油の乗った30代から40代のバリバリの仕事人をあいてにするには
かなりの気力と努力が必要だった
なんせ本気でNO.1になろうと思っていたから
給料の問題ではなく
早く一人前になりたかった
そしてやるからにはNO.1にこだわりたかった
実際にはNO.1などは比べようも無く
仕事も覚えるのが手一杯の状態だったと思う・・・
仕事のやり方が合わずに
3ヶ月以上も会社の人と口をきかないで仕事をやり遂げたこともあった
そんな回りの人間に助けられたこともあった
会社も数回変わった・・・
自分のやめた会社は今はもう銀行管理や廃業をしている
やめた自分が正解と言うわけではなくたまたま運がよかっただけだ
そのとき教えてもらったことや覚えたことはいまでも有効に活用している
今だから素直に感謝できている
今の仕事は土木とはあまり関係ない
土木の仕事をしているときにぜひやってみないかと強く誘われたのである
今風に言えば
ヘッドハンティングだ
仕事人として認められ必要とされたことと未知の仕事をこなすチャンスと思い
思い切って転職した
当時回りからは不思議がられた
土木の仕事も順調なときで職種もまったく違う仕事を選ぶことを
土木の仕事では腕組をしながら大抵のことは出来るぐらいになっていた
それが転職を機会に全てが初めてで
よろしくお願いしますから始めなければならなかった
入社してから約1年は
まとも休みも無かった
毎日夜寝る前には午前2時間まで仕事関連の本やマニュアルを読み勉強した
いまでは
一緒に働くスタッフもいる
お客さんから相談されることも多い
いや、相談に対応するのがメインの仕事となりつつある
その道のプロとして認められた感があり
世界中で自分でなければ出来ない技術も持っている
『男は一生仕事しなければならない』
と母親に言われたことを今でも憶えている
そしてやるからにはNO.1を目指すのがカッコイイのである
プロとして胸を張ること
職人として評価され人に頼られること
これらは今も変わらずに仕事をする上での目標となっている
ただし仕事で死のうとは考えてない
仕事はあくまでも食べるため遊ぶためのものだと思っている
仕事も遊びも100%出来なければ満足できない
単にわがままなんです
仕事も遊びもやるからにはということになる
現在では仕事も遊びも充実してるように思っているが
仕事・プロ・職人ということを考えると
遥か先に父親の後姿があるような気がする・・・