この作品は、中篇が2篇収録されています。「パーティーでシシカバブ」と「暮れていく愛」です。

 

「パーティーでシシカバブ」は、ちょっと正直よくわかんなかったです…。よくいる肉食系の女子大生?でもなんだかそれっぽく見せてるだけの女子なのか…。でも、パーティーに行くには券が必要だとか、そういうもんなんですかね。私は高卒で都会にも出たことがないので、その文化的な部分でもちょっとよくわかりませんでした。

 

さて、「暮れていく愛」は、これも読み進めるのが難しかったです。ひと組の夫婦を描いた作品なんですが、妻の語りと夫の語りが交互に来て、それぞれの現在から小学生のとき、高校生の時、大学生の時の語りもあって、友達とのやり取りなんかも入ってきて、「今誰の話だっけ??」ていうことがよくありました…。

 

夫婦は、社内恋愛で結婚して10年になりますが、妻は夫が浮気しているんじゃないかと疑い、夫は妻が完璧に尽くしすぎてくれて息が詰まる、といった悩みを抱えていました。

 

妻は夫がいれば何もいらないというタイプで、外食にも着るものにも旅行にも興味がありません。夫は、そんな妻に対して、そういうプレゼントなどで喜んでくれる女だったら簡単なのに、と思っています。

 

夫は、妻には幸せになってほしいとは願いながらも、妻がどうすれば、自分が妻に対して何をしてあげれば妻が幸せなのかがわかりません。

 

妻は妻で、昔言われた「尽くしてくれる人が好き」という夫の言葉に、いつだって従ってきました。それで夫が幸せになれるなら簡単だ、と。でも、専業主婦で、家事も完璧にこなしても、夫が出勤してしまうと途端に妻自身は不安にかられるのです。

 

何をしていいのかわからない、という不安です。夫がいれば、夫の身の回りの世話を焼いてあげることができます。妻は、本当は会社なんか行かないで二人でずっと家にいたい、と思っています。

 

妻が塞ぎがちなことに夫も気づいていて、それで外食に行こうか、ネックレスでも買おうか、温泉にでも行こうか、と妻を気晴らしに誘います。が、妻はその優しさを夫が他の女と付き合っているせいだ、と疑ってかかるのです。悪循環ですよね。

 

でも、なんかわかるな~。できすぎた生活への不安っでいうか。

 

実は、これと同じようなことがうちでもあって。私は当事者ではないんです。私の祖母、82歳の話なんですけど。

 

うちは4世帯が住む家で、私の祖母、両親、私たち夫婦、子ども達が住んでいるんです。祖母は早くに夫を事故で亡くして、それ以来ずっと女手ひとつで子ども3人を育ててきたんです。

 

ただひたすらに働いて、定年したらしたで、両親が共働きだったので家事の一切とそのころ生まれた私の妹の面倒も見てくれていました。

 

そんな妹も成人して、今度はひ孫、私の子供たちの面倒を見てくれようとしてるんですが、年には勝てなくて、さらに祖母に認知症の疑いが。

 

何をしていいかわからない不安が、このころからなんです。マグロ並に動いてないと死ぬんじゃないかってくらい、せかせか毎日何かしている祖母だったので、料理ができなくなったとか、一人で病院に行けなくなったとか、祖母にとっては大ダメージなんですよね。

 

何すればいい?って聞いてくるんです。毎日、毎回。認知症なのかどうかははっきり診断は出ていないのですが、同じことを何回も、しかも毎日言うとか、たぶんそうだとは思っています。でも、体は動くんですよ。なので、朝・昼・晩と、掃除をしつこいくらいにしていたり。でも症状のひとつなのか、自分の部屋が散らかっているのはぜんぜん気にならないんですね。もともとえふりこぎなので(世間体を気にするとか、見栄えを気にするとかの意味ですかね。すみません、方言です)、家自体がキレイであれば、自分の部屋が嘘みたいに汚くても気にしないのかもしれませんが。

 

常に、何かしていたいんですよ。常に自分の出番はないかと虎視眈々と狙っている、と私たち家族には見受けられます。そして、自分が家族の役に立たないのであれば、金を出すというんですね。家事代行を雇うからその金を自分に出させろとか。自分が料理ができなくなって惣菜を買ってくるから、食費の全てを自分が出すとか。家族のために役に立たなければっていう強迫観念ですよ、もはや。

 

そういうのって、疲れるんです。作中に出てくる夫もこういう感じなのではないでしょうか。ちなみに、私も母も家事は普通にするんですよ。

 

話が長くなりましたが、なんだか妙に共感できちゃう作品で、こんなことに共感できる自分ってどうなんだろう、とちょっと思ってしまいました…。

 

では、また何か読んだらまた書きます。