本日は「みかんの日」だそうです。
「みかんの日」は11月3日と12月3日です。
全国果実生産出荷安定協議会と農林水産省が制定。
「いい(11)みっか(3日)ん」という語呂合わせ、11月、12月はみかんの
旬の時期でもあるため。
興味がない…というか11月3日は未だしも12月3日は関係ないですな…。
気づいたのだが、小生どうやら語呂合わせの記念日好きではないようだ!
なんというか、驚きと感動が少ない、故に話が膨らまない。
という事で
本日は「カレンダーの日」です。
そもそも「カレンダー」とは何なのか?
「カレンダー」
年月の始まりから終わりまで。月日、曜日、祝日など表形式で示された暦(こよみ)。
日付や曜日の確認、スケジュール管理、行事の予定を記入・確認に利用される。
英語の「calendar」は「毎月の最初の日」を意味するラテン語「kalendae」に由来。 古代ローマで毎月初めの日に税金や賃料の支払いが決まっていたため「帳簿」を
意味する「calendarium」という言葉が生まれ、そこから暦を意味する「calendar」
に発展した。
小生、人生において「カレンダー」について考えることなどありませんでした…
しかし、暦であると言われると何故だかグッと親近感が湧きますな。
「カレンダーの日」
1872年(明治5年)日本が太陰太陽暦(旧暦)から太陽暦に改暦した記念日です。
1872年(明治5年)の12月2日の翌日である12月3日を太陽暦(新暦)の1873年(明治6年)の
1月1日とする明治改暦が行われました。
業界団体「全国団扇扇子カレンダー協議会」「全国カレンダー出版協同組合連合会」がこの歴史的な出来事を記念し1988年(昭和63年)に制定した。
明治5年11月9日に布告され1ヶ月足らずで実行されたため準備期間が全く無く、
明治5年12月2日の翌日が明治6年1月1日となり明治5年の12月3日から12月31日までの
日数が物理的に存在しなくなった。
「大晦日」「正月」準備の間もなく新年を迎えさせられ精神的な戸惑いが生じ、
地方によっては布告の情報すら遅れて届いたためさらに混乱を極めた。
明治政府の財政難で旧暦の明治6年に発生する「閏月」(1年が13ヶ月になる年)分の
給与支払い回避のため改暦を急いだ側面があり役人は1ヶ月分の給与を受け取れず
新年を迎え不満が広がった。
いや、実に興味深いですな。
「12月3日から12月31日までの日数が物理的に存在しなくなった」と、サラッと
書いてますが、大事件ですよ!文字面だけでも非常に面白い!
そして気になる「全国団扇扇子カレンダー協議会」の存在!
明治改暦を見ると出てきた、暦の権限を独占したい「陰陽頭・土御門家」の暗躍!
そして、1年が13ヶ月になるという謎の「閏月」とは?
現在では考えられない強引な展開にワクワク、ドキドキですな。
しかし、当時の情報伝達を考えると国民のどの程度が知りえたのでしょうかな?
当時は新聞創成期であり普及率も低かったでしょうからな…これは混乱しますな!
(ちなみにラジオの放送が開始されたのは1925年、大正14年だそうですよ)
1948年(昭和23年)2月23日に設立、略称は全協。
全国の団扇(うちわ)・扇子・カレンダーメーカーおよび販売会社で構成される
歴史ある任意業界団体。
なぜ?団扇、扇子とカレンダーが?と思いましたが…
これまた随分とサラッとした説明が出てきましたぞ…。
どうやら、いずれの企業もPRや販促活動のアイテムとして扱われてきた歴史的経緯、
季節性の商材という事で結びついているようですな。
団扇、扇子は夏場、カレンダーは年末、年始にかけ翌年版が販売される秋冬の商材で
年間を通じ季節ごと異なる主力商品を扱い、閑散期を補完し安定した経営基盤を築く
事が目的のようですな。
「陰陽頭・土御門家」
「陰陽頭」は平安中期の陰陽師・安倍晴明の子孫で代々朝廷に仕えた公家
「土御門家」の家職。
「土御門家」は室町時代に家名を名乗り、天文道を中心に日本の暦の制定、
天文観測など行っていた。明治改暦により廃止されこの役割はなくなった。
出ました「陰陽師・安倍晴明」小生のような者でも御高名は存じ上げていますぞ!
1844年2月18日1月1日(天保15年)寛政暦から改暦された天保暦は明治維新後も使われ、編暦・頒暦といった暦の権限を独占していた陰陽頭・「土御門晴雄」は洋学者の間で
高まていた太陽暦導入に反対し、朝廷から許可を得て改暦計画を立てていたが明治2年
に急逝し中止となる。
晴雄の養孫が継承するがまだ幼少で実権を握れず暦に関する権限を失った。
繁栄を極めた家が…まさに栄枯必衰ですな。
人知れず暗闘があったんでしょうな…これもぜひamebaで映像化してください。
「土御門晴雄」
江戸幕府崩壊後、新政府に働きかけ旧幕府の「天文方」を廃止に追い込み、
暦の権限のみならず、測量・天文などの管轄権を「陰陽寮」が掌握する事に成功。
新政府内では富国強兵、殖産興業と無関係と見做された天文学、暦法は極端に関心が
低く、洋学者の間で高まった太陽暦導入に反対し太陰太陽暦の継続を図るも無関心
故に見送られる。
晴雄はなおも改暦を要求したが病に倒れ43歳で薨去。
「土御門家」現当主は最後の男性当主「土御門範忠」氏の娘「土御門善子」氏。
陰陽道(天文道)の宗家の機能は明治維新後に衰滅。
現在「土御門神道」(本庁・福井県おおい町)は存続危機で「藤田義仁」氏が代表を
務めるが後継者は見つかっていない。
「天文方」
江戸幕府の職名。天文、暦術、測量、地誌、洋書翻訳などを担当。
1684年、「渋川春海」が任命されたのが始まりで「貞享暦」編纂に大きく貢献。
組織改編を重ね改名され、その役割や組織は明治維新後、東京大学に受け継がれる。
「陰陽寮」
日本の律令制において「中務省」に属す役所、天文観測、暦の作成、占い、時報など
「陰陽道」に関する業務を司る。
天武天皇の時代に創設され平安時代には賀茂氏や安倍氏が世襲で要職を占めた。
明治維新後の1870年に廃止されるまで朝廷の重要機関として機能した。
今でいうところのJAXAですな!
いやはや昨日と話が繋がったところで以下加筆という事にしましょうかな。

