夏の大三角形 七夕

 

 お爺さんは山へ柴刈りに、お婆さんは川へ洗濯を。山の神が男衆の神なら、里の神は女性だろうなどと夢想した日があった。山の神は機織り娘に会うために川を下った。お婆さんもかつては美しい娘であった。

 

 牽牛星(鷲座のアルタイル)と織女星(琴座のベガ)。このふたつの一等星が乳白の川流れるほとりで一年に一度出遭う。見上げれば無窮の星のしじま、そこに大白鳥が翼を広げている。そんな夜空を蓼科山頂ヒュッテの戸外から遠い昔独り眺めたことがあった。

 

   古代中国では七夕の日を年の折り返しの節目とし、収穫祭としても特別な日とした。七夕物語も中国から我が国に入り、人々に愛される行事となった。古今和歌集にほとんど星の歌はなく、名月を愛でる歌ばかリで、古代日本人は星を見なかったのだろうかと勘繰りたくもなる。しかし旧暦7月7日だけは別格とされた。季語としては秋である。

 

   七夕の時期は盂蘭盆(お盆)に当たっている。人々は実りに感謝し、収穫物を神に捧げた。みたらし団子もまたそのひとつであった。また茄子や胡瓜で馬形を作り、祖霊がこの乗り物に乗って、無事に我が家へやって来るように用意をした。また霊が道に迷わぬように灯籠も灯した。そして祖先の御霊を再びあの世へ返すために、送り火を焚き、精霊舟で送った。

 

   盂蘭盆は梵語が漢語に訳され、日本で盂蘭盆となった。盂蘭盆とは、釈迦の弟子(目連尊者)が地獄で苦しんでいる母を見つけ、釈迦の助言に沿って、餓鬼地獄から母を救い出す故事による。

   本来は七夕に盆棚を造り、元々は「餓鬼を吊るす」というのが、七夕色紙(短冊)であったされる。七夕の前日には硯を洗う習わしがあった。盂蘭盆会(うらぼんえ)は推古天皇14年606年に収穫祭として祝われたという。

 

   無尽の星々の中で羽ばたく巨大な白鳥と対峙すると、やがて人が無窮の静寂静謐の中に独りいることを実感する。山登りの深夜のご褒美かもしれない。

   現在は旧暦から新暦となり、8月に七夕もお盆もお引越しをされた。そして終戦記念日が重なった。七夕、願い事を短冊にしたためる。だから7月は「文月」とされる。

 

   炎天酷暑の文月が去っていく。七夕は私たち夫婦が結婚を約束した日でもあった。二人はまだ学生だった。遠い里の娘を思い浮かべ、一度、七夕について綴っておきたかった。

2531mの蓼科山

岩だらけの不思議な山頂でした