戦後74年 | penaltyのブログ

戦後74年


ここ1週間、広島 原爆の日(8/6)、長崎 原爆の日(8/9)があり、毎年そうであるように、戦争と原爆について考えさせられました。
戦争と言えば、全国各地に戦争悲話があります。
先日放送された「この世界の片隅に」では、原爆投下と呉空襲について描かれてました。
軍港を抱える広島県呉市は、度重なる熾烈な空襲を受けたわけです。呉軍港には、東洋最大の海軍廠があり、戦艦大和もそこで建造されました。知ってました?1945年6月22日の空襲では、1900名の海軍工廠関係者が亡くなったとの事。ちなみに海軍工廠というのは、海軍の軍需工場の事です。
で、海軍工廠と言えば、愛知県豊川市の豊川海軍工廠でも悲劇が起きました。こちらの海軍工も東洋最大の規模。日本海軍の機銃・弾丸の主力生産拠点でした。
1945年8月7日。124機のB-29による大規模空襲で、2500名の海軍工廠関係者が犠牲になりました。内452名が勤労動員された少年少女だったとの事。
その日と言えば、広島市に原爆が投下された翌日です。原爆投下作戦と平行して、通常の爆弾による空襲も積極的に実施されていた事が伺えるわけです。その2日後に長崎市に原爆が投下され、その6日後に終戦となりました。


豊川稲荷の裏手の広場にその供養塔はあります。結果的に終戦間際に2500名以上の犠牲者が出たという事もあり、一際大きな悲劇として語り継がれています。
つい先日、たまたま豊川稲荷に行ったので、手を合わせて来ました。




ちなみに、豊川稲荷というのは、日本三大稲荷の1つで、何と言っても、いなり寿司発祥の地。
本場のいなり寿司は、やはりうまい!






ちなみに、豊川稲荷に行った時、ついでに寄るのが豊橋市。
当然食べたわけです。豊橋名物「豊橋カレーうどん」。

と、話がそれましたが、この時期、やはり、戦争について考えなければならないと思います。年間で最も暑いこの時期と、戦争に関する記念日は重なります。酷暑と共にあの戦争を思い出すのが日本人の夏だと思います。
冷房の効いた場所で過ごし、いなり寿司やら豊橋カレーうどんを食べて、それをスマホで撮って一喜一憂し、ネットに載せたりしてるわけですが、そんな平和の裏には、戦争で亡くなったあまりに多くの方と、身内を失った方と、冷暖房はおろか充分な衣食住もない状況で困難な復興に立ち向かわなければならなかった日本国民がいた事を絶対に忘れてはいけない。令和最初の終戦記念日を迎えるにあたり、身に染みてそう思う次第です。