日本の皇統は飛騨から
飛騨山地は5億年前に地球上に現れました。その後、日本列島は1万2千年前に龍神の形で造られています。龍神の形をしているのは、プレアデスやシリウス系の一部の種族が龍神と関係があり、それを忘れないようにするためという説もあります。日本人の始まりは飛騨地方の縄文人から始まります。飛騨の縄文人のシャーマンにムー大陸の神官のアーカシック(前世の記憶)が宇宙人によって封印されました。このシャーマンをオオアワウワカタと呼びました。このシャーマンの35代目がアマテラスオオミカミです。飛騨民族の瞑想方法を日抱神事(ひだきしんじ)といって、池に太陽や月を写してメディテーション(瞑想)を行っていました。このことから、日本人は、もともと瞑想をする民族だったということがわかります。縄文時代の飛騨地方は、人間が生活できる環境があったものと思われます。宮川町西忍にある稲葉遺跡・宮ノ前遺跡では、今からおよそ2万年前のと思われる旧石器時代の遺跡が見つかっています。宮ノ前遺跡からは、トウヒヒと呼ばれる亜寒帯気候で見られる針葉樹の倒木が見つかっています。現在は、雪が多い飛騨地方ですが、旧石器時代~縄文前期(7,000年前)にかけて温暖化が進み、人の定住化も進んだようです。その後、縄文中期(5,000年前)になると、温暖化が進んだらしく集落が爆発的に増え、竪穴住居跡や縄文土器がたくさん出土されています。豊かな自然を背景に人工が増え、出土されたものからは、いくつかの地域との交流を物語るものもあります。縄文時代後期~晩期(3,000年前)にかけては、少しずつ寒冷化したようで、遺跡が減少してきます。一方、呪術に関する石製品が多く見つかっています。 飛騨市教育委員会HPより飛騨の縄文時代には、3度の寒波がありましたが、3度目の寒波のときにオオアワウワカタ様がワンダラーたちと共に山を降り、宮村を作りました。人民を強化するため第1代位山命として皇統を作ります。(飛騨王朝の始まり)34代目がイザナギ様で、出雲のイザナミ様と結婚します。35代目がアマテラス様です。代々の天皇(天職棟梁天皇)の引き継ぎは神宝によって行われてきましたが、人皇の代(初代 神武天皇)となっても継承され、斎王(倭姫〜第10代崇神天皇第4皇女)により皇室から持ち出されたものが、各地を巡り、最終的に伊勢に伊勢神宮が造られ、アマテラス様をお祀りしました。位山と天皇家とのつながりを残すものとして、歴代天皇のご即位に際して位山のイチイの木で作った笏が献上されています。アマテラス様の後の皇統は、アマテラス様の小神さまであるニニギノミコト様が飛騨の山から降りられて、大三島でコノハナサクヤヒメを娶られ、鈴鹿のサルタヒコ様の先導で北九州に向かったとあります。古事記では、高千穂のくしふる嶺に降りられて、笠沙の岬からこられたコノハナサクヤヒメを娶ったことになっています。こうして飛騨の神統の流れの舞台は飛騨からやがて出雲、宮崎西都原へと移ります。