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ちょっと散歩がてら目白駅の近くの学習院大学を来訪しました。

学習院大学というのはかつては 皇族が通う大学というイメージがありました 今上陛下も当然ですが 通っていましたよね
 上皇陛下も通ってはいましたが 卒業はしていないと思います。
最近では 皇族の方が学習院大学を敬遠するような傾向 も見られます 
佳子さま 眞子さま なんかも ICU に移られましたよね 学習院大学を訪れてみると 必ずしも 雰囲気がいいというわけでもなく ロケーションもあまりいいわけでもありません。

つまり 学習院を捨てて ICU に移りたいという気持ちはわかるなあという気がします。ICU の方がロケーションは悪いじゃないかという反論をする人もいるかと思いますが ICU の方が 総合的な意味でキャンパスは優れていると思いますし 皇族という立場からすると 駅のそばというよりは少し離れている方が色々な意味で 通いやすいと思います。

学習院大学というのはeduroam(教育研究機関の世界的規模のフリーWi-Fiネットワーク)が使えない。これはなかなか痛い。(2023年12月)
エディロームという wi-fi は世界的なネットワーク なのではっきり申し上げると このネットワークに加盟していないと 大学として ちょっと低く見られるというような 側面は否定できないと思います 。

学習院女子大学は加盟しています なぜこのような状況になっているのかはよく分かりませんが 他の大学の先生方 あるいは 学生 教職員等々が学習院大学を訪れた際には大変困ると思います どうやって解決しているのでしょうか 謎です。

この大学にまつわる嫌な思い出があります。
以前アフリカの某国を支援するNGOのイベントに参加した際にそこに所属してる学習院の学生に、〇〇区に住んでることをバカにされたことがあるんですよね。「〇〇ってあの〇〇ですかぁプゲラ」みたいな感じで。


住んでる場所で人を差別するというのは、部落差別とかと全く変わらないし、全く良くないことです。確かに思うのは自由ですよ、どのようなことを思うとしてもそれはとめられない。「〇〇人は死ね」と思うのも究極的には自由でしょう。そういったことは 日本国憲法においても保障されているのかもしれません。
しかし、ある程度の年齢でこの国でそれなりの教育を受けていれば、損得の問題としてもそんなことを表には出さないものですよ。

〇〇在住の人間は差別されるのかもしれない。
しかし、〇〇在住の人間を差別するような人間は、もっと差別されるのかもしれない。

住んでる場所に限らず、肌の色でも宗教でも体型でも職業でも何でもかんでも、どうあってもとりあえず目の前の人間を尊重する、肯定的に受け入れるというのは普通にあるべき態度だと思うんですよね。

学習院は誰でも入れるっていうほどの大学でもないのだろうし、学生は当然義務教育とかも受けているはずだけれども、どういうふうな環境で育つとこうなってしまうのだろうかと首を傾げるばかりです。
ましてアフリカの貧しい国を支援してる立場でそういう発想をするっていうのは、不可解極まると思います。

そのときに注意すべきだったかもしれないけれども、宴の席でもあったのでできなかったですね。

人権に妙にうるさい大学ってのもあるんですが、学習院はややそのへんが手薄いのかもしれません。

LGBT とか多様性 ダイバーシティインクルージョン そういったことが 叫ばれている時代です 学習院大学というのは その設立の経緯からして そういった 多様性に対しては若干 保守的というか疎い部分があるのかもしれません ただ これは変わっていくしかないというふうに考えます。

確か 今愛子様も学習院に通っているんじゃないかと思うんですけれどもそろそろ卒業されるでしょうし 愛子様は今後も 皇族という立場になるかどうかははっきり分からないというか 離脱される可能性の方が高いんだろうとも思います 天皇になる可能性も0ではないのかもしれませんが ただいずれにしても 皇族 あるいは 皇族に準ずる 立場 そういった仕事をする立場にはなるでしょうから当然それなりの人権感覚ですとか 品位のある振る舞いというのが求められることは疑いようのないことです そのような教育を学習院大学が施すことがもし できないというのであれば それは大変 大きな問題だというふうにも思います。



画像や動画の素材サイトって色々あるじゃないですか。

日本だと、有名なのは「PIXTA」「ぱくたそ」「写真AC」とか、色々ありますね。

仕事のプレゼン用パワポとかで使ったことある人も多いんじゃないでしょうか。

他にも「Adobe Stock」「Pixabay」とか・・。

 

それぞれに特徴があって、優劣としては何とも言えないんですが、「Pixabay」は

 

●基本的にお金が絡まない(寄付はできる)

●クオリティがかなり高い(審査がかなり厳しい)

●ユーザー/コントリビューター登録が容易

 

というような特徴があります。お金に関して言うと、PIXTAなんか株式上場してますよ。(もちろんAdobeもですが)

クオリティについては、どういう意味でのクオリティかという問題がありますが、「Pixabay」についてはアート作品的な意味でのクオリティが高い。俗っぽいプレゼン資料とかでは逆にあまり使えない写真が多いかもですね。

 

そんなわけで私は「Pixabay」をイベントポスターとか作るのによく使ってたんですが、使ってばかりもアレなので貢献もしようじゃないかと、そういう意味で結構前から断続的に写真をアップしてたんです。

初めて投稿をしたときは相当にテキトーな気持ちでアップして、

結果的に10枚くらいのうち1枚たりともアクセプトされなかったんですよ。それどころか、「こんなに質の低い画像送り続けるならアカウント停止しますよ」という警告まで来た。

結構へこみましたけど、でも逆にこれは腕を磨くにはいいのかもと思ったわけです。

基本的な審査プロセスは

1. Community Vote(コミュニティ内投票)

2. Quality Review(クオリティ審査)

3. Tag Review(タグ審査)←これは最近見ないような

4. Published(公開)

ということらしいですが、実際はそうじゃない部分もあるんですよ。

審査については、「コミュニティ」がいったん審査するんですが、「コミュニティ」って要するにユーザーが誰でも審査可能ってことなわけです。

 

みんな、自分の写真が拒絶された過去があるから、恨みみたいな感情であらさがし的に審査しちゃうっぽくて、それで

運営者サイドが必ず最終チェックはするようなんです。

なので、いったん拒絶された写真が復活採用とかされることもあるんです。

 

画像を見ていただくと「コミュニティ発行」という謎のステータスの画像がありますが、発行っていうのは多分issueの誤訳で、いったんは却下したが再度審議中という意味・・・と思ってたんですが、どうも誤訳じゃないようで、完全にオープン(誰でも検索可能)にするほどのクオリティではないが、完全に削除するのもやや惜しい、ぐらいの意味、つまり「限定公開,復活採用の可能性あり」ってことのようです。

そして限定公開にもいくつかの段階があるっぽいんですよ。「発行済み」というステータスもあります。

 

ハッキリ言ってよくわかりません。

 

この居酒屋ののれんの画像、これは復活採用されたという経緯なんですが評価としては「並外れた」(outstanding)になってます。でも・・・どこがいいんでしょうか?・・・わからないですが外国人が想像する誤解も含めた「日本っぽい写真」というのは好まれる傾向にあるようです。

 

こういうことしてると

結果的に旅してて、街歩いてて写真撮って、好きに撮ればいいのに「これPixabayに載るかな」とか、どういう文脈で、どういうシーンでなら利用価値のある写真だろうか、とか考えちゃうんですよね。

段々趣味じゃ無くなってくる。

 

ただ、セミプロ・プロ、非アマチュアとしてやっていくということは

「こういうこと」なのだという学びは非常にあります。

撮りたい、とかとは別に「どのような写真が求められるのか、商品価値があるのか」という評価基準の軸が確実にあると。

 

写真やカメラを純粋に楽しみたい人は手を出さない方がいいのかもしれません。

 

全然更新しておりませんでした。

 

仕事が・・・とか言い訳はあるわけですが・・・・。

農業もやってない。何か特別な活動もしていない・・・・いまだ独身・・・

 

婚活をテーマにしたらいいかなともおもうんですけどね。どうでしょうか。

産業カウンセラー試験、実技(免除)学科ともにめでたく合格いたしました。

学科については、勝因は「演習問題集」をひたすら解いたというのがよかったと思います。教科書は内容がそれなりに「広く深い」ということもあり試験対策としては私は教科書はほとんど読みませんでした。

 

結果としては正しい判断だったと思います。とはいえ、正しいといってもそれは合格するためには正しいというだけで、カウンセラーとしてやっていくためには正しいとは言えません。まっとうな専門家になるためには教科書はもちろんですがそれだけでなく、教科書に書かれた様々な参考資料も読まねばなりません。

 

次回以降受験されるという方は、合格を目指すならとにかく演習問題集をひたすら解くということをお勧めします。非正規の高額な教材が売りに出されているようですが、買う必要はありません。教科書やそれ以外の資料については受かってから・・・という発想でいいんじゃないでしょうか。

 

実技については、とにかく指導者の言うことを聞くというのが第一です。私なりのアドバイスとしては、余計なことはしない、言わない。どちらかと言えば受け身で、オウム返しを丁寧にする、というくらいです。

 

社会人になると勉強する時間を取るのが大変ですが頑張りましょう。

職場で、気が合うな、と思う人がいると辞めてしまう。

そんなことがよくある。最近もあった。

かくして気が合う人はいなくなってしまった・・・。

大人になってから、気が合う人をみつけるなんて大変なことだ。

いやいや、子供だって同じかもしれない。

去って行った人を見送って思う、どこかに気が合う人がいるんじゃないかと。

つまり自分も辞めたら、そういう人がどこかで見つかるのでは?という期待だ。

限りある人生、安定した給料にしがみつくのもバカバカしいと思う。

とはいえもちろん安定した給料のおかげで「いちおう」安定した生活があるのだが・・・

いちおう、というくらいで、実際には私生活は安定しているとは言えないかもしれない。

毎日酒を飲んでいるし、胃の調子も悪い。とても健康体とは言えない。

 

自分らしく、無理をしないで生きたいと強く思う。ある種の人にとってそれはカンタン

なのかもしれない。

でも私のようなものにとっては、とてつもなく難しい。

いわゆる「生きづらさ」の問題だ。

  「生きづらさ」 は最近よく聞くことばで、つまりはそれを抱えた人は多いのだろうけれど

多いと言っても当然ながら少数派だ。

 生き抜かなきゃならない・・・。