政治資金規正法 衆院通過 野中広務

朝、下に降りて行ったら、絨毯に虹の落とし物

 

 5月30日木曜日、自民党安部派の事務所じまいの神事があったと新聞記事は報じていた。出席者は国会議員3人とあった。かつて100人を超える最大派閥の終焉である。

 この脱税疑惑に最初の蜂の一刺しを放った方は神戸学院大学上脇博之(ひろし)さんだ。政治資金収支報告書を丹念に調べ上げ、「しんぶん赤旗」に記事を寄せた。後は燎原の火のごとく、規正法改正にまで発展している。

 氏の経歴が興味深い。3浪して私大法科に入学、2浪して大学院に進むという経歴。1958年生まれの鹿児島県人だ。自民党に目白押しの元秀才学生とは一味も二味も違う。  

 

 さて自民党で最も信頼に足る政治家の一人として、故野中広務氏を挙げても間違いないだろう。政治信条の別はあろうが、1994年に自治大臣・国家公安委員長として辣腕を振るった。清廉剛腕の人で、自民党内でも恐れられた人である。

 

 氏の経歴も実に興味深い。1925年に京都府に生まれ。町議、町長、府議、京都副知事、そして国会議員と進む。学歴とは無縁の政治家で、「57歳の時に残りの人生を重度障碍者の施設の方で捧げるつもりであった」と語る人である。氏の「議」と名の付く肩書は皆さんに推挙された役職ばかりである。

 

 ある友人宅をお伺いしたら、「私は闘う」(野中広務著)が応接間の書棚に立っていた。「お借りしたいが」と言うと、「あなたは自民党をお嫌いでは? 」と返された。「いやいや、野中さんは別格ですよ。こんな方ばかりの自民党なら・・・・・・。」と応えた。これまで氏の動向はマスコミ情報ばかりだったので、一読してみたい。

 読んでみると、新聞や世評通りの人物であった。もちろん対立した政治家からは「これは違う」と異論もあろうが、氏から見れば、二世政治家のお坊ちゃん的体質のなせる業と批判したのかもしれない。あるいは政治信条の違いもあるだろう。

 

 

 ある政治の裏に詳しい方がおっしゃるには、「金を持っていこうものなら、倍に嫌われますよ。あの人だけは金では動かない」という。

 告発した大学教授もしかり。苦労人の経歴からは人生そのものがにじみ出ている。そんなリーダーが沢山いる日本社会になってほしい。

モンシロチョウの輝き