埴生の宿 蛍の光

 

 唱歌「埴生の宿」の「埴生という言葉はこの歌詞の中にだけ生きている日本語です」と、どなたかが書いていた。「埴」は埴輪のハニ、赤土のみすぼらしい家という意味だそうだ。裏返せば、この歌が忘れ去られれば、埴生は死語となるわけだ。

海鳥、いっぱい

  この歌は映画「ビルマの竪琴」の名場面に登場する。第二次大戦のビルマで日本兵がこの歌に最後に突撃しようと合唱すると、敵の英国兵もこれに和す。そして日本兵は安堵して投降する。

 私は英国兵が和したので、てっきり英国の歌詞と思い込んでいた。しかし原題ホーム・スイート・ホームは南北戦争前の1852年(明治22年)のアメリカ人の作詞だという。

   英詞はthatched cottage(草ぶきの小屋)。とすると、♪我は海の子♪(大正3年)に出て来る笘谷(とまや)が正しい訳? 笘屋(茅葺家)だって、この歌の中でだけ生きている???

   原詩は我が家に勝る場所はない。我が家なら、無益なまどろみが最高の至福となると綴る。

 

   万葉歌を拾っていると、下総の埴生郡から防人として遣わされた一首(4392番)を見つけた。「天地(あめつち)のいずれの神を祈らばか 愛(うつく)し母に言(こと)問はむ」。防人がは祈るべきは天か地かと、母に問いかけながら、九州へと続く長い道のりを歩いたのだろう。この防人は現在の千葉茨木県のあたりで徴発されたのだろう。

 

 「蛍の光」はデパートなどで閉店に流れるお馴染みのメロディーで今なお健在だ。こちらは正真正銘のスコットランド民謡。原題はOld Long Since。はるか遠き昔、が「蛍の光」という題に変わった。「別れのワルツ」としても知られている。

 映画「哀愁」で、貧しい踊り子と貴族の士官のお別れの場面(レストラン)の閉店ソングに使われている。踊り子は熱愛余って、劇団を解雇される。しかし彼女はその事情を恋人に伝えず、娼婦に身を落とし、橋から身投げる。

「風と共に去りぬ」の主演女優がここでは悲劇のヒロインを熱演。恋愛映画の古典の名作として残っている。

  

 ニッカウイスキーの創業者竹鶴さんは1918年(大正7年)に英国に渡り、リタさんと結婚し、日本へ連れ帰った。朝ドラの主役竹鶴さんは英国でこの「蛍の光」をリタさんに唄ったそうだ。朝ドラ「マッサン」は毎日楽しく拝見した。

   原詩は古い友人と共に酒を酌み交わそうと綴られている。