大河ドラマより紅白歌合戦より、数々の名作ドラマより、”The NHK!”は「(新)プロジェクトX 挑戦者たち」

 

復活した「プロジェクトX 挑戦者たち」、ずっと録画しています。「スカイツリー83分スペシャル」、「弱小タッグが世界を変えた/世界初のカメラ付き携帯電話」、「約束の春~三陸鉄道 復旧への苦闘~」、「厳冬 黒四ダムに挑む~断崖絶壁の輸送作戦~」・・・でも見られない・・・

 

 

号泣するにきまっているので。感動しすぎて呼吸困難になるに決まっているので・・見られない・・・

録画ばかりが溜まっていきます。はて、どうしたものか・・・立ち尽くしていたのですが、先日、何の拍子だったか、うっかり「世界初のカメラ付き携帯電話」を見てしまいました。

これは順番が良かった。もし「黒四ダム」が先だと号泣しただろうけれど、この「弱小タッグが世界を変えた/カメラ付き携帯電話」は、初めて知ったことが多かったせいか、泣くより、ただ驚き、感動するばかりでした。悔しいのは、世界初の革命だったのに、その後、どうして<未来>へつなげなかった?!・・・つまり、どうしてGalaxyやAppleに負けてしまったんだニッポン?!ということですがてへぺろ でも、おかげで、以来、「黒四ダム」も「スカイツリー」も少しずつ見るようになりました。

 

 

 

 

 

 

  世界初?! カメラ付き携帯電話が日本で生まれたとは・・・

 

その「新プロジェクトX 挑戦者たち/弱小タッグが世界を変えた」ですが・・・<写真を撮って、送信する>という機能が日本で生まれたことを皆さんはご存じだったでしょうか?

私は知らなかったので仰天しました。日本で生まれた?! 世界初?!

なにしろ現在スマホは、日本は世界からすっかり取り残されているので、世界初の機能を開発していたなんて・・目がテン・・・ちょっと信じられません。

 

 

そして、やはり歴史にドラマ有りなんだな~!と痛感するのが、その革命を起こしたのが、業界で出遅れていた後発メーカーたちだったこと。

 

まず通信会社。NTTがトップを走るなか首都圏3社目として 競争にすべりこんだのが「東京デジタルホン」→「J-フォン」でした。

※その後「ボーダーフォン」を経て、現在「ソフトバンク」になっています

 

J-フォンは急成長する市場に乗り遅れまいとJRや鉄鋼会社や自動車会社などが出資してつくった会社です。社員もいろいろな会社から出向してきた100人ほど・・・電波の配分も不利で(そりゃNTT最優先です)、客からは「つながらない!」という苦情が押し寄せました。

 

 

そしてもうひとつの崖っぷち企業だったのがシャープです。

 

下剋上を狙うこの2社が打開をめざしてタッグを組み、「弱小連合」と揶揄されたプロジェクトチームの苦闘が始まります。

長くなるので、詳しくは実際の番組を見ていただくとして、ひとつだけ言いたいのは、この「プロジェクトX」には必ず凹まない社員さんがいることです。諦めない人がいることです。

 

 

そしていつも思います。ずっと考えていれば、答えはみつかる。

 

 

たとえば、1999年にドコモが世界初のインターネット接続(iモード)を発売し、J-フォンも大打撃を受けます。端末課にいた高尾さんには、会社から追いかけろという指示が出ますが、彼は『何か・・・違う・・』と考え、ずっと、それに代わる一発逆転のアイデアを考え続けていました。会社の指示する方向でなく、自分なりのアンテナでずっと考えつづけていました。

そんな時、両親が長崎から上京。箱根遊覧をしているときに、『カメラだ!』と思いつきます。素晴らしい景色を撮影して、たとえば恋人に送れたら、感動を共有できる。そして、カメラ付き携帯電話の開発プロジェクトが始まったのです。

 

 

そのアイデアを生かすのは端末機をつくるシャープです。カメラを端末に組み込む?! 携帯電話のサイズを変えないで?! そんなこと出来るはずがない。でも、やるしかない。問題は誰にその設計を託すか?・・・ラッキーなことに、会社には当時変人天才エンジニア、宮内さんがいました。

書き出すとキリがないのでえー終わりにしますけれど、最後に、これほど素晴らしい番組はどうして生まれたのか?そこだけ少し紹介します。

 

 

 

 

  「プロジェクトX 挑戦者たち」が生まれた舞台裏

 

まず歴史ですよね。

「プロジェクトX 挑戦者たち」は2000年3月~2005年12月まで放送されていました。(wikipediaから引用させてもらうと)当初は無名の人々の知られざる活躍を描いたドキュメンタリーでしたが(「よみがえれ日本海」、「白神山地 マタギの森の総力戦」など)。

 

後半になると、戦後から高度経済成長期までの産業・文化などの分野で、製品開発プロジェクトなどが直面した難問をどのように克服し、成功したかを紹介するドキュメントに変わっていきました。

そして今年4月から番組が復活。それにしても、番組終了から18年も経っているとは信じられないほど以前見た番組の記憶は鮮明です。

 

 

このドキュメントは、どんなふうに生まれたのか?狙いは何だったのか?ちょっと調べてみました。

 

 

 

「プロジェクトXの舞台裏~番組制作者として学んだこと~」という寄稿が見つかりました。筆者は<NHK長崎放送局 局長 三好達夫>氏。

一部引用させていただきます。

 

 

 〈いま、時代は何を求めているか?〉 

 “時代の空気”はいま私たちにどんな番組を期待しているのだろうか? まず、時 代の分析です。当時の日本は長引く平成不況下にあり、日本人の間に先の見えない苛 立ち、蔓延するリストラなどで疲労感が漂っていました。戦後、世界でも類のない高 度経済成長を実現し、物質的豊かさを手にした日本人は、自信を失いかけていました。 人生設計も計画通りに進まないかも知れない。何を目標に掲げ、どう頑張っていいの かわからない。多くの日本人がこうした漠然とした不安の中にあったと思います。 ならば、「日本人も捨てたものじゃないぞ、大したものだ」という番組は考えられ ないか、ということになったのです。

 

 

(中略)

 『プロジェクトX』の基本コンセプトは、先に記したように、「戦後の日本で、偉 業を成し遂げた無名の日本人の群像」。そこに、「自信」と「勇気」、さらに知られざ る事実が私たちに訴えかけてくる静かな「感動」をつけ加えました。

 

 

 

引用が中途半端になって申し訳ないですが、こういう記録を残してくださった局長さんに感謝したいと思います。