10月末から入院していた父が、11月21日早朝、ちょうど一ヶ月前になりますが、息を引き取りました。
 
入院から亡くなるまで3週間という早さで、母や私にとっても突然の死でしたが、亡くなった父本人が一番ビックリの死だったと思います。
 
 
亡くなった週は、通夜と葬儀のことで手一杯。あっという間に過ぎ去りました。
 
次の週からは何も手につかず、父が亡くなった現実を受け入れられず、ただ父を思い出しては毎日毎日泣いて泣いて泣いて過ごしました。
 
 
父の死から一ヶ月経った今も、まだ父の死は信じられずにいます。死んだなんて嘘みたいです。
 
 
 
ただ、週末に実家に帰ると、父の遺影や骨の入った白い箱やお線香が、父は死んだんだ、ということを物語っています。
 
 
 
 
実家に帰ると、父を思い出させる品物ばかりで、胸が苦しくなります。
 
同時に、庭の木陰からいつものようにひょっこり顔を出すんじゃないのか?玄関を開けると、二階から降りてきていつものように「おかえり」と言ってくれるんじゃないのか?という錯覚も覚えます。
 
 
 
でも、どんなに会いたくても、この地球上のどこをさがしても、もう父はいない。どこにもいないんだ、と思うと、悲しくて悲しくて、淋しくて淋しくて、涙が止まらなくなります。
 
 
ほんのちょっと前、たった一ヶ月前には父はいたのに。話もしたのに。
父はどこに行ってしまったの?
 
 
身の回りのもの、大切なもの、全て置いて、どこに行ってしまったの?
 
 
もう二度と父の声を聞くことはできない。
今でも耳の奥にある、父の声。
大好きだった父に会うことはもうできない。
 
 
 
 
ちょっと前には「存在」していたのに…
死んだ瞬間、人は消滅してしまうの?
 
 
 
父との思い出も、父が残した全てのものも確実に存在するのに、父という人間だけがもう存在しない。どこにもいない。この時間を生きていない。
 
 
 
死ぬって何?
 
魂はあるの?本当にあるの?
 
 
 
 
生きている限り、順番通りにいけば、親の死は誰しもが通る道。
 
分かってはいるけれど、分かってはいたけれど、キツいです。
 
 
 
 
 
 
 
それでも、生きている者は前に進まなきゃならないんですね。
 
旦那も、子供たちも、そして実家に一人残された母だっているんだから、私はしっかり生きていかなければならない。
 
 
折しも、そんな私を後押ししてくれるような出来事が最近ありました。
それはきっと何か見えない力が私を励ましてくれているんだと思います。
もしかすると、父が導いてくれているのかもしれません。
 
 
そう思って、一歩前へ踏み出そうと思います。
 
 
 
 
 
 
悲しみは背負ったままでいい、それと同じくらいの愛を父は私に送ってくれているから。
 
私の悲しみと同じ深さの愛に包まれながら、これからの人生を私は生きていきます。
 
 
お父さん、ありがとう。
 
 
父の訃報を知り、一緒に悲しんでくれ、励ましの言葉で私を支えてくれた多くの友達の皆様、ありがとうございました。
 
少しずつ、私は元気になっています。
皆様のおかげです。
本当にありがとうございました。