どうしようもない悲しみは
あったけれど
することがたくさんあって

バタバタと迎えた葬儀の日


葬儀会場とお寺は

家から約30キロの距離にあり

父を車に乗せ出発した


二人喪服を着て車を運転している自分が

まだ現実を受け止められない…

この日が来てしまったんだ…

ずっとずっと来なければいいと

思っていた日が来てしまったんだ…



皆さんに褒めていただいた遺影は

8年位前に出かけたときに撮った写真

笑顔のかわいい母

「この写真遺影につかえそうだね」と

冗談っぽく言っていたけど

その半年後に余命宣告されるなんて

その時は微塵も思ってなかった…



葬儀当日に納骨を済ませ

姉と「無事にお見送りできたかな?」

と話しながら少し肩の力が抜けた


自宅に帰り早々にベッドに横になった

本格的に眠るつもりはなかったけど

ウトウトした状態だったと思う


なんとな〜く

遠くの方から鈴の音が聞こえてきた

『シャンシャンシャンシャン』

その音がどんどん近づいてきて

今度は家の中(部屋の中)で

『シャンシャンシャンシャン』

頭上を通ったかと思うと

だんだんと離れていき

聞こえなくなった…


半分夢の中だったけれど

母が来てくれたのだと思った

絶対お母さんだと思った



後日《鈴の音》を調べていたら

丹波哲郎氏のこんな記事を見つけた


『これは昭和54年3月、私の母が他界したときの話だが、お通夜に、私は母の顔にかけてあった布をとり、母親の顔を見ながら一晩を過ごした。ふと気がつくと、どこからともなく、リンリンという音が聞こえる。じつに、美しい音であった。ああ、お袋は満足して死んだのだ──そのとき私は、そう思ったのである。というのは、人間は満足して死んだときには、鈴のような言い知れない良い音を鳴らしたい心境になると聞いていたからである。』





忘れたくないけど
思い出したくない
というせめぎ合い…

その日は私は午後から仕事で
夕方、

姉と交代で実家に泊まる日だった


数日前からヘルパーさんが

血圧が測れないと言っていたし

とても心配だったので

午前中にも母に会いにいった


意思疎通ができる状態ではなかったけど

姉と二人ベッドサイドに並び

声をかけた


「○○(姉)と○○(私)一緒にいるよ!

      お母さん!!」


手に触れると握り返してくれたが

夏で暑くて二人の手も熱く

少し嫌がられてしまった💦


母に

「ありがとう」と言いたかったけれど

なんだかお別れの言葉みたいで

言えなかった

代わりに「大好き」と伝えた


午後の仕事を終えると

すぐ実家に行った

姉が電車で帰るというので

駅まで送りまた実家へ


19時30分頃

医師が来て母の様子を診て

あと2〜3日だと思って下さいと

告げた…


姉に連絡をして

母には「近くにいるよ」と

声をかけた

(このとき下顎呼吸という状態)

少し苦しそうだったけど

片付けをするためその場を離れ

キッチンへいった


茶の間に戻ると

隣室からの

先程まで聞こえていた呼吸が

聞こえない


慌てて母の近くに行くと

寝ているようにも見えた

呼びかけても反応がなく

鼻や口に手を近づけると

温かく感じたけれどやはり

息をしていなかった😢


覚悟はしていたけれど

辛すぎる…


力いっぱい叫んだ

何度も叫んだ

お母さーーーんっ!!!

お母さーーーんっ!!!

お母さーーーんっ!!!



母は入院して以降
苦悶の表情が多かった

思い通りに動かない体と痛みに

憤りと辛さがあったのだろう


食事もあまりできなくなり
痩せて頬もこけてしまった😢

私もそんな母を見るのが辛くて
胸が苦しかった

そんなある日
何故か母が凄く微笑んでくれた日があって、嬉しくて父や姉に
「お母さん微笑んでる〜♪」
「かわいい!癒やされる!」
と報告した

私が喜んでいると
言葉は発しなかったけど

また満面の笑みを見せてくれた


心が温まった😌💕


旅立ってしまう二日前には
ベッドの脇に腰掛けた私に
「家に帰ってきて良かった」

と言ってくれた

「お母さんが辛くないなら

   それが一番だよ!」と言ったら

「ぜ〜んぜん辛くない」って!!


退院直後はいろいろあって

病院に戻りたいと言ったりもしたから

その言葉を聞けて本当に嬉しかった


今も

もっとしてあげられることが

いっぱいあったと後悔することが

あるけど

このときの笑顔と言葉には

とても救われた