学徒出陣 栄誉か屈辱か

 

 終戦記念日がまたやって来る。そこで学徒出陣のNHK番組の再放送が行われていたので、視聴した。昭和18年10月21日。雨の明治神宮外苑競技場(現国立競技場)で、25,000名の文系学生が学籍を解かれ、歩兵銃を片手に入場行進をした。

 動員された女子学生も25,000名。「頑張って来てください! 」などの大合唱が秋雨の中にこだました。残念ながら、文部省制作の15分40秒のフィルムに音声は残されていない。決して「帰って来てください! 」とは叫べなかった。男たちと女たちの別離が国家によって演出された。

 

 壮行会を締めくくった答辞は当時東大文学部3年生の江橋慎四郎さんで、「もとより生還を期せず」と発した。戦後、氏は各大学の教授を歴任されて多くを語らず、98歳で亡くなられた。

 

 本番組制作は56年目。フィルムに残された人物も特定されて、番組に出演されていた。皆さん70代後半である。ふと、出身大学の序列に従って、出征地先が決まったのではないか??? と。 配属先が南方・中国戦線・内地(本土国内)では生死に雲泥の差を生じる。

 江橋さんは、きっと書きたくもない答辞文であったろう。声を張り上げたくもなかっただろう。配属先は最も危険の少ない内地。戦後、心中など語りたくもないはずだ。

 

 さて、私たち世代が経験したもうひとつの10.21と言えば、国際反戦デー。こんな形で10.21の記憶は引き継がれていた。1970年当時はベトナム戦争最中。学生の反米反戦運動も賑やか。大学紛争も熾烈。当時、少なからずの学生活動家が放校処分になった。その後、「どうしただろうか? 」である。

 高校時代の友人にも、進学後に放校処分になった人がいる。同窓会で、顔を見たこともないし、消息を尋ねても、誰も「知らない」というばかり。

 

 その後のフィルムは、学徒が皇居二重橋まで行進し、万歳三唱をしたところまで、フィルムを残していた。しかし文部省制作がたった15分では悲しい。文部省はニュース映像で流せば、事足りる? の考え方も透けて見える。地方でも同様の式典が行われたので、その映像は残っていないものだろうか、などと見終わった。

 今、若者に10.21と問えば、「それって何? それどころじゃない」と跳ね返って来ることだろう。歴史の柩の蓋が閉まりかけていようか。

 

愛知県

この碑がウォーキング中に・・・・・・

二方の私費で作られた趣き、数えれば戦後63年が流れている

「当時、20歳であれば、83歳の執念だ」と、碑を前に感銘を胸に