2024-3-31 | penaltyのブログ

2024-3-31



始まった裁判。
昨今の芸能人に対する報道のあり方に、一石を投じる、意味のあるものだと思います。
まずこの件は、あの週刊誌の第一報のインパクトがあまりに大きかった為に、騒ぎが一気に拡大し、本人に対するスポンサー離れが起き、本人も休業を余儀なくされたという経緯があります。その第一報の記事を巡って、真実か否か、真実相当性があるか否か、記事の書き方に問題がなかったか等が争われる今回の名誉毀損訴訟。
こればかりは裁判の経過を見守るしかないと思いますが、記事の信憑性の有無に関わらず、やはり気になるのが、一個人に対するマスコミの過剰報道。この訴訟が暗に投げ掛けているのはそこのような気がします。
本人は別に犯罪者でもなく、また、社会的強者でもないわけです。特別な権力を持っているわけでもなく、多くの部下を従えているわけでもない、ただの一個人です。ただの一芸能人です。公人なのか何なのか知りませんが、個人に対し、ここまで過剰に報じ続け、矢面に立たせる必要があるのか?それこそ人権侵害ではないのか?
昔の芸能人のスキャンダルの場合、週刊誌が記事を掲載し、テレビのワイドショーがそれを取り上げ、それで終わっていたのだと思います。でも今は違います。週刊誌、ワイドショー、ネット記事、一般人のネット投稿という四段構えにより騒動が過熱し、そして持続するのが、一般的なスキャンダル報道の構図になっています。当人の受けるダメージたるや昔の比ではないのは言うまでもないわけです。そういった社会の環境の変化も踏まえ、人権侵害がされないよう、場合によっては法改正も必要なのだと思います。
人権尊重が叫ばれる昨今。それについては大賛成です。この件の週刊誌記事も、告発者の方が受けたとされる人権侵害を訴える意味で出されたという事だと思います。ただ、それにより、一方で、それを上回る人権侵害が起きるのだとしたら。しかも、その人権侵害を想定済みで出されたのだとしたら。
人権尊重の世の中というのは偽りという事になります。万引きをして無期懲役になる社会と方向性は一緒です。そういう社会にならないよう責任ある大人達、すなわちマスコミが自制心を持って行動しなければならないのではないでしょうか?