(今日は少々長いので、興味と時間があれば読んでください:笑)
先日、テレビで「スクールドッグ」の取り組みを紹介していました。
学校で犬を飼い、子どもたちと触れ合うことで、教育や心のケアにつなげるというものです。
以前から行われていた取り組みだそうですが、その多くは私立学校だったといいます。
私立なら学校独自の判断で始めやすいようですが、今回紹介されていたのは、公立の中学校でした。
きっかけは、その学校の校長先生が教室の空席の多さを見て、不登校について考えさせられていた頃、職員室で、自宅で飼っている犬の話を何気なくしたことが始まりでした。
その犬は緑内障を患っていて、六時間ごとに目薬を差さなければならないとのこと。
すると、ある先生が「学校に連れてくればいいじゃないですか」と何気なく言ったそうですが、校長先生は「さすがに、それは・・・」と。
ところが、その日からその一言が頭から離れなくなり、調べてみると、「スクールドッグ」という取り組みがあることを知ったのです。
生徒や保護者にそのことを話すと賛成する声も多かったのですが、最大の壁は教育委員会でした。
学校に犬を入れるとなれば、事故や衛生面、アレルギー、管理責任など、いろいろなリスクが考えられます。
行政が「成果」より「リスク」を重く見るのは当然で、何かを始めて成功すれば「良かった」で済みますが、問題が起きれば「なぜ許可したのか」と責任を問われます。
実は、その校長先生は以前、教育委員会にいて、だからこそ、相手の考え方も分かっていました。
そこで「世話も費用もすべて自分が負担する」と提案し、最終的に教育委員会を説得したのです。
こうして、公立中学校でスクールドッグが始まると、少しずつ変化が現れ始めたそうです。
学校に行きたくても行けない生徒が、犬に会うために学校へ来る。
教室では落ち着かない生徒が、犬のそばでは穏やかになる。
ある女子生徒は、「家では犬を飼えないけれど、学校に行けば犬に会えるし撫でられる。それで、自分も頑張ろうと思うようになった」と話していました。
犬は、何か特別なことをしているわけではない。
勉強を教えるわけでもなく、悩みを解決するわけでもない。
ただ、そこにいるだけ。
校長先生は、「犬が何かをしてくれるわけではない。でも、ただそこにいるだけで何かが変わる。人も同じなのです。いるだけで誰かが変わり、何かが変わり、そして自分も変われる。そこに意味があるのです」
この言葉はとても印象に残り、更に少し複雑な気持ちになりました。
教育委員会が最初に心配したのは「リスク」です。
もちろん、安全や衛生面を考えることは必要です。
しかし、もしそれだけを優先していたら、この学校の子どもたちは、この犬に出会うことができなかったのです。
実際に取り組みを始めた校長先生は、後に生徒や保護者に「この取り組みを続けるべきか」とアンケートを取ったところ、約98%が「続けてほしい」と答えたそうです。
子どものために何かを考えるとき、大人は「何をしてあげればいいか」を考えすぎているのではないだろうか。この数字を見てそう感じたのも事実です・
制度を作る。
予算をつける。
対策を打ち出す。
もちろん、それも必要ですが、子どもの心は、大人が思っているほど強くはありません。
繊細で、傷つきやすく、そして大人には分からないところで悩んでいるのです。
大人になって地位や肩書きを持った人たちも、かつてはみんな子どもでした。
失敗もしたでしょう。挫折も味わったでしょう。誰にも言えない悩みを抱えたこともあったに違いありません。
それなのに、いつの間にか自分が子どもだった頃の気持ちを忘れ、「子どもとはこうあるべきだ」と決めつけているような気がします。
今回の話で一番考えさせられたのは、そこでした。
そして、特に記憶に残ったのは「盲導犬になれなかった犬たち」の姿でした。
人間の決めた基準では、盲導犬にはなれなかった犬たち。
しかし、その犬たちは別の場所で、子どもたちの心を支えている。
犬自身は、自分が「落ちこぼれ」だなんて思ってはいない。
ただ今日も学校に行き、そこにいる。
人間だって、同じなのではないでしょうか。
学校の成績が悪かった。
受験に失敗した。
仕事がうまくいかなかった。
出世できなかった。
人生の予定コースから外れてしまった。
そんな経験をすると、私たちはすぐに「自分は失敗した」と思ってしまいます。
でも、それは本当に失敗なのだろうか。
もしかすると、ただ自分に合う場所が、まだ見つかっていないだけなのかもしれません。
盲導犬になれなかった犬たちが、別の場所で自分の役割を見つけたように。
人間にも、きっと自分の居場所がある。
犬は何もしてくれない。
ただ、そこにいる。
でも、それだけで誰かが変わる。
そして時には、自分自身も変わる。
焦って何者かになろうとは思わず、ただ、そこにいるだけでも、誰かにとって意味のある存在なのだと思うのです。
子供たちは大人の決めた制度や政策を望んでいるわけではない。
難しい制度に時間をかける前に、もっと心の中を、真剣に覗き込んでほしいのです。