社会的通念と法律

 

 社会は社会的通念(常識?)と法律というルールの中で動いている。

 2020年、重度のALS病に病んだ51歳の女性AさんがSNS で「死なせてほしい」と発信し、医師(45歳)はその要請を実行に移した。今年3月医師は地裁判決で嘱託殺人という罪状で懲役18年の判決を受けた。

 

 Aさんと医師の間では合意がなされていたのだろう。Aさんのこの先の苦しい人生に医師は終止符を打ってあげたかったのだろう。もし医師が医師という職業の自覚があれば、18年の重罪となることを知っていれば、多分回避したことであろう。

 二人だけの合意の世界は社会ルールの中では許されなかったようだ。(こう書くのは、医師は現在無罪を主張し、控訴中であるからだ)

 

 2018年、高名な政治評論家西部邁さん(78歳)が入水自殺した。高名な方であり、こちらも大きく報道された。そして自殺ほう助罪という珍しい話題を提供した。

 それは入水に際して、本人がロープを木に結ぶことができないという身体的機能を失っていたとのことから、警察が調査して、友人二人を逮捕したと報じられた。家族は複雑な思いを抱かれたとあるが、西部さんと友人との合意でもあり、友人はまもなく放免されたと聞く。こちらは法律よりも「社会的通念」が配慮されたようである。

 

 最近、元静岡県知事が新入職員に「県庁職員は野菜を売ったり、モノを作ったりしている人とは違う」という趣旨の発言をして、辞任に追い込まれた。農業・流通従事者を馬鹿にしていると非難された。「モノを作る人・サービスを提供する人・考える人は三位一体ですが」と前置きして、発言すれば物議も醸さなかったようにも思う。

 グランドデザインを造る人はより重要であろう。「県政(政治)の役割は条例(法律)などを作り、県民(国民)が安心して、農業やサービス業に従事する環境を整えることです」と話せば、県民の理解の一助にもなったことだろう。本知事の発言は国民の理解の範囲を逸脱していると非難された。

 

 私が元知事の発言に最もガッカリしたのは、最後の会見で細川ガラシャの辞世の句を引用したことだ。彼女は東軍方についた夫細川忠興に禍根を残さぬように自邸に火を放って自死した女性である。

 前掲の医師も元知事も高学歴の人。大学で何を学んでいたのだろう。大学とは字のごとく「大きく学ぶ」ところだと思っているのだが。

人生のハシゴを登ってみたら???