お盆だね 墓守は雨蛙さん

 

 我が家の墓は下道で2時間、三重と岐阜県の県境。子供の頃は一日三本のバスが頼りの寒村。特産は烏帽子山と人の深い付き合い。もらい風呂などという言葉も死語であるが、「隣で風呂を沸かしたから」と言うから、歩いて入浴しに行った記憶がある。もちろん五右衛門風呂であった。こちらも死語だね。

 いや、特産がもう一つあった。いつの間にか足首に張り付いて血を吸っている烏帽子山の山ヒルだ。

 

 さて、我が家の墓は山林の中の一軒墓地。子供の頃は光も届かぬから怖くて仕方なかった。毎年2回は欠かさず出向いている。大きな熊手持参の落ち葉かきは実に愉快だ。見違えるようにきれいになることが嬉しいからだ。

なお、生きる 

 母存命の頃、母を同行して墓参りに出向いた。すると母が「(墓石を上に)こんなところに雨蛙がいる」と嬉しそうにほほ笑んだ。父亡きあとの母との美しい思い出だ。母亡き後も毎年夏に墓石にへばりついていた。

 

 しかしここ数年、見かけなくなったので、いよいよ世代も絶えたかとかと残念に思っていたが、今年は大小二匹の雨蛙がへばりついていた。「おお、今も墓守をしてくれるか」と感激だ。

 小さい一匹は、先祖代々の彫り文字の中に食い込むようにへばりついていた。よほど涼を求めているのだろう。雨蛙は薄緑が美しい。

 

 ここは遠隔地。孫の代にまで、この苦労は避けたい。私の目の黒いうちに墓仕舞いだ、と思う。父母の思い出、私の思い出までをも、自らの手で葬り去ってあげることが一番の供養だろう。「雨蛙が墓守???」、こんなお墓はそうそうないはずだ。こんなことぐらいなら、大いに自慢してもバチは当たらないだろう。

 

 雨蛙の慎み深い営みはいつ見ても頭が下がる。カエルなどの両生動物は減少の一途をたどっている。もっとも気候変動と都市化に敏感な生き物だからだ。

 墓仕舞いの後には、雨蛙さんの「涼」のためにも小さな石板でもひとつ置いて上げようか。