今回の中央アジア旅行はインフラ、特に道路/公共交通機関/公共施設の貧弱さにより個人旅行は困難で、2009年のイスラエル旅行以来14年ぶりに日本発のツアーを申し込みました。
この間の海外旅行はレンタカー等で自分達だけで回っていたので、他の日本人と一緒の旅行生活が楽しかったです
なんと、他の参加者10人中9人が70代・80代!
更に8人は1人での参加!
その内の70代の男女2人は杖をお持ちでした。
旅の猛者と敬意を抱いた1人目は、7年前に癌で胃を全摘した80代の男性。
終始周囲に配慮した明るい雰囲気を纏い、話す時は笑顔でユーモアを欠かさず、博識かつ謙虚で、そして話す声がとても深くソフトな美声でした。
次の旅行も既に計画されていて、ネパールだそうです。
旅行中も毎日、昼はビール、夜はワインを飲み、
彼のモット―は
「食べれるうちに、飲めるうちに、歩けるうちに、生きてるうちに」
70代後半の女性は、2022年夏の旅行解禁早々にシチリア島旅行に出向き、そこでの検査でコロナ陽性になり、おそらくその方を感染源に他6人にも感染してしまい、1週間以上シチリアのホテルに缶詰めになった、という話を面白おかしく、自己紹介代わりに披露していました。
普通の人なら、他者に感染させ、その人達の楽しい旅行を台無しにしてしまった罪悪感に耐えられず、他人に打ち明けたりしないでしょう。
でもその方はツアー客全員の前で、自虐とユーモア織り交ぜてエピソードを語っていました。
いつも毒舌でキツイ物言いの方でしたが、胃の調子が悪い人にすかさず正露丸を飲ませたりと、優しくて面倒見のいい面も。
皆さん、数十~100か国は訪れた旅慣れた方達で、配偶者や子供や旅行友達がいるにも拘わらず、積極的に1人旅を選択したようでした。
今回の旅の特筆はもう1つ、それは、12人中10人が胃腸を壊してしまったこと。
原因はおそらく脂っこい食事__羊料理が多く、ライスもスープも油まみれ。
蠅が多かったのも一因の可能性があります。
ただでさえ外国ではトイレは不自由ですが、中央アジアは更に過酷。
それなのに10人もお腹の具合を悪くするとは......
いえ、添乗員を入れたなら11人でした!
添乗員は孫の年代の20代男性。
前半は、客から「食べきれないから」と廻って来たシシカバブを2~3人前も平らげていましたが、終盤に下痢になってしまい、朝ごはんも昼ごはんも抜くという可哀そうな状態でした...
しかし、ツアー客に心配させまいと、朝と昼を食べていないことをさりげなく隠していました。
私も、調子の悪い日は朝食・昼食を殆ど口にしませんでした......。
添乗員含むツアーメンバーの殆どがお腹の不調を抱える中で体験した、中央アジアの余りにも過酷なトイレ事情
についてリポートしませう!
貴方は排泄行為を見られても平気な人はいますか?
親?
子供?
配偶者?
同性の知人の前なら排泄OKですか?
私は誰の前でも不可能です、恥ずかしいです
今回の旅行18日間は、南極旅行の17日間を抜いて過去最長でしたが、私はツアー客中2番目に胃腸の具合を悪くし、中盤以降最後までトイレに悩まされ続けました。
過酷トイレ...旅行3日目にして早くも 青空トイレでした。
青空トイレとは何ぞやですと?
その辺の砂漠や野原です。
初回の青空トイレは、ブッシュが点在する程度の広大な砂漠でした。
添乗員から女性と男性は違う方向を指示され、女性は身を隠す立ち木を探します。
ここが青空トイレでございます
~キルギスのビシケク→(約270Km)→イシク・クル湖への途中にある、アク・ベシム遺跡付近~
今回のツアーで2番目に一目置いたのは、アメリカ在住の70代の女性。
私がツアー初日に「青空トイレって恐怖ですね~」と話しかけたら、
「青空トイレ、是非経験したいです、楽しそう💗」
と仰っていました。
その方はアリゾナの自宅敷地に巨大なゲルを設置し、その中でヨガを教えたり自作のグッズを販売したりと多才な方。
他にもビジネスがあるようで、旅行中も持参したパソコンで夜、仕事をしていたようです。
既に100か国以上を旅行していて、飄々とした雰囲気を纏った面白い人でした
この方は、トイレが混んだり汚かったりだと、勧んで青空トイレに向かっていました。
そんな女性もいる中で、私はとうとう旅行中、青空トイレは体験せずに我慢し通しました。
12人中、私1人だけでした。
潔癖症という理由はありますが、どうしても勇気が出なかったです......。
しかし!
青空トイレに怯んでいた私を更に怖がらせたトイレ(((゜д゜;)))
それがニーハオトイレでした
子供の頃、中国旅行から帰った母親から聞いた仰天話__
中国のトイレにはドアが無い!
20年ほど前に訪れた内モンゴル(中国)の宿泊地のトイレもドアが無く、とても恥ずかしい思いをしました。
中央アジアの公衆トイレも、辛うじて男女別になってはいても、トイレの入り口にも個室にもドアが無いのです。
入り口の前にはコンクリートの壁はあるので、通行人に見られることはありませんが、男女ともに気軽に覗き放題です
便器は1m位の間隔で和式(又は単なる穴)が数個並び、高さと幅が1mほどの仕切りが申し訳程度にあるのみで、後方からも左右からも見え放題です
おまけに水洗が流れなかったり、バケツに水が無かったりで、排せつ物が溜まっているケースが殆ど。
強烈な臭いと膨大な蠅の中に踏み込むだけで恐怖です
ニーハオトイレか青空トイレか、貴方ならどっちを選びますか?
汚くて臭くて蠅がわんさか、そんなトイレに入る位なら青空トイレがいい
・・・そう思うアナタ、青空トイレだって、常にベストの環境ではありません。
観光地や街中で人が多かったら?
立ち木もブッシュも無い砂漠だったら?
羊や牛が寄ってきてお尻を舐められるかも?
18日間のツアー中、私は1度だけニーハオトイレを体験しました。
その時は、同じツアーの女性と連れ立って交代で見張りをしましたが、1人では到底無理でした。
過酷なトイレで真っ先に思い出すのはインド、ネパール旅行です。
バケツの水を汲んで左手で洗うやり方は、日本人で出来る人はほぼいないでしょう。
レストランや公衆トイレは洋式便座が多かったですが、汚くて座れず、お尻を拭いた紙を捨てるゴミ箱さえ無くて困ったこともありました。
宗教的に不浄の観念もあってトイレの無い家が多く、国民の半数近くが野外排泄だそうです。
アフリカでも、サハラ以南の国では、国民の大半が野外排泄です。
私は、エジプト・ザンビア・ジンバブエ・ボツワナ・南アフリカ・ナミビアの6か国を旅行しましたが、いずれの国でも観光地化された地域以外では、トイレ自体を探すのが困難でした。
Toshlさんが出演した『世界の果てにひろゆき置いて来た』でも、出演者・スタッフ全員が青空トイレを経験したのではないかと思います。
インドや中央アジアに比べたら、観光地でのトイレ事情はアフリカの方がマシでしたが、高級ホテルでも当然ウォシュレットなど皆無です。
私はTOTOの携帯ウォシュレットを発売早々に購入し、10数年愛用しています。
海外旅行には、予備の電池と共に必ず持参します。
実家では、母が痔を病んでいた為、1980年頃ウォシュレットをいち早く設置しました。
TOTOには感謝、感謝です💗
でも飛行機内のトイレでは、狭いし、揺れで落とすのも怖くて使う気になれません。
今回のツアーではビジネスクラスの方が、12人中4人もいましたが、トイレ事情はほぼエコノミーと一緒のようでした。
《コラム:温水洗浄便座》
1960年代にアメリカ人Arnold Cohenによって、医療・身障者用の目的で開発された『American Sitzbath』が温水洗浄便座の原形で、彼はアメリカンビデ社を設立しましたが、アメリカでは広告自体が受け入れられず、普及しませんでした。
その後TOTOにライセンス供与し、TOTOは同様の製品を製造販売しましたが、機能が劣る上に高価格の為、売れませんでした。
1980年、性能が格段に良くなった『ウォシュレット』を発売、「おしりだって、洗ってほしい。」のキャッチコピーのCMは大きく話題になり、急激に普及していきました。
日本の家庭での普及率は8割を超え、水洗トイレにはほぼ全て普及したと考えられるそうです。
ANAのボーイング787-9(国内線)にはウォシュレットが設置されていますが、日本人以外はトイレでの清潔を重視しないせいなのか、外国では話を聞きません。
YOSHIKIさんのプライベートジェットも、おそらくウォシュレットは無いでしょう。
どんなにセレブで金持ちでも、トイレ事情は日本の庶民以下だろうと想像して優越感に浸ります
海外旅行から帰ると、まずは成田のトイレのウォシュレットに「ああ、日本に生まれて良かった~💗」と感激します。
日本は経済的に落ちぶれたとはいえ、文化水準の高さを誇らしく感じます。
《中央アジア旅行⑱日間》
②日目カザフスタン最大の都市アルマトイ【パンフィロフ戦士公園:ゼンコフ教会】→南西に向かい国境越えキルギスの首都ビシュケク泊→1:30→③アク・ベシム遺跡/騎馬ゲーム/ブラナの塔→3:00→イシュク・クル湖泊 ④クルーズ(湖北岸)→バス故障→カラコル【ドゥンガンモスク/ロシア正教会/プルジェヴァリスキーの墓/岩絵野外博物館】イシク・クル湖泊→西に向かい国境越えカザフスタン:タラズ【タラズ古戦場・アイシャビビ廟】→トルキスタン【ホッジャアフメドヤサウィ廟】→ウズベキスタンの首都タシュケント→ヒワ→ブハラ→サマルカンド→タジキスタン:ペンジケント→ウズベキスタン:サマルカンド→タシュケント(後半日程の詳細は次回に掲載します)
中央アジアの10月の気候は、日本の10月中旬~11月位ですが、乾燥し、昼夜の気温差が大きく、冬のように寒い日もありました。
天候は概ね恵まれ、見どころの観光地ではいつも晴れでした。
《2日目》
アルマトイ:可愛い色使いとデザインのゼンコフ教会(ゼンコフは有名な建築家の名。正式名アセンション大聖堂)。
釘を一切使わない木造のロシア正教会で、1907年完成、1911年のM8の大地震にも耐えたそうです。
内部は撮影不可と言われましたが(しかし撮影している欧米人がいました...)、とても豪華で美しかったです。
間寛平がマラソンとヨットで地球を一周したアースマラソンは、陸上距離2万km。2008年12月大阪のなんばグランド花月を出発し、2011年1月に同地にゴールしました(途中、前立腺癌が発見され、トルクメニスタン到達後マラソンを半年中断してアメリカで放射線治療を受けた)。
今回のキルギス人のガイドEさんは、寛平の通訳をしたそうです。
ほぼ毎日フルマラソンで、面白くて素晴らしい人だったと言っていました。
間寛平がマラソンで走った、カザフスタンのコンクリート道路は、ほぼ一直線。
間寛平が食事したレストランで、私達も昼食。
ガイドのEさんは、移動途中に西瓜やメロンを買って、何度も私達に振舞ってくれました。
右はカザフ→キルギスの国境
近年の羊飼いはバイクです。
《3日目》
アク・ベシム遺跡は、下記のブラナの塔と共に、シルクロード遺跡群の内の、カザフスタン/キルギス/中国の3か国33資産の1つとして、2014年に世界遺産登録第1号となりました。
まだ発掘が開始されて浅く、上記の「青空トイレ」として掲載したような、単に所々に穴が開いた地面が拡がっていました。
6世紀から10世紀にかけて、シルクロードの貿易による文化と文明の十字路として栄えた都市でした。
アク・べシムという遺跡の名前は周辺のアクべシム村の名前で、古都の名前はイランの有名な川:スヤブでした。
シルクロード時代に貿易をやっていたイランのソグド人は、キルギスに移住してから要塞を造り、都市の名をスヤブにしました。
玄奘三蔵が立ち寄った都として有名であり、李白が生まれ育った所とも言われています。
伝統の騎馬ゲーム「ウラック」は、頭を切り落としたヤギの死骸を奪い合い、それをゴール迄運びます。
前哨戦として、馬上での腕相撲(最後は負けたほうが馬上から滑り落ちて勝負がつく)や、地面に置かれたカラフルな布を、馬を疾走させながら拾い上げる競争などが披露されました。
ヤギは30kg近くあり、そんなに重い死骸を騎馬上から拾って持ち上げるだけで、並大抵ではない乗馬技術と筋力・体力が必要です。
右は27歳の添乗員さん。
学生時代はずっと重量挙げをしていたそうで、筋肉質のパワフルな体つきでしたが、そんな彼にもヤギはとても重かったそうです。
ブラナの塔は、現在の高さは25mほどですが、15世紀頃の地震で上部が崩れ落ちる前は45mあったと言われています。
シルクロード全盛期には多くのキャラバン隊が訪れ、もうひとつの世界遺産アクベシムとともに栄えた都でした。
ツアー客の大半は塔に上りましたが、私は高所恐怖症の為に登れませんでした。
中の階段は真っ暗で狭くて急で、手をついて這いつくばらないと登れません。
頂上からの眺めは、雪を被った天山山脈、地平線まで広がる草原、晴れ渡った青い空、そんな絶景だったそうです。
この後、中央アジアの真珠イシク・クル湖へ。
湖畔のホテル(右上)は30haと広大な敷地で、コテージも沢山建ち、一部は分譲されて貸別荘となっています。
《4日目》
1時間ほどクルーズを楽しみました。
晴れていれば、船上からは天山山脈を見渡す絶景が拡がります(写真は旅行社パンフレットより)
天山山脈は7000m級。
こうしたの山々が近くに聳え、標高が高い町も多いことから、キルギス人は3000m級の山は山と呼ばないそうです
イシク・クル湖は標高1606m、東西182km/南北60kmもある、琵琶湖の9倍の面積で、深さは6倍以上の668mもある山岳湖。
バイカル湖に次いで世界第2位の透明度です。
一般的な湖の寿命が数千~1万年といわれる中、20万年の時を超えて存在し続けていて、世界で20か所ほどしか確認されていない貴重な古代湖の一つです。
その長い歴史の中で独自の進化を遂げた固有種の魚も見られ、辺り一帯はラムサール条約湿地に指定されています。
塩分濃度は0.6%と低い(海水は3.4%)。
イシク・クルはキルギス語で熱い湖という意味で、冬はマイナス20℃になるのに、凍らない不思議。
流れ込む河川は100以上もあるのに、流れ出る川が無い不思議。
透明度が非常に高く、水が清すぎる為に魚も僅かしか生息していません。
この湖を永遠に美しいまま保ちたいという意識は、大半のキルギス人にあるようです。
中国から「無償で橋を架けてあげよう」という話があったそう。
「その代わりに、橋の真下と周辺は、中国が自由に使える」
という交換条件だったそうで、湖底の遺跡目当てだったようです。
旅の続きは近日UPします。
Pさんへ…旅行前に予告した「旅の危機」は、この旅行記の後にUPする予定です