連日、ニュースでも教師の体罰について議論されていますね。
簡単な問題ではないと思いますが、親として、人として、
考えてみました。
まず、在校生の生徒さんたちの言葉にもありましたが
「愛情があるから、叩く(殴る)」 これはどうなんでしょう。
私は、やはり違うと思います。
もちろん、愛情があるからこそ、相手のことを必死に考える。
必死に考えるから、イライラする。腹も立つ。
ここまでは、道理です。
だから、叩く(殴る)。 は
自分のイライラや腹立たしさを解消するための手段。
愛情が本当にあるのなら、「叩かなくても指導する方法」を
考える筈。
「叩く(殴る)」 という行為はやはり、暴力で恐怖を植え付けていきます。
恐怖から、暴力を受けた側は
自分の意見や感情を伝えることができなくなります。
恐怖から、暴力を受けた側は
恐怖としてとらえないように、暴力を正当化して考えようとします。
「私のことを考えてくれるから、叩いてくれる」
「叩く」=愛情 の図式をしっかり作ってしまうわけです。
そうしないと、コワイから。
精神的な防御の形かもしれません。
DVや、虐待を受けている子どもも、時として同じようなことを言います。
第三者からすると、「なんで逃げないの?」と思うことが多々あります。
でも、「逃げない」のは、そこに
「自分が愛されている」という現状を正当化する重いと
繰り返される暴力からの「恐怖」があるのだと思います。
一種の洗脳状態といえるでしょう。
今回の、教師からの体罰とされる暴力も多くの子どもたちや親は
「間違っていない」 「愛情があるから叩かれる」と 納得の意見も出ているようです。
「運動部では当たり前」という意見も聞きました。
虐待は、繰り返される、と言われますが
運動部の指導者は、自分が昔されたことを
繰り返しているのではないでしょうか。
虐待となんら変わりはないと、私は思います。
運動部の大会では、コーチの怒号が飛び交い、
平手打ちは当たり前。
髪の毛をつかまれて、引きずられることもある。
これは、現実の話です。
こんな状況でないと、上達しないのなら、
プロスポーツ選手は、全員暴力を受けてきたのでしょうか。
上達するには、
人一倍の努力。 つらい時を乗り越える自分に負けない強さ。
が必要なのではないでしょうか。
自分に非がないのに、何度も暴力に耐える力。は
全く、必要ありません。
今、愛情や、指導のためと手を挙げている方々全員に
しっかりと考えていただきたいと思います。