内容が古くなってしまいましたが、

帰国後すぐに一部の友人に送ったメールです。

今やっと、私にも時間の余裕ができ、

ほかの多くの友達の連絡先をとりだせるようになり、

ブログのお知らせが出来るようになりました。

あの時、連絡が取れなかった友達へ、

また、あの時の切羽詰まった様子を自分でも忘れたくないので

当時のメールをもう一度ここに載せておきたいと思います。


3月20日頃のメールです。
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香港でお世話になりました皆様へ。
こんにちは。

香港では、大変お世話になりました。

帰国 前に、大地震で故郷が大変なことになり、一時は両親の安否がわからず、みなさまには大変ご心配をおかけしました。

おかげさまで、両親は無事発見されました。

発見に尽力してくれた地元の友人、親戚に感謝してもしきれません。

帰国後、東北新幹線が那須以北不通のため、上越新幹線と高速バスを乗り継いで、旦那の実家まで来ることが出来ましたが、

今度はガソリン不足のため、ここまで来てるのに、被災地岩沼の実家に行くことができずにいます。

実家は電気電話が通じ始めたので、毎日連絡を取ることができるようになりました。

両親は気丈に家の片付けをしているようです。日に日に声にも元気がでてきています。

辛うじて流されなかった実家ですが、1mは水に浸かったらしく、後片付けもきっ大変だろうと思います。

それでも避難所よりはきっとマシ。

夫婦二人、そして近所の人達と協力して懸命に生活を立ち上げようとしています。

私も早くそばに行って手伝いたいのですが、何もできず、こんなときになにもしてやれない自分が情けないです。

私自身も、これから住むはずの場所に行くことできないので、アパートもきまらず、つまり娘の学校も決まらず、車も買えず、自分の生活をも立ち上げられずにいます。

とりあえず、携帯だけは手に入れたけど、使い方がわからず、四苦八苦。3年のブランクを感じています。


今回の震災で、沢山の方々が亡くなり、沢山の方々が家族を失い、未だに見つからない方々がいて、また避難所で寒い中不自由な生活をしている方々がいることを思うと、両親の無事を手放しで喜べません。

私も早く生活を立ち上げ、いち早く困っている方々のお手伝いをしないと、申し訳ないです。

みなさま、これからもどうぞよろしくお願いします。

最後になりますが、子供たちは元気です。

主人の実家は被害が少なかったため、ガソリン以外はこと足りていて、よく食べ、よく寝て、寒いこともなく家の中で過ごしています。ありがたいことです。
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あの時の連絡ができなかった皆様、すみませんでした。