本当に怒涛の日々といっても過言ではない
せっかくだから私のライフワークである数秘で見てみよう
先ずは今年2025の数秘は9
世の中の周波数はひとつのサイクルを終わらせる完了の年を歩んでいる
宇宙規模、地球規模のお話しとも、もちろんリンクしている
《起きたことは変えられない》
すべてを信頼して受け入れて許していく
私の2025年パーソナル数は11
来月8月から一年間、自然の流れに抗わず委ねて水のように響き会う調和
人生をかけて学ぶテーマがさらに色濃く始まっていく
第二章。とも言うべき流れ
図らずとも宇宙の流れは決まっていたかのようで、古くなった、身に纏えなくなった角質が取れるように(確執でもいいな)剥がれ堕ちている
6月、7月と折り返し真っ只中で、いろんなことがいっぺんに起きた
荒波が押し寄せて波打ち際に岩がどーんと音を立てている感じ🌊
エネルギーが動いている
6月に夫が倒れて入院して、退院したら在宅医療が始まった
夫の暮らしも新しくなり、はじめは毎食栄養管理を任せられて気が休まらなかった
とは言え、時間と共に慣れて心も緩くなってきたのでこちらはなんとかなりそうではある
動く方がリハビリになるとは夫の考えで、職場も早々に復帰した
周りはまだ休んでと言ってくれるらしいがそうはいかないらしい
子どもたちは着実に日々更新されて歩みを進めていて、何だかんだ学校のシステムに感謝している
私の両親は共に教師であったが、私は学校に反抗的な子どもだった
昭和の荒れた中学校で体罰が横行していて、校門で竹刀振り回す体育教師が怖くて学校に行けなかった
表面上は正義感で話し合いのもとに向き合い、理不足なやり方に反抗してみても、ふざけた大人の驚異には勝てなかった
そして結果、目をつけられ私もある日、体罰を振るわれた
暗い個室に連れていかれ殴られた
すっかりトラウマになり、いきる力を奪われた
当時、学生たちはみんな苦しそうに見えた
反面、真面目にルールを守って、うまく立ち回り、楽しそうに笑っていた(ように見えた)
将来に希望を持っていたら我慢も出来たのかな
私は将来に希望を持っていたけど
素直に大人たちの言うことを聞きなさい
がどうにもこうにも出来なかった
そして心は傷ついていった
辛い日々が続いた時
両親は私を抱き締めてくれた
あの時を忘れない
暖かくて安心して
できの悪い私でも
赦された気持ちになった
守ってくれてありがとう
令和の子どもたちはとても素直に見える
子どもの成長は私に光を当ててくれる
昔話です。
そんななか
現代。
ライアーワークショップが開かれて自己に向き合う毎日
多々思い返す度に悔しさと不甲斐なさで押し潰されそうになり自己嫌悪になった
崖から堕ちた感覚、すとーんと不調和が具現化されていく
主催側としての仕事は思うように出来なかった
本当に気が利かなかった
頭でっかちで自己顕示欲の塊の自分に吐き気がして、受け止めて赦すには時間がかかりました
後日、運営チームのお二人に正直に話すことで
私にも役割があったことを思い出した
私自身ワークショップ開催までの期間、ほぼ一年間ライアーの関わりを楽しみ、何度もエネルギーを寄せ会い、深く濃い関係を築いていたことは私の宝でありチームに感謝している
運営チーム、制作参加メンバーとして関わったことに心から感謝している
私にゆとりのない現実でまさか息子とライアー制作をすることになるとは
こんな時だからこそ
沸き上がる気持ちを創造的に使えたら良かったのに空っぽの空間を見つめて、未熟な自分を発見する旅でした
これは私の必要なプロセスだったわけ
その場を整えていただいた鬼塚先生に心から感謝しています
同じくサポートの響波さんにも深く感謝しています
そして。同じ週
息子の吹奏楽コンクールはまるでひとつの映画を見ているような感動でした
顧問の先生や校長先生と涙…
他の学校は30名近い規模で、吹奏楽も大編成で大音量!まさにコンクールの緊張感
そんななか、たった6人で出場を果たしたのです
心に優しくメロディーが響いてきました
音楽的でオアシスのような時間だった
部員の皆の笑顔が最高でした
息子も心から楽しんで堂々とした立ち振舞いに心から拍手を送りました
その日の深夜、日付が変わる頃に
ひいおばあさんが旅立ちました
先日お通夜、葬儀から納骨までを済まして
私からは、血は遠いけど
一緒に暮らしていたからこそ
家族以上に家族で
何でも話した友人でした
いつも気にかけて
いつも居てくれて
いつも笑ってくれて
いつも見方してくれて
いつも「ママー」と呼ばれて
いつも暇だりして(お喋りの意味)
立場上悲しむ暇もなく
というのは嘘で
悲しくて
変な顔で場を乗りきっていました
オニヅカさんの音階は永久に響く
果てしない音を奏でてくれる
側にライアーがあって良かった
今は潜在的に求めていたことをじわりじわり感じています




