我武者羅にがむしゃらに。
無理を突き通してばかりの日々だった。
いつの間にか心も置き去りにしていた。
いつの間にか体も無視できていた。
だからこそ、身体に傷を付けまくった。
「痛み」があるから「生きている」と思う。
だからこそ、「生きてしまっている」とも思う。
刃物の冷たさが心地好いだなんて。
この病んでいる感覚がおかしいだなんて
きっと当人が一番よくわかっている。
誰に言われなくたって、
当人が一番一番、よく知っている。
そして儘ならなさに一番絶望しているし、
一番苦しんでいる。
内に内に閉じこもる。
それもまた一種の防衛反応だ。
人間はたくさん防衛することが出来るのだな。
心を守るために。
自分を守るために。
お金の問題
人の問題
全て今の心の状態を映している。
きえてしまいたい
本当にそう?
自分すら自分を誤魔化して生きようとする。
そして無視しようとすれば、いくらでも無理は効く。
………ある程度までは。
それが限界を迎えたらどうなるか。
ある人は人へと攻撃性を向け
ある人は自分へと攻撃性を向け。
そして、
やがて。
病気、怪我………そしてまたリセットと再スタートへ。
負の連鎖。
もう一度やり直したところで、
同じような人生を歩む可能性が高いと
あらゆるところで聞く。
痛い思いをして、苦しい思いをして。
再スタートすることは、
確かに今の苦しみから
今、逃れるのには適している、かもしれない。
ただ言えるのは、
そうまでしてまた同じことを繰り返したいのか?
そうは思わないからこそ人は足掻く。
足掻いて足掻いて……それはやはり、
自分に無理を強いることと同義で。
そうしてきた今までの「土の時代」は
我慢、根性 などの精神論が通じた。
実際、書き手もそうである。
し、だからこそ耐えてきて耐えてきて……
結果、そういう類を言われることが全て嫌になっている。
何かをするためには我慢して何かをしなければ。
…例えば、
やりたいことで稼ぐためにはまず
バイトでもなんでもして生活費溜めないとね とか。
確かに、それは正論、かもしれない。
だが道は一つじゃないことを
あらゆるところで教えてくれている。
何故それを赦さないのか。
大多数は、特に。
自分が苦労してきたからこそ、
苦労を強いてはいないだろうか。
書き手は、そうは思わなくなった。
苦労してきたなら、
その苦労はしなくていいように。
道を示すことができる。
まあ勿論、その道を行くか行かないかは
聞いた者の心境状況だったり、
信念や今信じている価値観だったりするわけだが。
人は一人では生きられない。
という割に、
人は一人になったって死ねやしない。
……だが、と続くが。
人はずっと孤独を感じていればそれは苦痛となって
やはり死を選ぶだろう。
生きているだけで奇跡だし価値がある
といいながら
生きているだけでお金はかかる。
なんともやるせない世の中だ。
なんて思うともっとやるせない世の中になっていくだろうか。
虐げられていた者が、
幸せになる物語。
たくさん世の中にあふれている。
漫画だろうとドラマだろうと
小説だろうと、
(AIが作り出すものも最近増えてきてはいるが…)
とはいえ、大半はまだまだ人が作ったものだ。
人が作るものというのは、
制作者の頭にある世界が投影されている。
それはアクセサリーであれ、なんであれ。
そして……
パラレルワールドというものの存在を
皆が知っている…かはわからないが。
近頃そんな世界だって
行けるのだ、なんてことも
書き手は良く耳にするようになった。
誰かの作る世界は
実は隣り合わせにある世界の話
だったりするかもしれない。
知る人の前にはそれは確実に在る世界
だったりするのだから。
宇宙人だっているし。
UFOだってあるし。
「見えない存在」を何と信じるか。
心に関するジャンルは、
特に日本ではまだまだ未熟で。
海外ではカウンセラーだって実は
もっと気軽に行く場所、
だったりする、、というのも
きいたことがあるなあ、なんて感じだが。
カウンセリングを必要とする
それはもうすでに「病人」なのだ、
なんて思い込みだったり刷り込みが
結構多いんだよな。
という割に、
必要な支援を受けるには
やはりちゃんとした「名目」「病名」
等がひつようになってくるわけで。
それに当てはまらないようなものであれば
そうじゃないのだからしっかり働け、
となる訳である。
それで結構苦難している者も…
いたりするわけで。
まあ色々と言及を始めてしまえば
言いたいこともたくさんでてきてしまう。
とはいえこれは、現状のことであり、
また今の書き手だけでは
到底ひっくり返すことの出来ない
「常識」だと痛感する。
自殺。
本当に人は自殺する必要があるのだろうか。
いや、書き手自身もその甘い囁き?に
ぐらぐらしている人間であるが故に
なんとも言えない心地になってしまうのだが。
ああしていたら
こうしていたら。
そんな過去の事であっても、
その時の出来事があるから
それを踏まえて、そうできるし、ああできる。
その時の精一杯を人は生きているにも関わらず
何故そこを自分自身ですら、
そして他者にも
問われなければならないのだろうか。
追い詰めなければならないのだろうか。
心の底から
信頼できる人間が一人でもいたらいい。
自分と自分。
…それは大前提ではあるけれど。
何をしなくても
いてくれるだけでいいと
言ってくれる人が傍に居るなら
大切にした方がいい。
いないからこそ、
人は外に外に求めてしまう。
そしてまた自分がないがしろになって
ぼろぼろになっていく。
一人では生きられない。
でも一人になっても死ねやしないが、
ずっとそのままでいれば
やはり死んでしまうのだ。
そうなる前に。
気付いてやれるだけの、
そして手を差し伸べるだけの
心の余裕を持っていたいものである。
そして
優しさを躊躇わずに使いたい。
使って欲しい。
大切な誰かを
失わないために。
必要な人に届け。