前途ある俳優さんの決断に、日本中が哀しみに包まれていますね。


















めちゃくちゃファンだったわけではないですが、好感を持っていた俳優さんだったので、わたしもとても残念に感じています。
傍から見ると富も名声も美しさも才能も欲しいままにしているように感じられますが、こればかりは本人になってみないと分からないものですね。
少し話は変わりますが、大学の先生の話です。
先生が授業で目前の生徒に問いかけた事がありました。
「貴女は自由ですか」
その子が「自由です!」と答えると、先生は
「そうですか。では貴女が自由にやりたい事はなんですか?」
と問いかけました。
それにその子は「カラオケです」と答えました。
すると先生は再度問いかけたのです。
「貴女は今自由と仰ったのに、なぜ好きなカラオケに行かないで私の授業に出ているのですか?いいですよ、今カラオケに行ってください!」
女の子は暫く呆然とした後、困って泣き出してしまいました。笑
先生はそれを見るとびっくりして焦って
「ああ…ごめんね。泣かせるつもりはなかったんだよ…。ごめんね。ごめんね。」
となんだか変な事になっちゃったのですが笑、私は「なんだか自由って、不自由な概念なんだなあ」と思いました。
少し飛躍しますが、好きな事を好きな時にする事は、心や身体にプリミティブにインプットされている欲望に応えているに過ぎず、本質的な自由意思を指すわけでは無いからです。
また、自由は選択肢があってそれを選べるという事に感じられますが、選択肢があるという時点で既に不自由なので、この選択の自由は不自由の中にしか成り立たないように思えます。
このように自由については、歴史的に多くの人間がさまざまな角度から議論してきたテーマで、色々な解釈があるかと思います。
真の自由は中々手強いです。
そして、私の考える真の自由は東洋的な「無」だと思います。
肉体的にも精神的にも何にも帰属しない。
涅槃の境地。
ちょっとズルいような気もしますが全てをゼロ(ALL FREE!!!!!!)にする。
まず普通に生きていると、こんな境地には到底達しないので、肉体的にも精神的にもありとあらゆる不自由さにがんじがらめになりますが、それが生きているという事なんじゃないかなと。
何が言いたいかと言うと、生きている限りは勿論私も含めどんな立場のどんな人でも、各々の不自由さの中で色々と思い悩み、苦しむ事がある筈ですが
「いま私生きてるから悩んでるんだな。苦しいんだな。」
と大きな括りで少し客観的に遠くから感じられるようになるといいよね、ていう事です。
なんていうか、うまく言えないけど、少し楽になれるといいな…ていう。
また、生きているからこそ感じられる不自由の上の選択的自由もあるはずで、少なくともそれは小さな幸福も含んでいるのではないかと思います。
そうした手元にあるものを一つ一つ握りしめて、前に進む力にしていけたらいいですよね。
そんな事をうだうだ考えている専業主婦の今日この頃です。
それではまた!
