杜牧 江南の春 阿房宮賦 

 

 友人が若い頃に万里の長城を訪れた際に、秦の始皇帝が建てた阿房宮にまで足を運びたかったそうだが、叶わなかった。そこで今、「杜牧の阿房宮賦を読んでいる」とメールが来た。えっ! 杜牧だって、阿房宮賦は知らないなあ~。

 

   そこで図書館に寄って、漢詩大系第14巻「杜牧」を借り出してきた。掲載されていない。どうやら、阿房宮賦は非定型の韻文であり、漢詩という範疇から外れて、掲載されていないようだ。ネットで調べたら、とても有名な文章であった。

   阿房宮は秦の始皇帝が首都咸陽の隣に建てた美女三千人と歌われる後宮であり、後に楚の猛将項羽によって火を放たれ、咸陽と共に3か月に渡り燃えて灰になったという。

 

 杜牧(803~853年)は晩唐の詩人で、その歴史的光景を「阿房宮賦」として残した。杜牧先生といえば、最も有名な漢詩が「江南の春」であろう。

 

 亡母は夫に早く先立たれ、しばらく習字にいそしんでいた。そこで、少々の漢詩好きな私は「江南の春」を所望した。掛け軸として新居客間に飾ろうという訳である。ある日、母は私の意を先回りして、掛け軸にして持参してくれた。

 母は「一字『郭』の字がどうしても気に入らないけど、もうこれ以上は無理です」と語った。数十枚したため、腕が震えるほどに筆を握ったという。床の間にいつもこの掛け軸が飾ってある。母、万感の一枚である。

 

千里鶯啼いて 緑紅に映ず

水村 山郭 酒旗の風

南朝 四百八十寺

多少の楼台 煙雨の中

 

 さて、この掛け軸を引き継いでくれる家人はいるだろうか。絵のように美しい漢詩の意味を理解してくれる次の家人はいるだろうか。

 高校時代だろうか。「江南の春」に接したときにハッとした。杜牧先生は25歳で科挙の試験に合格し、翌年「弘文館校書郎」となった。以後立身出世も遂げ、50歳で世を去った。

 我が国に「吉川弘文館」という名門出版社がある。「そうかあ~」であり、改めて母とありし日々を共にする。友人に感謝である。

2024.6.4

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