さて。
思い返してみれば、物心ついた頃から
「変わった子ども」と言われ生きてきました。
本人今でも、どこが変わっているのかちょっと
分かっていないのですが、ずっといじめられたり、
集団になじめなかったり、「みんないっしょ」が
嫌だったというところが、すでにその兆候
だったのでしょう。
扱いにくい人間だったと思います。
親には大変苦労をかけました。
いじめというのは「自分たちとは違う」という
意識の中から生まれるものだというものなのは
分かってきました。
「出る杭は打たれる」のか。
納得のいかないことはしたくない。
面白いことを思いついたなら走らずにはいられない。
もしかして、もしかしなくても、私はちょっと
グレーゾーン入っているのかもしれません。
大学生の頃、友達が「アスペルガー症候群」と診断され、
「とにかく生きにくい」と言われました。
私も同じだという話をしたならば、
「健常者のあなたにはわからないから!」と言われました。
まぁ、一応健常者ということにはなっていますけど、
私の片耳が聞こえないのは少なくとも健常ではないです。
そして本当に健常たっだらその後何年かして
「適応障害」とか「うつ」とか診断されなかったかも
しれないです。
そもそも普通って一体なんなのか。
私はかなり幼い頃から「普通って何なのだ?」と
考えながら生きてきました。
「型にはまらないお子さんですね」とも言われました。
こないだも世間話を幼なじみとしていたら、
「久遠さんはやっぱりマイノリティーなのね」と
言われました。
彼女曰く、人間には多様性が必要で、同じような人間
ばかりだと滅びてしまうので、生き残っていくためには
マイノリティーも大事なのだというお話でした。
否定するのではなく、「こういう考え方もある」と
肯定してくれるのはありがたいことです。
ずっと昔に「トゥルーマンショー」という映画を
見ました。
「なんだか私の人生みたいだな。」
と思いました。
その時、他人にその話を言ったら笑われてしまいましたが、
ここにきてどうやらその感覚は合っていたみたいです。
「つくられた世界」。
同じ「つくられた世界」ならもう少しいい夢見させろよ!
って思いますが!もっと幸せにさせろや‼
つくられた世界もあまり楽しいものではなかったですが、
壊れて来てみれば、本当にひどい。
なんで周りの人が正気で生きていられるのか。
私は滅亡論者ではないので、毎日「良くなる、良くなる」
とは思っていますけれども…。
日本人は同調圧力が本当に強いなと思います。
いつまでこのクソ暑い中、外ででもマスクをするのか。
マスクには感染を予防するという効果は最初からないと
言われていたのに。
最初の頃は「あの人、マスクしないと嫌な気持ちに
なるかもしれないから、してこうか。」という
気持ちにもなりましたが、もうすっかり嫌になりました。
むしろマスクの害の方が言われているのに、バカの
一つ覚えみたいにマスクをつけ続けることの方が
理解できないというか。
こまめに付け替えるわけでもないのに、汗と唾液で
ぐちゃぐちゃになったマスクをつけるのに嫌悪感は
ないのか?とかいろいろ考えてしまいます。
人が密集している中でならまだ分かりますが、
外でもつけるのか?人いないのに?
道を歩いていても、いまだにマスク人口の多さが
嫌になります。
女子高生がマスクを取ると、ヒエラルキーの上の
女子高生に
「マスク取るなんて、顔に自信があるのね!」
と言われるらしいです。(だから取れない。)
「あんた、ブサイクだからいつまでも
マスク取れないのね!滑稽ね!」
くらいかましてもいいと思うのですが、難しいよね。
「自分と同じ」じゃないと許せない病気なのか。
あまりにも忙しすぎて余計なことを考えたくないのか。
あまりにも洗脳が深すぎるのか。
もう少し他者に寛容に。頭を使って考える人間で
あるといいのに、と思うのでした。
ちなみに電磁波防止ネックレスも、大量の水と缶詰も、
マイナンバーカードを返納したことも、親には
「頭おかしいんじゃないか⁉」と言われましたが、
いいんです。
頭おかしいのは昔からですから。