随分と久しぶりの更新となります。
今日は長々と書かせてもらいます。


8月17日に父が他界しました。

7月中旬にお腹が痛いと言って病院に
行ったところ、
腸閉塞と大動脈解離の疑いありとの診断で
町医者からの紹介で、
某病院に入院しました。
飲食の中止、捕液をする事で
改善されるか様子をしばらく診るとの事でしたが、
元々認知症でまだらボケだったのが
入院により認知が進行。
点滴の管を勝手に外したりするとの事で
両手は拘束。

腸閉塞の改善が見られないとの事で
8月初旬に手術を術く開腹したところ、
癒着は大してしておらず、
腸が重なりあっていた部分を元に戻した
だけの簡単な手術でした。
医師の説明も、問題なく上手くいけば
1週間ほどで退院できます、と。
手術後、意識を取り戻した時には
手術さえした事も分かってませんでした。
3日程ICUに入った後、普通病室に
戻りましたが、
面会に行っても一切喋りません。

10日後の8月14日に
病院のお墨付きで退院しました。
その日は私は仕事の為、付き添いは出来ませんでしたが、
母と長男が病院に迎えに行った時の
病院側の所見では、
処置後の経過良好、
1人で歩ける、
1人で食事ができる、
との説明でした。

しかし、自宅に帰ってきた
父は全く違いました。

1人で歩行などとんでもなく、
母に手を繋いでやっとの摺り足での歩行。

ダンマリで自発的に話さない。
(言葉を忘れた?)

食事(介護食)も1人では食べられず、
口に持ってってあげても、
ほとんど食べず。

母と私は、自宅に帰ってきて
家族に甘えてるのかと。
(元々、ぐうたらな性格だったので)

退院した翌日15日の夜中、
1人で何も出来ないはずの父が
パジャマを脱ぎワイシャツに着替えて、
階段をどういう風に降りたのか??
母が気づき、部屋に連れ戻しました。

翌16日、朝、母が父に
「おはよう、おはようは?」
と言葉を促し、
父が私に向かって「おはよう」と
かすれ声で挨拶。
夜、家族で食事をする時も
母に手をとられながら
テーブルにつきました。
父がガタガタと震えていたので、
「寒いの?」と聞いたところ、
首を横に降りました。
食事はほとんどとらずに
部屋に戻る前に、
小さい猫の方(あざみ)の頭をなでました。
それが家族が見た最後の父の姿でした。


午前3時ごろ
2階の母の私を呼ぶ叫び声が聞こえました。
「おじいちゃん(父)が息をしてない」
母の悲痛な叫びでした。

そこには既に冷たくなった父が、
本当に眠ているだけのような父が
横たわっていました。

自宅で死亡したため、
警察も入り、
検死の結果、
ちょうど日をまたぐ頃が亡くなった時刻
との事でした。

あの後、部屋に戻り
22時ごろ母が父にトイレに行くかと
確認したところ、
父が首を横に振ったそうで、
その後母もこの2日間の父の世話で疲れて、寝入ってしまったそうで
父を1人で逝かせてしまった事を
悔やんでました。
(それは同居している私も同じく)


私としては
父が病院ではなく自宅へ帰ってこれた事、
母としては大変だったが最後の3日、
夫婦として支えられた事、
そしてあのまま父が
あの状態だったら
母も共倒れし
家族も大変だっただろう…
変な話、父の家族への孝行だったのかな
と色々と思ってしまったりで。


ただ退院後の直ぐにの死亡だったので、
警察の方から、
「病院側に言いたい事はありませんか?
ご希望でしたら解剖も…」と。
確かに腑に落ちない点もなくもない。
でも母が解剖を拒んだので、
それ以上は追求はしない。
83才と言う歳で、
心臓が寿命を迎えたのだろう。


先日の日曜に四十九日を迎えましたが、
まだ家族は何となく、
じいちゃんがいない事にピンとこない
今日この頃です。


すいません、
長々と…