暇人aQuaのひとりごと日記

暇人aQuaのひとりごと日記

コンセプトは「誰も読んでいない」
なのに読者に問いかける・・・
つまりそういうことです
ヒマなんです、はい

アメンバー記事は記録として残したいという目的なので、公開は考えていません
m(__)m すみません

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私が勤める会社にはコロナ感染拡大防止のための

体調管理のガイドラインが存在する。

 

症状のチェック項目が10点以上あり

この度その項目の3点に当てはまったのである。

 

朝イチ会社に電話報告すると

すぐに病院に行ってくださいとのこと。

 

風邪症状はなかったためか、医者はPCR検査は不要と判断し

通常の診察になった。

薬をもらいその日は当然休み扱いになり、

会社へ毎朝症状を報告することになった。

これが月曜日のできごと。。。

その後・・・

火曜日、症状に変化なし→休み

水曜日、午前中は調子良かったが昼頃症状が出てしまい→休み

木曜日、症状は安定したが→あと2日間は出勤しないでくださいと言われ、休み

本日、元気→休み

土日は会社が休みなので、

結局1週間休んだことに・・・

 

ああああああ~~~~~~

今月の給料どうなるのぉぉぉぉぉ

 

困るうぅぅぅ・゜・(ノД`)・゜・

 

 

 

 

 

 

 

 

 

6~7年ずっと闘い続けてきた病気とおさらばするために決断した

 

最初に診断された病名は「子宮内膜増殖症」

月経過多で貧血を起こし日常生活にも支障をきたすほどだった

トイレに行くだけでも息が切れ、簡単なシャワーだけでも座り込むほどだった

また内膜が増殖することでガンのリスクもあった

治す方法は??

当時の病院の方針では治療薬はなく、子宮摘出か閉経を待つだけと言われた

 

しばらく我慢していたが、他になにか治療法はないかと思い

他の病院へ通ってみた

するとその病院では「ホルモン剤で症状を軽減してみましょう」と言われ

飲み薬を処方された

効果はすぐにあらわれ貧血は収まり出血の量も減った

だが、根治はできず子宮摘出か閉経を待つというくだりについては同じだった

 

数年考え、子宮摘出を決意した

 

その病院では「腹腔鏡下手術」を多く進めており実績も豊富だった

回復も早くキケンも少ない

私は迷わなかった

全身麻酔を使い一瞬で終わるというものだった

よくよく説明を聞くと病名が変わっていて

「後壁腺筋症、右内膜症性のう胞疑い」となっていた

子宮全摘と両方の卵管摘出、場合によっては右卵巣もとるという説明だった

できれば卵巣は残したかった

卵巣を取った人の話では「更年期障害」がひどいそうだ

発汗やホットフラッシュ、頭痛に肩こりなどなど

本当に辛いそうだ

担当医は「お腹の中を見てみて大丈夫だったら残しますよ」と言ってくれた

 

いざ手術当日

歩いて手術室に向かい自分で手術台に寝るのだ

酸素マスクのようなものを口にあてられ・・・

気づいたら手術は終わっていた

麻酔が覚めた私の第一声は「卵巣は残りましたか?」だった

担当医が「卵巣は両方残しましたよ」の言葉に安堵し一般病棟へ戻った

 

摘出したモノは付き添いの人に写真に撮ってもらったが

ここで張り付けるのはやめておこう

 

手術翌日には歩き、食事もとった

歩かないと腸閉塞を起こすことがあるらしい

 

6日間で退院し、その足で行きつけの居酒屋へ行って退院祝いしてもらった

本当は全身麻酔から1週間は飲酒禁止だったけど聞かなかったことに(笑)

 

その後2度ほど出血があったので救急で診てもらったが特に異常なしだった

ただ「安静にしてください」と言われた

 

短い入院期間だったけどやはり多少は体への障りはあるようで

リハビリのつもりであちこち出かけるけてあるいているけどひどく疲れる

 

何年もツライ日々が続いたけど

私は摘出したことを後悔していない

良かったと思う

 

これからはわずらわしいこともなくなり

快適に過ごせる日々を願っている

 

 

 

 

 

 

 

 

コロナで始まった2020年

マスクが不足しネット上で高値で売りさばかれる始末

トイレットペーパーが無くなるとデマに踊らされスーパーに買いに行ったあの日

生理用品やオムツなども無くなっていたっけな

 

夏の暑さにマスクはきつかった

オリンピック延期になったけど本当に来年開催されるのかな

「3蜜」や「自粛」の文字

それでも映画館に行ったけど席は一つ飛ばしに座るように配慮されていた

 

秋ごろからかな

コロナ感染者は増え続けているのに

ガラガラだった電車やバスが密集するようになった

どうして?って思うけどきっとみんな「自粛」に疲れて飽きちゃったんだよね

 

年末を迎える今

東京では一日の感染者が900人を超え1000人を超えるのも遠い未来ではないだろう

そのかわり(?)インフルエンザ感染者はゼロだとか

そういえば年始の初詣もばらけて行ってほしいとか言ってたな、たしか都知事がね

そんなの無理だよね

ハッキリ「行かないで」と言えないのかな

 

まあ、こんな一年だったね

私情を話せば今年は最悪な一年だったな

ここに書きたいけど書けないことがいっぱい

唯一書ける事があるとすれば

来年の春ごろ手術を受けるということ

病気が解放に向かわなくてね

コロナのせいで面会禁止になってるから精神的に一人で大丈夫かなって今から不安

 

みんなはどうか健康でよいお年をお迎えください

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

生きる意味が希望が夢がわからない

死にたいと叫びたいけど

聞いてくれる相手がいない




自分の殻にこもって何年だろう

数えるのもやめた




過去を振り返ってもどうにもならない

未来を想像しても何も無い




今夜も不眠

太陽が昇ったら眠るのかな



何年も前から、強い胸の痛みがあったのでようやく専門病院へ行ってきた。

症状はこうだ。

安静時に、胸を中心に背中や首、あごまで痛くなるのだ。

横になっても動いても痛みは数分続く。

握りしめられたようなきつい痛みだ。

 

普段利用している内科の先生に相談し、ある薬を処方してもらった。

痛くなったら使ってみて、症状が改善されれば狭心症の疑いがあるとのこと。

処方されてしばらくすると、胸痛の症状が出たので薬を試してみた。

すると痛みはスッと落ち着いてゆく。

それを先生に報告すると「専門医宛の紹介状を書きます」と即答だった。

 

紹介状を手に専門医へ行き、4種類の検査をしてもらった。

採血、レントゲン、心電図、心エコー。

「いつから痛いんですかぁ~?どの辺が痛いですか~?」

ダラダラとした質問が続く。

 

「今日やった検査からだと狭心症かどうかはわからないんですよね~」

「今日の検査では問題ないんですけどね~」

「どうしますぅ?造影剤を使ったCT撮ってみますか~?」

 

どうしていいかわからないのでCTをお願いしてみた。

しかしなんだか腑に落ちない。

なんで自分で検査を選択しなければいけないのか・・・。

 

待合室に戻り、悶々とする私。

必要のない検査をしていいのだろうか。

今日の検査で問題なければ特に痛みを気にするなということだろうか。

・・・・・、そうして考えているうちに検査をやめたいと思った。

 

受付に行き、看護師さんに本当に必要な検査なのか不安を訴えキャンセルを申し出ると、

「もう一度、先生とお話ししてみてはどうですか?不安はよくわかりますから」

 

そしてもう一度診察室に呼ばれた。

医師に必要のない検査ならしたくないと申し出ると

「そうですね~。狭心症というのは今日の検査ではわからないものなんですね~。」

「そういった隠れた血管の詰まりなどが無いか調べるのがCT検査なんですね~。」

「白黒ハッキリさせたいのであれば検査をすすめます~。」

こんな感じだ・・・・・。

 

説明の仕方もへたくそだし、頼りがいもない。

なにより患者って誰しも「白黒ハッキリ」したくて病院という場所へ頼るのではないだろうか。

熱が出れば原因や治療をしてほしくて(白黒ハッキリしたくて)病院へ行く。

そんなもんじゃないのだろうか・・・。

 

とりあえずCT検査を予約してフラフラとした気持ちで帰路についた。

 

専門医で知識もあるだろうに、くちべただとダメね。

 

 

 

 

 

 

 

 

自分がキライである

 

いつからこんな事になっただろう

思い返せばもう8年くらいこんな感じだろうか

 

理由はいくつかあるが

一番キライな自分は

「何かを続けることができない自分」である

ちょっと抽象的だけど

根源はこれなんだと思う

 

大嫌いな夏が終わり秋が始まった

私は目標を決めた

「続けること」を

 

減量をするとしよう

具体的には

毎日体重を計る

ウォーキングする

この2点にしぼってやってみる

 

あえて数字的な目標は立てないことにする

だいじなのは「続けること」だから

気づけば今年も残り4ヶ月

続けて自信をつけて自分を好きになりたい

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

7月も下旬だというのに・・・

父の件が片付かない

 

家族がバラバラで事がまとまらない

 

長男よ

頼むからしっかり仕切ってくらはい・・・

 

 

 

 

 

 

4月23日 9:33

父、永眠

 

同月25日 火葬

諸事情により、通夜や葬式は無し

 

冷たくなった父の顔は

人に言わせると「おだやか」だそうだが

わたしから見たら「別人のよう」であった

 

長年ほぼ寝たきりで

施設に入所せざるおえない状態だった

入所したときから

「いつ逝ってもおかしくないので覚悟しておいてください」

と言われていた

 

苦しまずそっと逝った

あっという間に逝ったのだった

 

死亡届にはこう書いてあった

死因

①「急性呼吸不全、約15分」

②、①の原因「摂食障害による低栄養、約2年」

③、②の原因「痴呆症、約3年」

あとは、糖尿症、腎不全(人工透析)

と書かれていた

 

亡くなったという連絡を家族から受けた時

ショックも無ければ、泣けもしなかった

 

今日は遺品整理のため家族で施設に行ったが

やはり感傷にひたったり落ち込むことも無かった

私は、薄情なのだろうか・・・

 

父との思い出は私が高校生の時に遡る

その当時は未成年者でも親と一緒なら

パチンコ屋に入れる時代

一緒に連れていかれ、一万円を握らせられ

「好きな台を打っていいぞ」と自由行動を与えられるw

すると必ず私の台は出るのだ

その日の夕飯は父と二人で寿司か焼肉だ

 

そんな何気ないことが思い出として思い起こされた

 

 

父は病気になってから食事制限や人工透析などで

自由を奪われていた

 

今は自由になって好きなことをしてくれてるといいが・・・

お疲れ様でした

そして、ありがとう

お父さん

 

 

 

 




バレンタインって
そもそもはお菓子の会社が考えたイベントだと聞いたことがあります
これによってチョコレートの売り上げがあがればいい、みたいな


そんでもって
「女性から男性へ想いを伝える」
という内容はいまだにブレないものの
最近は
「友チョコ」「感謝チョコ」「自分へのチョコ」
というものも当たり前になってますね



そんな中、先日たまたまですが
調理師専門学校の生徒さんが作ったチョコレートが販売されており、とても美味しそうだったし珍しかったので
「自分へのチョコ」として買いました


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基本のチョコレートは本場ベルギーの有名なメーカーのものを使ってるそうです

ジンジャーやシナモンといったスパイスが入ったチョコが美味しかったです❤️


今月から新しいことにも挑戦し始めたので
「自分への応援」の想いも込めて食べます


調理師専門学校の生徒さんたちも
夢をあきらめず立派なパティシエや職人さんになって欲しいと思います

頑張ってーーー




【追記】
行きつけの居酒屋のおやっさんには
チョコではなく「わさびの醤油漬け」を感謝の想いを込めてプレゼントしました
気に入ってくれるといいけどね

こんな風に甘い物が苦手な人もいる場合
どんなものをプレゼントしようか迷うのも
楽しいですね