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2010.  9. 2.   oldpassion

 

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2010.  9. 3    oldpassion

 

古来よりめったに花を付けない植物の代表に「竹」があるが、竹や笹は50年から60年に1度、白い花を付けるとその群生している竹林、笹薮は全て枯れてしまう。

 

同じように20年から50年に1度、これも赤い花、実際は実とも言われるが、血の滴るような赤い唐辛子状の花を付けるのが「ミョウガ」であり、これも珍しいが、実は糸状の寄生虫に寄生されている事が解っている。

 

またサツマイモの花を見た方はおられるだろうか、サツマイモの花は小さな白い花だが、これを見ることもまた至難と言われているほど珍しい花だ。

 

そして最後に、サトイモの花だが、これも結構珍しい花で、実際私の母親は68歳だが、生まれて初めてサトイモの花を見て大変驚き、昨日から何か大変なことが起こるのではないかと騒いでいるのだが、その花が上の2枚の写真である。

 

サトイモの花は確かに珍しい、しかしこの花は日本全国的な視野に立てば、どこかでは毎年咲いている可能性のある花だ。

だが、狭い範囲の地域に住んでいる場合は、もしかしたら家の母のように、生涯の間に1度見られるか、見られないかと言う花であることもまた事実だ。

 

2枚の写真のうち、上の写真は花が閉じている状態、そして下の写真が花が開いている状態だ。

 

これらの珍しい花は、その珍しさ故、実際に目撃すると大変異様な印象を受け、何か天変地異でも起こるのではないか、などと思うかも知れないが、実は珍しい花が咲くことと天変地異の因果関係は無いように私は思う。

 

むしろこうした数十年に1度花をつけるような植物の場合は、特定の時期の気温に原因があるように思え、竹や笹はその群生の継続期間によって起こる異常に原因があるように思える。

 

ちなみにサトイモが花を付ける原因は、その種類によるとの見解があるが、これだけが原因とも言えない。

 

なぜなら同じ畑でも、花を付けるのは全体の中の1本か2本の場合があるからで、こうしたことを鑑みるなら、むしろ伝承されているサトイモの花の開花原因である「暑い気候が続くとサトイモは花を咲かせる」と言う話の方が説得力を持つのではないか。

 

1994年、2002年、2005年、2006年、2007年にもそれぞれ地域は違うが、日本でサトイモの花が咲いたと言う記録が残っている。

そして今年のこの暑さである。

 

まだまだ暫く暑い気候が続くようですが、皆さま、くれぐれもお体をいとわれてお過ごしありますよう・・・。

 

[本文は2010年9月4日、Yahooブログに掲載した記事を再掲載しています]、

[ちなみにこの年の暮れ、父は脳梗塞から右半身麻痺となり、翌年の3月11日東日本大地震が発生し、同年4月、母は自死した]

 

 

 

プレートテクトニクス理論に措いて、一般大衆が持つ視覚的モデルは、地殻と言う板が、マントル対流と言う流れの上に浮いているイメージが多くなる、

 

しかし現実の地殻形成モデルは生物学的表現をするなら「バイオシステム」の形態に似ていて、地殻は海嶺の下で新しく作られ、海溝で沈み込んでマントル内に消滅する、非可塑性循環形態と推測されている。

 

また地殻が衝突するプレート境界で、どのプレートが沈む方向になり、どのプレートがそれに対峙する形になるかは、プレートの比重に拠って分岐し、冷たい海水を携えるプレートはどうしても比重が重くなり、大陸プレートはこれより比重が軽くなる為、海側のプレートは大陸プレートに沈み込む形が多くなる。

 

日本を囲むプレートは太平洋プレート、フィリピン海プレート、北アメリカ(大陸)プレート、ユーラシア大陸プレートの4枚だが、沈み込みプレートは太平洋プレート、フィリピン海プレートで、北アメリカプレートとユーラシア大陸プレートは、比重の重い2枚の海域プレートに圧された形になっている。

 

そして2枚の沈み込みプレートの圧力関係は、太平洋プレートが1年間で8cm、フィリピン海プレートが年間2~5cmなので、少なくともこのエネルギー差は数十倍に及んで太平洋プレートの方が大きい。

日本列島は大地溝帯(フォッサマグナ)を破断面として、エビの形をした煎餅の背中を圧されるように、中央から西北西の方向に破断しようとする力に晒されている。

 

仮にフォッサマグナで破断が成立した場合、日本の西半分の北側は南東に圧し戻され、東半分の南側は北西方向へ弱い回転運動を起こす。

 

原則的に日本列島にはこうした力が加わっている為、例えば東日本大地震のような大きな地震が発生する初期は、日本列島の南の端と北の端に大きな力が加わるが、一番最初に太平洋プレート圧力の影響を受けるのがフィリピン海プレートの南の端、マレーシアやフィリピンで有り、次に日本の南西諸島と言う事になる。

 

ただし、南西諸島に加わる力はダイレクトエネルギーではなく、2つのエネルギーが90度の角度で分散されたエネルギー関係に等しく、為に実際に地震が発生した場合の震度は、恐らく5を超えることは無いと推測される。

 

2021年4月9日から始まったトカラ列島の群発地震は、徐々にその発生間隔が広がって収束するが、その収束期間は早くても1か月、長い場合は半年以上の幅が在り、この期間は微弱、中規模地震が数を減少させながらも連続する。

 

この南西諸島群発地震から1年ほどして九州南部、霧島連峰の火山活動が激化する、若しくは九州南部に比較的大きな地震が発生する恐れが在り、同様の恐れは2011年の東日本大地震でもエネルギーが放出されなかった千島海溝の南、日本海溝の北の端、北海道南東部にも存在する。

 

この南北両端の地震は震度6強を超える恐れが在り、これが終わると相模トラフ線の曲面率が深くなり、東南海地震、関東南部に大きな地震が発生する可能性が高くなり、次に南海トラフでは九州東北部、四国南西部にはまだ大きな地震が発生していない事から、紀伊半島沖、若しくは四国北部を震源とする地震が発生した場合、その範囲は日本列島の南岸4分の1を占めるものになる、簡単に言えば南海大地震に繋がる可能性がある。

 

現在、玄界灘、島根、鳥取、福井県、石川県、富山県、新潟、駿河湾、沼津、千葉県、福島県、北海道南部で深海魚の捕獲や魚貝類の大量死が続いているが、2007年の能登半島地震、中越沖地震の以前、2005年頃から日本海側各地で深海魚の目撃例が増加し、そして能登半島地震や中越沖地震が発生した。

 

しかしこうした地震が発生した後も、深海魚の目撃例はさらに増加し、また大量死や海藻の生育変化が止まらず、2011年の東日本大地震に至った。

 

現状、日本各地で発生している魚介類の異常に鑑みるなら、傾向として2007年付近の状態に酷似している。

能登半島地震や中越沖地震発生後も続いた日本海側の異常は、日本海側に更なる大きな地震を想定させるものだったが、現実には日本列島が全体的に圧されている為、発生してくる異常現象は、その地域を特定するものとはなっていない。

 

日本海側で魚介類の異常現象が発生しているからと言って、それが日本海側で発生する地震に繋がるとは限らず、むしろ日本海溝やフィリピン海プレート地震を警戒する必要が在り、その場合は日本各地で魚介類の異常が2年から3年、各地で継続して発生して来る傾向を持っている。

 

元々深海魚の捕獲、魚介類の大量死は原因不明のものだが、こうしたものが増加すると言う事は、原因は解らないとしても、何かがこれまでと変化してきている、何かが起ころうとしている可能性を否定できるものではなく、その変化の一つが地震と言う可能性も否定できるものではない。

 

ただ一度の事例をモデルケースに想定することは、甚だ危うい事ではあるが、他に統計的数値が残っていない東日本大地震クラスの地震では、こうした危うい事でも頭の片隅に入れておく必要は認めらるものではないかと思う。

 

2021年4月から起算して2年後、再度日本海溝かフィリピン海プレートに関連する大きな地震が発生する可能性が在り、この場合は日本海溝で再度巨大地震が発生する確率よりも、フィリピン海プレート地震の方が発生確率が高い。

 

その1、2年前に九州南部と北海道南東部が震度6強以上の地震に襲われ、しばらくして東南海地震、関東地震が発生し、直後に南海大地震発生と言う可能性が在り、しかも東南海地震、関東地震、南海地震の発生順序はどれが先に来ても必ず連動し、その場合1年以内に全ての地震が発生する、若しくは数日の内に3つの巨大地震が全て発生する事すら、在り得る。

 

巨大地震の場合は震源が複数化する。

東南海地震では3個所の震源が同時、または数秒ずれて揺れ始め、関東地震では少なくとも2回所の震源が同時に揺れ始めて大きな地震になり、南海地震では数秒のずれが生じても、6箇所の震源がほぼ同時に揺れ始めて地震は巨大化する。

 

外れればそれに越したことはないが、今後も深海魚の発見事例、魚介類の大量死が続くか否か、最大限の注意を払って行きたい。

 

 

[保勘平宏観地震予測資料編纂室第4018号公開通知]

資料編纂責任者  浅 田   正

 

 

ルネサンス期のイングランドを代表する劇作家「Willam Shakespeare(ウィリアム・シェイクスピア)(1564[受洗礼日]~1616年)が、1606年に成立させた物語「Macbeth(マクベス)の中に、その有名な一言は出てくる。

 

The night is long that never finds day 

 

日本語に訳するなら「明けない夜は無い」若しくは「朝の来ない夜は無い」と言う事になるが、「吉川英治」が好んで色紙に書いたと言われるこの一節は、1980年代、アメリカでも大手自動車産業のCEOが絶望的な経営環境に晒られた時、彼の父が息子に送った言葉としても広く知られている。

 

過去、そして今現在絶望的な状況に在る者をも、多く救うで在ろうこの一節は、確かに暗闇を彷徨う者の光と為り得る。

 

しかし世の中には「完全な闇」「決して助からない状況」と言うものも存在し、しかもそうした状況に在る者の数は極めて稀と言う訳ではなく、明日、誰もがそうした状況にならないと言う保証は無いのである。

 

巨額の債務に追われた者の最後は、僅か数百円の事でも命がけになり、今日、決して治癒のできない病に冒された者、天寿が全うされる瞬間の者に取って、その暗闇は決して朝を迎える事は無く、絶望の淵から逃れる術はない。

彼らを言葉で救うことはできない。

 

だが、私は思う。

絶望と暗闇の彼方にも光り輝く、美しい世界が在る事を・・・。

絶望と暗闇から生まれるもの全てが、必ずしも絶望や暗闇ばかりとは決まっていないと・・・。

 

我が形を為すものは幼き頃の貧しさから来る「僻み」(ひがみ)、「妬み」「自己顕示欲」「恨み」「やせ我慢」「猜疑心」と言った、ろくでもないものだったかも知れない。

が、しかしこうしたものの彼方にまで来てしまった我が身を振り返るに、それが見せてくれた景色の中にも、美しく心動かす事も存在した。

 

いやもっと言うなら、それが在ったからこそ見えた景色と言うべきだったかも知れない。

心を引き裂かれる思い、泣いて泣いて嘆きあかしても、どうにもならない思いも在ったが、我が手で我を殴って得られる痛みでは、決して得られない痛みがもたらす景色、その過酷さにこそ有り難さが在った。

 

仏陀は晩年、戦乱で屍の山となった故郷の地を踏み、その荒廃した景色を見てこう言った。

 

「この世は何と甘美なものだろう、生きていると言う事は何と美しいのだろう・・・」

 

眼前に広がる地獄の景色を眺め、絶望と苦しみ、悲しみ、それらを噛みしめながら、揺り篭にて春の陽を浴びているかの如く優しく、美しく、穏やかな、景色を見る。

 

今滅び去り行く命の傍らに、若さを謳歌し、頬を染めて恥ずかしそうに手を繋ぐ少年と少女の姿が在り、さらに傍らには子を抱く母親の姿、そして苦しみもだえる人も在る。

 

「ああ、何と素晴らしい事なのだろう・・・」

「命が溢れんばかりに光輝き、満面の笑みを以てゆっくり回っている・・・」

「まるで水面に映り返えった夏の陽の煌めき、その眩い(まばゆい)ばかりの在り様ではないか・・・・」

 

人は生きると言う旅の終わりに、生と死、その両方に対して戦いを挑まねばならない。

この世で最も過酷な、そして最も崇高な戦いの姿は、もしかしたら追われ続けて倒れ、泥水をすすって滅んで行く事になるのかも知れない。

 

だが、こうした在り様ですら、きっと最後は美しく穏やかな景色として映るに違いない。

 

水は最も最短にして、最も適切な道を通る。

だがそれは、それ以外の道はなかったと言う事でもある。

 

その生き方に一切の間違いはなかった。

全て正しかった。

そう自分の命が言ってくれるに違い無い。

 

 

                                         2021・3・25 old passion

 

 

そしてここに「人の死」に対する概念と言うものが加わってくる。

生きた人間を殺して、誰かの命を救うことは現在の段階ではどの国家もこれを容認していない。
従って実情はどうあれ、死体からしか臓器を取ることは許されないが、この死体と言う定義をめぐって日本と他の諸外国には大きな見解の相違があり、また世界中の個人によっても見解の相違があるが、欧米では一定の定義を持っているものの、日本は明確に死体の定義を持っていない。

その中で「脳死」を人の死と定義しないまま、2009年7月「臓器移植法」の改正案が国会を通過し、その施行が2010年1月17日から始まったが、この改正の重要な骨子は、それまで臓器を第三者に提供する場合、「本人の事前承認」を必要としたものが、親族の同意で臓器提供ができるようになったことと、これまでは禁止されていた15歳以下の者からの臓器提供も、親の同意があれば可能となり、また15歳以下の子供に対しても臓器移植が可能となる道を開いたことだ。

しかしこの法案が通過した経緯には甚だ疑問な点も多かった。
まず審議に要した時間の短さであり、人の死と言う重大な定義を審議するにはあまりにも性急であったことから、単純に欧米の価値観で「脳死を人の死」とすることを容認し、しかも現実にはこれが人の死だとは決定されなかった曖昧さがあり、この部分を脳死判定会に丸投げした形となったことである。

実は脳死と言う概念は1950年代後半から発達してきた人工呼吸器の出現にその端を発していて、人工呼吸器や延命装置が発達する以前は、呼吸の停止イコール脳死となるために、死亡の確定が容易だったものが、人工呼吸器の普及で、脳死と心停止や呼吸停止が分離されたことから始まってきたパラドックスだった。

従って人工呼吸器が開発された初期の段階での脳死患者は、「超昏睡状態」「不可逆昏睡状態」などと呼ばれ、生きていると定義されていた。

また脳死には2種類あって、脳機能が全て停止する「全脳死」と、脳幹が不可逆性変化を受けて自発呼吸ができなくなる、また脳幹反射が失われた状態になる、いわゆる「脳幹死」(brainstem death)があるが、脳幹死の場合は、脳幹が一次的損傷を受けても短時間は大脳の血液循環が存在することから、患者はたとえ外に何かを表現できなくても感情などを有している場合が考えられた。

この「脳幹死」を提唱したのは1983年C・パリスによるもので、これによって脳幹の損傷が可逆的か不可逆的、つまり回復するか、しないか、と言うことにも注目しなければならないとして議論になったが、その後欧米の脳死の概念は、こうした脳幹死を含めて全て「脳死」とする方向に動きつつあり、イギリスなどはすでに脳幹死も「脳死」と定義付けているが、日本の厚生省の脳死判定基準はこの「脳幹死」を脳死としていない。

また実際に脳死状態の患者を見たことがある人はいるだろうか、人工呼吸器をつけてはいるものの、その胸は明らかに呼吸をしていることを示すように上下に運動し、体温も温かく、まるでただ眠っているようにしか見えない。
こうした脳死患者を見るに付け、私などは何をして「死」と呼ぶのかが明確には分からず、この患者から臓器を取り出してしまえば、患者の呼吸は確かに止まってしまう事になるのである。
そこには殺人とまで行かなくても、何がしか大きな罪悪感が存在せざるを得ない。

そしてこれはアメリカでの統計だが、通常人間が脳死すると一週間以内に心肺停止になるとされているが、極まれに30日以上生き続けた例があり、その最長記録は脳死状態から21年間も生き続けた例もある。

また若年者の場合は脳死から2年後に回復し、意識を取り戻した症例も存在するが、これらのことを鑑みるに、またこれも同じくアメリカの脳神経学者A・H・ロッパー博士の報告だが、脳死患者が医師の見ている前で両手を上げ、その次に祈るようにして胸に手を当てて、そしてまた手を元の位置に戻す動作を見せたことがあり、これと同じ現象はヨーロッパや日本でも確認されている。

ロッパー博士はこの現象に対して「脊髄自動反射」、つまり昆虫などが死んでも、一定の部分を押せばその手足が動く条件反射と同じものとし、こうした現象は患者の家族には見せないようにと、他の医師に注意しているが、そもそも第三者がどこも圧迫しないのにこうした運動があることは、少なからず脳死が人の死であることに、疑問を抱かせる材料となるであろう事は否定できない。

ちなみに脳死状態から21年間も生き続けた患者の症例だが、解剖された結果、この患者の脳は完全に死滅していた。
このことから考えられることは、人間には「脳死」と「体の死」と言う2つの「死」の概念があることではないだろうか。

2009年7月に改正された日本の臓器移植改正法、これによって2010年には6例もの脳死判定が成され、そのいずれも生前本人の意思確認が成されていない状態で、家族の同意のみで患者から臓器が摘出され、そしてこれらの患者は死亡し、誰かの命は助かったが、これに対して当事者ではない私が論評することは控えるが、例え明日死んでいく命も、今日生まれた命も等しく尊い事を思う・・・。

またこれは少し以前の統計ではあるが、2005年の段階で脳死を人の死とすることに賛成かと言う、読売新聞社の全国世論調査では一般国民の59%がこれを是としたが、同じ調査を、こちらは厚生省が医療関係者に対して行った結果は、38%しか是とする者がいなかった。

つまりここでは医療関係者、医療従事者ほど、脳死を人の死とすることに抵抗があることを示しているが、この差はどこから出てきているかと言えば、ひとえに脳死状態の患者を普段見る機会が有るか、そうではないかの差と言うことになるのかも知れない・・・。

 

[本文は2010年9月2日、Yahooブログに掲載した記事を再掲載しています]
 

人はどこからどこまで自分のもので、どこからが「他」になるのだろうか・・・。

およそ「他」の動植物を捕獲し、それを食べていかなければ生命を維持できない人類に取って、生きると言う意味であれば、眼前に広がる光景の全ては自分のものとも成り得るが、同時に人類は自分ひとりではなく、その意味では全てのものは共同所有となるのが人類社会の原則と言える。

つまりここでは全てが自分のものであって、自分の物ではないと言う考え方が発生してくるが、その中でも緊急性を持つものには、それが優遇されることが文明社会のあり方と言うものに違いない。

しかし人類社会は同じ人類同士の関係で、「限界」を定めてはこれなかった。
すなわち「生きる」と言う意味において、どこまでが許されるかの話し合いを避けてきた経緯があり、その一方で緊急性やその需要の多さから、こうした議論は常に現実に押されて成り行き上の容認となり、また人々はこれに口をつぐんできた。

古代ギリシャ彫刻のレリーフには、医師が奴隷の足を切り取り、それを兵士、おそらく将軍だと思うが、彼が戦場で失った片足の代わりに縫い付ける場面がある。
おそらくこの術式ではその後、この奴隷の足は拒絶反応を起こし、結局縫いつけた先は壊死し、その断面は化膿して大変なことになっただろうが、それでもここで注目すべきことは、この時代でも「他」の人間の体を使って自身の命を長らえようとする、また欠損した部分を補完して生き残ろうとする考え方が存在していたことだ。

「他」の人間を使って自身の命を長らえようとする発想は、実は意外に古くから存在し、広義では、例えば神殿の造営や飢饉の際の雨乞いに捧げられる「生贄」などもその概念には入ってくるし、同じく飢饉などで発生する「食人」などもその範囲だろう。
しかしこれらとギリシャ彫刻のレリーフとの決定的な差は、人の体を使って自身が生きようとする発想だ。

ここで問題となってくるのは、もし眼前に人の死体があり、飢えた他の人間がこの死体を食べて飢えをしのぐことと、この死体から臓器を取り出して、それを自分に移植して、自分が生きながらえる事の倫理的罪悪感の相違とでも言おうか、その差である。

キリスト教は古くからその復活思想の影響もあり、ことに人間の体やその死体のありようにまで拘ったが、それは体を失うと復活ができないと考えられたからだ。
それゆえ、現在でもキリスト教原理主義系の信者たちには、基本的には「輸血」であっても「他」が自分の中に入ることを拒絶する者が出てくる。
しかしその一方で臓器移植に関して少なくとも日本よりは寛容で、歴史を持っているのが西洋文明でもある。

日本文化は古来より体を二次的なものと考えてきた経緯があり、そこでは本質は霊魂にあって、体は器にしか過ぎなかったが、こうした背景を考えるなら、日本にこそ「臓器移植」に対する寛容性が存在しそうなもののように思えるが、実は日本ほど死体に対しての冒涜を忌避する民族も少ないのである。

日本では古来から、確かに生贄や食人の歴史は存在した時代がある。
しかし平安や鎌倉時代でも、例えば死に及んで仏像と自分の指を糸で繋ぎ、それで来世の救いを祈願した貴族はいても、敵兵や身分卑しき者から体の一部を切り取って、それで自分が生き長らえようと考えた者はいなかった。

だから儒教や仏教はその思想の中で、暗に「自分の範囲」を、「生まれた時に両親からもらってきたもの」までとすることを決めていたとも言えるのである。

だが方や「体」に拘った欧米文明ではその宗教的意識のコントラストの強さから、身分の隔たりが日本より大きかった面が存在し、それはやがて宗教的な支配が強かった中世社会への反動として「合理的、科学的精神」への信奉へと推移して行った結果、物事を細かく明文化して行く傾向が生まれ、このことが全てのモラルや倫理を狭義化、軽薄化してしまった。
それゆえ、今日の臓器移植に対する日本民族と欧米の臓器移植に対する考え方は、近いようで決定的な相違点を持つに至っている。

日本文化は思想的に欧米よりは臓器移植に閉鎖的な面が存在し、このことの是非はどちらかの考え方に正義があるようなものではない。

また現実に臓器移植が可能になった現代社会に措いては、宗教的道徳観やモラルと言った見地だけで臓器移植を捉えることができなくなり、ここで臓器移植に賛同するか否かは、その人間に与えられた状況に対する考え方であり、一般的に臓器移植を必要とする者、若しくはそれに関係する者にとっての臓器移植の考え方と、そうではない健常者、若しくは多額の費用のかかる臓器移植には手が届かない者、また自身らの為に動いてくれるような組織との付き合いがない者との考え方の差が、臓器移植に対する考え方の対立要諦となっている。

話をもう少し絞ってみようか、もし自分の子供が先天性の臓器疾患だった場合、これが臓器移植によって助かるとしたとき、高額な医療費がかかる臓器移植の費用がない者は、ここで子供の命を諦めねばならなくなる。

だが片方で経済的に余裕がある者は、この臓器移植を子供に施すことが可能であり、また経済的な余裕がなくても、知り合いなどに運動化がいて、手術費用を寄付で集めて貰えるような環境で在れば、これも臓器移植を受けることができるだろう。

そして金銭が理由で子供の命が助からなかった者はどう思うだろうか。

金で人の命に格差が付いたことを感じ、また通常子供に疾患のない一般の親の感覚としても、高額な医療費を払う余裕のないことが予想される者は、基本的にどこかで金銭によって人の命に格差が発生することを恐れることから、こうした者たちは臓器移植そのものに躊躇して行き、金銭的に何とかなる者たちは当然臓器移植を望むことになる。

 

[本文は2010年9月2日、Yahooブログに掲載した記事を再掲載しています]