本阿弥光悦と鶯谷駅

 

 東京国立博物館で「本阿弥光悦の大宇宙」という企画展が開かれた。友人Oさんが誘ってくれたので、良い機会と同行した。博物館のある上野公園は小雨の中。

 O君は最初に西郷さんの銅像へ行こうという。彼についていった。公園南の端にあって、数人の観光客がいるだけだった。

 「降る雪や 明治は遠く なりにけり」という有名句が雨空に浮かんだ。桜の頃には花見客で賑やかになることだろう。

 

   さて、本館の入り口まで戻ると、長蛇の列、傘の列。本阿弥さんって、知る人は知っているが、と思う訳である。しかしこのウンカのごとく湧いた人、人、人。少雨決行の勢いそのままに、館内も大した賑やかさだ。

   墨書と硯箱(その一点は国宝)、黒楽赤楽茶碗の制作に秀でた人とは聞いていたが、この人気振りに圧倒されつつ、館内を巡った。さすがに東京だ。私も改めて、その多能ぶりに感動の品々を拝ませてもらった。

上野駅を望みつつ、鶯谷駅へ向かう

 

 館内を館内を出ると、O君が「鶯谷駅まで歩こう」という。もちろん異存はない。橋の欄干にまで来ると、「ああ、上野駅」の全体が見渡せた。鶯谷駅まではなかなかの距離だが、途中夫婦で仕切っている小さな格好のお店で昼食を取った。O君は「こんなお店は名古屋にもない」という5席ほどの狭さだ。テーブルにお弁当箱を二つ並べると、片方が落っこちそうだ。

 

 駅を尋ねてみれば、少し歩いて、陸橋への階段を上り、その右手が鶯谷駅だという。この駅はどこかの地方駅さながらだ。学生時代に帰ったような骨董品の駅にしばし立ち止まった。彼も私も大感激。まるで東京の再開発から取り残されたような駅だった。

 

 歩くということは見つめること、物事をしっかり把握できることだ。O君は旅の達人。大阪京都・東京にしても、彼はおよその地理地形が頭に入っており、あちらへ行くとあれがある。あの通りがあるなどと教えてくれる。ありがたい案内人でもある。

 本阿弥さんは1600年の関ケ原の合戦をまたいで、80年の長命を保った。そして私たち日本人は、こんな名工にして名人の先達に恵まれたことは誠に幸せである。