勤務先の廃店と思い出

 

 サラリーマンをしていた方なら、勤務先の倒産や支店が廃店されたという経験を持つ人が少なからずいることだろう。銀行業界も統合廃店の嵐だ。私が勤めていた銀行も次々と統廃合を続けている。

 

  深夜、ふと20代の頃に勤務した漁港のある街が懐かしく思い出された。今では見向きもされない場所に立地しているが、漁村が紡績や造船の町として栄えさびれていった町だ。

 40数年ぶりの再訪である。まず向かった先はT駅だ。3年間ほど毎日乗り降りした駅だ。当時は野っばらにポツンとある駅だったが、エスカレータの乗降機のついた立派な駅に変貌していた。

 

  「さあ、ここから旧支店まで歩いてみよう」と道幅は広くなっているか、当時のままの道なりだ。歩いているうちにどうやら曲がり角を間違えたらしく、支店が見えてこない。村社があったので、「まあ寄っていくか」と腰を下ろした。そこで年恰好の似た男性を見つけた。

 

  男性は「2本目の信号を右折ですよ。まっすぐ歩けば、建物は残っていますよ」と道筋を案内してくれた。ありがたい、ほっとした。その通りに歩くと、支店は「医院」に変身していた。徒歩数分の競争相手の銀行の支店もすでに看板を下ろし、チェーンが張られていた。

 

  兵どもが夢のあとを見回してみると、支店の前の防潮堤がやたらと高い。かつての台風の苦い経験がそのようにさせている。上がってみるとボートが何艘も係留されていた。近くには立派な村社も見えた。

  勤務していた頃は毎日が夢中であった。こんな辺鄙な支店にも物語がある。ある日、融資の差し止めに怒った取引先の勤労者が押しかけ、店の前に連日赤旗も舞った。造船所の倒産や不況業種の大型倒産が相次いだ。若い私は周囲の街の風景も世の中で何が流行しているも眼中にする余裕はなかった。そして定期異動で店を去った。

 

 そんなある夜、支店長と私でT駅まで一緒に歩いた。20分ほどの帰り道の途中、支店長がなんの拍子か、一杯飲み屋に「寄っていこうか」という。飲めない支店長は私に徳利から酒を注いだ。話の内容は忘れたが、「我慢するんだぞ」というような言葉があった。すでに鬼籍に入られた支店長もさぞ辛かったのだろう。ただ一度きりのことで、確か「この店ではなかったか」と、カメラに収めた。紡績工場の跡地は大ショッピングセンターに変貌している。この地には紡績工場や漁網工場が沢山あったが、今は跡形もない。

 

 古き良き友の思い出は留まり

時代は海の底深くに沈められていく。