傷つきたくなくて


ずっとひとりでいたし


ずっと、人から傷つけられないように


生きてきた








心屋認定カウンセラー
せいらです。




せいらについて

*出没予定*

❤︎2020年2月29・3/1 コバマスアシスタント
❤︎2020年3月5日京都beトレ










この数日、色々あって


家の中が重い雰囲気。



気にせずにbeトレに行ってたんやけど

やっぱり頭の中にはそれがチラついてたんよね。








昨日、そのことでお母さんと話した。




話しているうちに
だんだん涙が溢れてきて



泣きながら出てきた言葉は

「信じてほしい」

だった。








お母さんはわたしを抱きしめながら



信じてるよ、当たり前やん。

ほんでな、あんたはなんでそんなに

自分が傷つけられると思ってるんや


何にそんな怯えてるんや


信じて欲しかったら

自分から信じてって言わなあかん




それに、あんたを傷つけようとする人なんておらんねんで。



安心して生きなさい。







そう言われて、さらにわんわん泣いた










安心して生きていいんだ、ということ


誰もわたしを傷つけようとなんてしてないこと


そして、それにまだ気付けてなかったことに



泣けて、泣けて、仕方なかった







それに、お母さんは

人に触れられることが苦手で

触ると「触らんといて」って怒るのに


躊躇なく抱きしめてきたことに


めちゃくちゃ愛を感じた




書いていて、まだ泣けてくるなぁ







自分のことを傷つけたくないから


他人がわたしを傷つけてこないか、見張っていた




そもそもの前提が


わたしはいつも傷つけられる、だった






自分で自分を傷つけておいて

他人から傷つけられたと叫ぶ




自分で自分のことを


可哀想な人にしてたんだなぁ






そして、そのことに対して


いつも怒っていた




可哀想な人に思われたくなくて


大丈夫じゃないのに
大丈夫なふりをする自分に。






他人にも、わたしにも

わたしはいつも怒ってたんやなぁ





ああ、そりゃ人が怖いはずやな。







お母さんはいつもわたしを傷つけると思ってた




いつも否定して批判して

なんでそんなこと言うのって言っても



全然直してくれなくて


それが嫌で嫌でたまらなかった。



たくさん拗ねたし

たくさん怒った。




でも、もうそれも終わり。




もうお母さんに傷つけられることがないなら


世間の目もお母さんの目も優しいとしたら

わたしが怖がることは、何もないんやな。



もう安心していいよ



それがわたしの心の真ん中に、落ちた。




そんな日。




こいつみたいに、安心して生きていい