ここのところ気持ちがどうにも曇ったままで

 

どうにもこうにもならないまま

 

日々が過ぎておりました。

 

 

 

 

こんにちは、せいらです。

 

  

 


 

 

 

 

そんなときもあるよなぁ

 

と思いながらも

 

 

なんでこんな気持ちなんだろうなぁ、と

 

考えてみたら

 

 

自分で選択することができていない

 

 

ということに気付いた

 

 

 

 

 


 

 

 

 

 

 

いや、日々何かしら

自分の意思で決定はしてるんやけど

 

そこを自分で認められていなかったんよね

 

 

 

 

たとえば、◯○食べる?って言われた時に

 

無意識に「うん」と言っている

 

 

○○やっといて、と言われたら

 

無意識に「わかった」と言っている

 

 

 

 

「うん」も「わかった」も

わたしの口から出ていることに違いはないんやけど

 

 

 

無意識に返事をしているから、タチが悪い

  

 

 

 

わたしからしたら

 

なんかしらんけど押し付けられた

 

嫌やったのにやらされた

 

に変換されているのだ

 

 

 

返事をしたのは自分なのに!

 

うん、タチが悪い(笑)

 

 

 

 

自分の意思で選択できる、というのは

 

 

わたしの自由にも繋がること

 

 

 

わたしは誰の意思も関係なく、自由に選択できる

 

ということを思い出すこと

 

 

 

 

これが重症化すると

 

 

ふらっと外に出ることさえ、してはいけない、と

 

思ってしまう

 

 

 

できない、が

 

してはいけない、になってしまうのだ

 

 

誰もそんなこと言っていないのに。

 

 

 



もちろん意識して断ってもいい、のは


大前提として





無意識に「うん」と言ってしまったとき

 



 

皿洗いが途中でも、やめていいのだ

 

ご飯はお惣菜でもいいのだ

 

ふらっと散歩しに行ってもいいのだ

 

買い物の途中でお茶してもいいのだ

 

友達付き合いがしんどければ、やめてもいいのだ

 

 

 

 

わたしの日常は

 

自分がいつでも選択できる、ということ

 

 

 

それは長い目で見ると、人生も、だ

 

 

 

それを覚えていてほしい

 

 

 

(誰に、わたしに!)