ご存じだと思いますが、


福島県の原発の半径20キロ以内、プラス放射線の影響の大きい地域の住民が


避難所で暮らしています。






自分自身、同じ福島県に住みながら、


そういう人たちがいると言うことを分かってはいるものの、


宮城・岩手などの、地震・津波で被害を受けた地域、被災者の映像が


あまりにもインパクトがあり、目を覆うものだったため、


また自分の実家が小さかったとは言え、津波の被害を受けたこと、


知り合いではないにしろ、同郷の人間の多くが命を落としたこと、


そのことに対する精神的ショックがあまりにも大きく、


原発のせいで避難民となってしまった方々への感情が


つい最近まで あまりありませんでした。





感情が ない ?




なんかうまく言えないんですけど、でも 「感情がない」 というのが 


本当に私の状況を適切に表しています。





津波の映像を見ると、「ひどい… ひどすぎる・・・」と勝手に涙が出ます。


津波で命を失った人を思うだけで、涙が出ます。


感情が勝手に動いて、涙が止まらなくなります。





でも、原発で避難している人たちには、

頭では気の毒だ、可哀相だ、と分かってはいるものの、


勝手に涙が出ることが なかったのです。





頭では分かっているけど、感情が先に立たない、ということです。


頭と感情は違います。


感情は理解を通り越して勝手に動くものですから。







でも昨日、ふと、家の中を見渡し


自分の大事な物たちを眺めていた時に、


「これ全てを捨てて、この家から追い出されるって・・・」


と、思ったら、急に 身につまされる思いがしました。






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家も、車も、地震で多少の被害を受けたけれど


家や車が壊れたわけではなく、


以前同様、家はそこにあり、車もそこにあるのに


目に見えない放射線の影響があるから、と


突然、着の身着のまま避難させられる。





家に帰ることもできない。




町はゴーストタウン。


そこにつけこんだドロボーも多発。




自分の家のモノが盗まれるかもしれない、


貴重品が取られるかもしれない、


そんな心配があっても、家に、いや、その街にすら入れてもらえない。





家畜を育てている人たちは、その家畜を連れて避難できませんから


家族同様に育ててきた家畜を、 収入の糧としての家畜を


置き去りにせざるをえません。


連れて行きたくても、国の方針で連れて出られませんでした。


餌も与えられず、死んでいく家畜たち。




運よく、引き取り手のあった家畜は、県外の家畜業者に引き渡されたりしましたが、


多くの家畜たちは、人間の都合で置き去りにされました。




そのうち、国は、この地域に置き去りにせざるを得なかった家畜たちを


飼い主?の許可を得て、殺処分することに決めました。


安楽死ですよ、安楽死。


餌も与えさせてくれなかったうえに、国の都合で、殺処分です。





牛、馬、豚、鳥・・・・


どんなに大くの動物たちが、国に殺されたんでしょう。






話は戻りますが、最近避難民の一時帰宅が許可されました。


各家庭1名、防護服を着用、持ち帰れるものは、ゴミ袋一つ程度の


ビニール袋に入るもののみ


持ち出したものは放射能のスクリーニングをされ、OKが出たら、避難所に持ち帰れます。


ビニール袋って・・・


家族4人いて、旅行に行くのだってスーツケース必要ですよ。


それなのに、ビニール袋1枚って、本当に貴重品だけですよ、持ち出せるのは。




しかも行けるのは各家庭1名のみ。


じいさんばあさんで歩くのもままならないような人も、1人で行かなきゃいけないんですよ。


そのうち、それではダメだ、と2名まで許可されましたが、


それでも持ち帰れるものはスーツケース一つにも満たない物だけです。


季節はどんどん暑くなってきてるのに、防護服着るんです。


暑くてもうダメだ、と途中で諦めた人もいました。


自分の家に入るのに、防護服着るんですよ。






これが現実です。






考えてみてください。


突然、なんの前触れもなく、


「あなたの住むココは危険だから、家から避難してください」 と命令され、


自分の家から追い出されることを。




当たり前のように使っていた生活用品も


気に入って買った洋服も


家族の思い出の品も


趣味の道具も


子供たちのアルバムも


子供たちの学校用品も


テレビもDVDも


生活必需品ですら


車ですら


全部家に残したまま


追い出される。


家も、なにもかも、そこにあるのに。





明日帰れるのか明後日帰れるのか分かりません。


そんなこと一切言われずに追い出されたんです。


そして、避難所を何箇所も移動させられ、


今この時間、この瞬間も


避難所という名の強制収容所から出られずにいるんです。




強制収容所、なんて言葉悪くてすみません。


でも、地震・津波で家が壊れたから、と身を寄せる避難所とはわけが違うと思うんです。


家も車も、以前と変わらずそこにあるのに


国によって避難所という名の場所に強制的に収容されてる、 そう思えて仕方ありません。








昔、肌の色が黒いから、と言うだけで差別された人種がいました。


ユダヤ人だと言うだけで、強制収容所に送られた人たちもいました。






同じようなことが、今日本で起きています。






私は、運良く? その避難区域に住んでいませんから


放射線の影響で外にあまり出られない以外は、


普段と変わりない生活をしています。






でも、一寸先は闇です。





原発の状況が今より悪くなったりしたら、


もしかして、私たちにも避難命令が出るかもしれません。





ここにある、この家にあるもの全てを置き去りにして


どこかに避難する。



嫌です。絶対に嫌です。


あり得ません。




でもそのあり得ないことを 否応なしに強制させられてる人たちが


今この日本にいる、ということを


私たちは忘れてはいけないと思います。




どうか一時でいいから、ぐるりと家の中を見まわして


自分のこととして考えてみてください。





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地震・津波の被災者・被災地には同情も集まるのに、


原発のいわば被害者である人たちが、


ともすれば福島から来たと言うだけで差別されたり


いじめにあったりする、というのは、


私を含め世の中の多くの人たちが、原発のせいで避難させられた人たちのことを


自分のことのように考えていないからなのではないか?


と思い、ここに書くことにしました。  


長くなりました・・・






私の知人が、福島県への風評被害に対して寄せてくれたメールに


こんなことが書いてありました。




天災である地震と津波の被害に対しては、人々の支援も集まるのに、


人災である原発事故の被害に対しては、人々から嫌悪されるなんて、


どう考えても変です。


二次被害と呼んでよいでしょう。


二次災害のほうが人の心を傷つけるんですよね。