いやあ時が経つのは早いような、ゆっくりなような。
色々ありました。私自身も。
出逢いがあって、別れがあって、
泣いて泣いて泣いて。


立ち直ったとはまだ言えない状況ではあるけれど。





自殺を考えてしまう程に自分を追い詰める人がいる。

それと反対に、他者を傷つけることで自分を守る人がいる。


色々な人がいる。




もがいている。


私はそう感じる。



命を燃やして生きたい。
私はそう思っているけれど、
そうじゃない人だって勿論いる。


誰かの価値観をトレースしたり、
それに沿うことはしなくていいと思う。
…私はそう思う。


立ち直ってしまえば、

もしかしたら私は救いたい一心であっても、間違えることもあると思う。
押しつけがましかったり、正論を並べてしまったり。。



愛情の形は人それぞれで、
嫌いの中には好きと期待が入っている。


人間だからね。仕方ないね。


とはいえ、

そうやってむき出しにすることを望んで生まれているとはいえ、
やっぱり悲しいなと思ってしまうのは、育ち故か。


人にはそれぞれ役目があったり、使命があるという。

しかもそれを生まれる前に決めてくるのだという。


けれどそれを一旦忘れてしまって、

先祖代々受け継いできた気質と刷り込みを受けて、抱えて生きていく。


折れなかったからこそ、生きているわけで。

今まで受けたあれやこれは全て学びだった なんて悟れるのは、
やっぱり苦しいところを抜けれたからであって。




とある知り合いが、

その辺に誰かが捨てた愛情を拾ったならそれでいいんです。
自分が自分を満たしていられれば、愛していられれば。
そしてその捨てられた愛情に気付いて拾えたならば、

それでいいのだと。そう言った。

そして自分は。
痛みに痛みを返すのではなく、
全てに偏った、痛みの愛情ではなく、
包み込むような愛情をそっと差し出すことが出来るならそれでいいのではないかなと。
そういう人でありたいなとそう思った。

まあそれも、結局受け取る人にとってはお節介とかになるかもしれないけれど。



逃げたいけれど逃げられない。

昔の私がそうだった。


捨てられない人がいる。
捨てられない場所がある。

色々理由を並べ立てて、留まってしまう。

本当は離れた方がいいと思っているし知っている。
なんなら誰かにそう良く言われる。


だが誰も助けてくれる人はいない。


―――自分がそれを心の奥底で諦めてしまっていたり、
様々な要因で否定してしまったりもしているから。

勿論、一概にそれが要因とは言えないが。。。




だがそれでも、それが心の奥底にあるのが、今の私だ。




誰かを助けたい。

―――自分が救われたい。


それはきっと紙一重だ。





子どもを育てる時、親は未熟だと言う人がいた。
初めてのことをやるのだからそれはそうだ。

生まれてくる子どもの方が偉い、なんて表現をしていたが、
共感するような、どことなく違うような。

まあ生まれてくるときにその親を選ぶというから、
色々な意味で意味で学ぶために生まれてくると考えると、、
表現としては「偉い」になるの…か?語彙力がないから今は説明がしようがないが。
いつかそれを説明できる日が来るのだろうか?

子どもを持ったことがないシングルな女には…

まあまだ、それを実感するには遠いかもしれないが。



色々な思いを抱えて人は生きている。

あまりこういうことを言うと嫌だという人もいるかもしれないが、
所謂、「魂の記憶」なるものだったり、
「ブループリント」と呼ばれるような、

カルマや過去生からの未練??課題??だったり。



行動には必ず意味があるという。
どうしてそれを行うか、無意識の底にある感情が、
意味を見出すから行動をする、

なんてどこかの心理学???であったようななかったような。

無意識の行動――クセもそうだが。
思考も、動作も、そのすべてに意味があるとして。

気持ちだけが溢れている今の私は、どうしてこうやって留まっているのか、

…答えは未だ出ない。



失敗はいい。
だがそこから次にどう生かすかを考えなければ成長ではない。


思い知るまで無意識は、世界は、人に厳しい。


無意識を投影する現実は、
無意識が変わらない以上同じことを繰り返す。


泣いて泣いて泣いて。

虚しさを嘆き、悲しみに泣き、悔しさに喘いでも。

同じことを繰り返す。

本当の意味で「理解する」まで終わらない。



誰だって楽したい。
だから機械が生まれて、だから様々な便利なものが生まれてくる。


誰だって楽したい。
だからお金を持っている人に与えられるだけを良しとしてしまう人もいる。




たまには楽をしたい時だってある。

けれど、ずっとそれでいいのかな?とたまに疑問に思う時がある。



暇は人を殺すという。


少しくらい忙しい方が勿論余計なことを考えなくて済んだりする。


でも。
そういう時間が必要な時だってある。




物価上昇やら仕事が見つからない、やら
色んな人がいるとしても。


いつか、誰もが正しくお金を稼ぎ、循環させて
プライベートも何もかも充実して
心からの幸せを掴めるようなそんな世の中を作りたい。

だなんて。




壮大な夢が私にはあったりする。




人には無限の可能性がある。

誰しも才能を持っているし、
活かせる場所があると思っている。


燻っているのはその材料をまだ知らないだけで。

けれど材料を知るには動かなければいけない
そうなった時に、動ける人がどれだけいるだろうか。


私は、少なくともまだ動けていない。


誰かに怠け者と言われようと、
ニートだと蔑まれようと。

なんだかもう、今更なんだよなあ、なんて。




転職回数が多いことで落とされたりする。
中々人と合わなくて期間も短ければそれはそうだ、って自分で納得してしまう位。


だがそれでも。

人の可能性を正しく見出して、
本当の自分に安心して戻ることが出来る時間と場所を作りたい。

それが今の私の夢の一つだ。



死にたいくらい苦しい思いをしても。
自傷行為を繰り返していた過去があっても。

それくらい自分に怒りを悲しみをやるせなさをぶつけてしまう様な人こそ、
私は本当の自分に戻った時、物凄いパワーを発揮するのではないかと思っている。

まあそれを証明するのは、これからではあるのだが。
私自身がそれを証明しない限り、実績にならないと思うから。



それでも。

まだ見ない誰かの助けになりたいと強く思う。


人の事ばっかり、と自分に呆れもしているが。

だがそこには自分の幸せだって考えているのだと、
自分の無意識には刷り込んでおきたい。
まあ忘れがちの暴走しがちにはなってしまうのだが。。




ふと、なんとなく久しぶりのブログで書き綴ってみたくなった。
今の気持ちであった。