結局は、自分がほしいと望む目先のものを手に入れたって

自分のこころの中が穏やかにならない限り


同じことは繰り返される。




さいきん、とてもショックなことがあった。


とても悲しくて辛くて寂しくて


また同じことを繰り返しているなぁ、と思った。







わたしの人生で何回も同じようなことが起きる。



解決したように見えてたのに、それは違ったのかな、なんて思ったけど


その出来事が起きたときの
わたしの感じかたは少しずつ変わっている。



以前ならずっと落ち込んで引きずって
相手のせいにしていた過去から

それを相手に伝えてみたり

周りに頼ってみたり、傍観してみたり


色んなことを何度も繰り返ししてみた結果


「相手は変わらない」という当たり前のことに気づいた。



秋の空が好き。



あのころ

「いつだって悪いのはわたし」
「わたしのせいで、こうなった」

という気持ちがあって

なんとかしなくちゃ、と焦って

相手のため、と思いながら自分の保身に回ってたな。



それが

「相手には相手の都合があって

相手には相手の世界がある」

と思えるようになった。


わたしのせいだ、とかわたしの問題とは別問題。


それが、わたしとは合わなかっただけ。




朝の散歩に連れ出された。最高だった。



そう思えたとき、悲しいけど寂しくはなかった。


わたしはわたしで幸せに生きるし

相手は相手で幸せに生きるんだろうな、と願いながら

そっと距離をとりました。



そんなことをぽつり、ぽつり、と大切な友人に話したら

人との距離感や接しかたが不器用だ、と散々笑われて

呆れることなく笑ってもらえたことで、心が軽くなった。




心の中はあげみざわ、まではいってない。笑



「せいらが幸せならそれでいい」


周りがずっと伝えてくれている言葉を

ようやく、ここにきて自分自身に言ってあげられた。

 

もしああだったら苦労しないのに

もしこれがあればこうならなかったのに

もしあれが手に入っていれば大丈夫だったのに

もし、もし、もし


ふと、そんな考えが頭のなかにある。




もし、たら、れば、なんていうのは

自分の妄想のなかで都合のいいように進めている物語。


わたしが選んだことが、もし、たら、れば、の続き。



わたしが幸せに暮らすためなら、距離をとっていいんやで
無理しなくていいんやで

大丈夫、味方でいるから。




せいらでした。


どこまでもついてくるうちのにゃんこと日向ぼっこ