今日のは、私見、です。

 

賛否両論あるかとは思いますが、

批判を恐れず、私見をお話ししたいと思います。

 

 

前者後者論を知ってから、ずっと疑問に思っていたこと。

 

「特別支援学級」について。

 

ぼくは教育者じゃない。

指摘をするつもりもないし、改良を求めるわけでも無いです。

 

 

小学校では、知能検査、が行われる。

そのテストの結果や、素行を見て判断し、普通か、普通じゃ無いか、を見極める。

 

 

問題がある」と判断された時、

「あなたはこっち」と、

「普通」から、「普通じゃ無い」へ、区別される。

 

その「普通じゃ無い」が特別支援学級、だ。

 

 

 

(身体的な部分ではなくて、内面的な部分について、です。)

 

 

 

 

差別ではなくて、区別。

で、その区別の目的は「それぞれのために」なんだろうと思う。

 

 

その、区別する仕組みがあることによって、

「安心する人」と、「不安になる人」がいる。

 

 

前者後者論を知ってから、特別支援学級へと区別をされるのが、

 

「後者(マルチタイプ)ってだけなんじゃないか」、と、疑問に思うことが多くなった。

 

 

 

「ただ、『違う』というだけ。」

 

 

 

プライバシー保護のために自身の経験は載せないが、前者後者論の存在を知って、

後者の特徴を知ってから、ずっと疑問に思っていたことがある。

 

発達障害、ADHD、アスペルガー、自閉症スペクトラム、など、

 

これらの病気・障害の名称を作ったのは、人間、だ。

で、その名称はきっとこれからも変わっていくんだろうと思う。

 

 

 

 

これらの説明文を見ていると、よく目にするのが、

 

 

特徴として

 

 

「わがまま」 「多動」 「困った子」 「怠けている」 「サボっている」 「言葉が通じない・言語機能の遅れ」 「パニック」 「暴れる」 「感情が不安定」「表情が読み取れない」

 

 

とか。

 

 

本当は、オブラートに包んで言おうかと思ったけど、めんどくせーからもうそのまんま出すね。

 

 

 

その特徴ってさ

 

全人類が持っている、「他人を不快にする」特徴、なんだよ。

 

 

 

心理学の勉強を初めてから知ったんだけどさ、

 

例外なく全員が持っている素質、なんだよ。

 

 

 

 

問題にしているのは

 

それらの素質に対する「ブレーキの精度」なんじゃないか、とぼくは感じた。

 

で、その「ブレーキ」の判断基準がさ、多くの人ができるかどうか、なんだよ。

 

 

 

名称をつけて、区別をする目的ってのが

 

その多くの人を不快にさせないようにすること」、なんだなと、

 

ぼくは感じたの。

 

 

 

 

で、これはさ、

 

本人によかれと思って、その本人と関わっていくであろう他人のために、第三者の大人たちが区別している、と思うの。

 

 

。。。。

 

 

私見だから、好きなこと言うからね。

 

 

心屋の考え方を知るとさ、他人を不快にしたくない、だなんてただの

自分だけのわがまま、なんだよ。

 

 

それが出来ているか出来ていないか(不快にさせているか、いないか)は

 

自分だけの体感、だし、

 

そもそもその相手がどう感じたか、なんてさ、

 

見ようとした方向にしか見ないから

原則として「わからない」んだよ。

 

 

 

不快にしていないと思っていれば、

「わたしは他人を不快にしない人」になれるし、

 

不快にしていると思っていれば、

「わたしは他人を不快にする人」になれるし、

 

全部自分が決めているだけ、の話だし。

 

 

 

普通なんて、普通じゃない、からさ。

(わたしの普通は、わたしだけの普通)

 

 

 

 

最初の方にも書いたけれども、

 

 

この仕組みを

「安心だと感じる人」と、「不安だと感じる人」が居ると思うの。

 

 

その不安な人ってきっと、

 

その区別がそもそも必要なのかどうかを疑問視している、か、

 

社会が自分たちを排除しようとしているっていう圧力を感じるのかなぁって想像していて。

 

 

(違ったらごめんなさい。)

 

 

 

特別支援学級も、それらの名称も、もう、存在してしまっている、からさ、

その仕組みを変えたいと思ったとしても、それを動かすためには時間も労力も必要だし、変わるかどうかもわからないし、仕組みをどうにかしようっていうのは、とても大変だと思います。

 

 

社会、は変えられないけど、

 

その中で自分はどうするかっているのは、変えられる、から。

 

 

 

 

 

まず、前者後者論っていうのを、知ってみて欲しいと、ぼくは思います。

 

 

区別について考える前に、

 

「ただ違っただけ、なんだ。」と、気付くことが出来るかもしれない。

 

「障がいじゃなくて、みんな持っている素質だったんだ」、と、気付くことが出来るかもしれない。

 

 

 

 

 

その活動を、これからしていこうと思います。

 

 

 

 

前者後者論、について、依頼があれば

 

 

無料でセミナーをさせていただきます。

 

 

 

自宅(北海道空知郡南幌町)からの、

交通費のご負担については

ご依頼者様にお願いしたいと思いますが、

 

講演・セミナーについては一切料金をいただきません。

 

 

ボランティアとして、お話しさせていただきます。

 

 

時間は1時間程度、みていただければと思います。

 

 

 

 

前者後者論は、世界を救うとぼくは思っています。

 

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よろしくお願い致します。

 

 

心屋認定カウンセラー 伊藤翔哉