きゅーはく女子考古学部 2回目の活動は
小嶋副顧問と行く 太宰府(歴史を巡る)ツアー
まずは、4F「文化交流展示室」入口にある太宰府付近の大きな航空写真で
ルートの確認と太宰府の歴史のレクチャーを小嶋顧問から受けます
そして、今日のメイン 水城(みずき)跡の説明です
水城とは
663年朝廷は唐・新羅に攻撃された、百済を支援するため、多くの兵を送りましたが、白村江の海戦で敗れました。
唐・新羅の日本への来攻を恐れた朝廷は、大野城や基肄城を始め各地に防衛施設を作りました。
その一つが水城です 水城跡の説明書きより
質の異なる土を交互につき固めて作り、ミルフィーユ状になっていて、現在の土木技術の中にも生かされているそうです。
いつもは、サラッと通ってしまう「文化交流展示室」入口ですが、こんな詳しい説明を聞きながら見るのは初めて!
とても勉強になりました。
九博から、太宰府天満宮の参道を通って、天満宮駐車場へ
太宰府の鬼門を守る宝満山(竈神社)を眺め
いよいよ出発です
最初に訪れtのは
観世音寺です
ここは、講堂があった場所で、礎石が残っています
石の上にそれぞれ柱が立っていて、石と石の間のスペースが、お坊さん一人に与えられた場所だそうです
境内には五重塔があったそうで、塔をを支える大きな礎石が残っています
柱を立てた跡が残っています
太くて、立派な柱だったのでしょうね
本来、この礎石は地面に埋まっているものなのだそうです
こんなお寺だったようですよ
本堂は再建され、今も観世音寺として建っています
なんだか、奈良のお寺を訪ねたような雰囲気のお寺でした
周りの景色も何となく似ているような。。。。。
続いては、学校院跡です
雨がだいぶ降っていて、写真がありません(>_<)
天応元年(781)には200人の学生が太宰府に集まったとの記録があるそうです
この時代、太宰府は学問の中心だったようです
そして、太宰府の本当の中心地
太宰府政庁跡です
この場所は50年前までは、田んぼが広がっていたのだそうです
地域の方がの協力無くしては、遺跡の保存は叶わないことなのですね
礎石もだいぶ無くなっていて、コンクリートで復元したものもありました
こんな感じで、礎石しか残っていないところに、どんな建物が建っていて
どんな人たちが、何をしていたのか、想像すると楽しくなってきます
この時代のことは、文献が残っている物もあり、想像とあまり変わらない生活だったのでしょうね
太宰府ツアーはまだ続きます